第27話 混迷

 ──あぁ、何て悲しくて、寂しくて、綺麗で……それでいて愚かしい想いなんだろう。


 結衣は晃のその想いを視て、一時、嫉妬の感情すら忘れ彼女に深くした。


 それはまるで子どもの頃に見たアニメ映画を大人になってから見返した時のような、もしくは古いアルバムを開き過去に想いを馳せる時に感じる懐かしさに似ていたかもしれない。


 晃の記憶と想い。それは晃だけのもの。心の中にある原風景。自然の中で共に遊んだ記憶。自転車の荷台に乗り、大きな夕陽の中、田んぼの畦道を走った。そこにある結衣の知るものとは少し違う少年の笑顔。どこか見覚えのある景色。今はもう遠く追いつけない過去の故郷の光景に。


 ──あぁ、いいなぁ、と。結衣はその過去を碧の瞳に映しながら羨望を覚えた。


 結衣の記憶にはない、晃の視点。楽しくて、寂しくて、泣きたくなるくらいに美しい。晃の大切な思い出たち。その辰巳の近くに立った視点は結衣がどうしたって持ちえない物であるから。


 異能の代償で認知機能の歪んでいる結衣は只人を同じ人間として認識出来ない。故に共感など起こり得ない筈であったが、晃は異能と霊感を持つ同類であった。そして、共に同じ人を好きになった同士でもある。


 晃の記憶を視ていると、自然と彼女の想いに引っ張られてゆくような気がした。


 ──辰巳が神隠しに消えた後のこと。慕っていた相手と離れ離れになって、想いは遠く届かない。想いを伝えられないことの口惜しさと切なさ。愛しさと恋しさ、そして取り残された恨みとが混ざり合う相反する感情。


 愛しく思っているのに報われず、恨みばかりが募る。何故、側にいてくれない。何故、私はこんなにも苦しい。私はどれだけ待ち続ければいい。そんな感情を冷静な理性は愚かしいと訴えているのに、感情は理性を容易く上回ってしまう。そして、その感情は呪いのように心を蝕む。


 そんな晃の想いが結衣の心を揺さぶった。共感してしまっている結衣には分かる。晃が、辰巳と再会してどれだけ嬉しかったのかを。そして、帰還と再会を喜びながらも、自身の気持ちと現実との差に苦しんでいることも。


 ──結衣もまた辰巳と再会して喜びながらも、自分の想いを伝えられずにもどかしく思っているから。それは、結衣が辰巳のことを想うと同時に拒絶されることを恐れているが故に。


 結衣は化け物である。その精神構造からして常人とは異なり、人の心を多く視てきたからこそ人の醜さ、愚かしさをよく知っている。そして、認知機能が歪んでからというもの結衣は常人に対して無関心であり、他人にすることなどあり得なかった。


 しかし、その結衣が晃の想いにした。それは、彼女の想いが深く重く……結衣のそれと近しいものであったから。


 それは一種の感動であった。色褪せた灰色の世界に映える強い色。それ自体は決してマイナスな感情ではなかった。自身と同じ感情を抱く存在への親近感。どこかで繋がり合っているかのような不思議な縁すら感じる。


 ──その上でふと思った。幼馴染という自身よりも有利な立場にある彼女が、辰巳に受け入れられないような事があるならば……逆に自分が受け入れられる可能性などあるのだろうか。


 そして──彼女はこの泣きたくなるくらいに美しい思い出を捨てることなど出来るのだろうかと。


 共感したからこそ分かる。到底出来ない。そして、それはもきっと同じ。いつまでもいつまでも引き摺って、彼のことを想い続ける。その上で恨み、憎しみ、害意を持って振り向かせようとする。


 その心胆寒からしめる恐れと、容易に想像される未来に夏だというのにゾクリと背筋が寒くなる。


 ──どうすれば……どうすれば石動くんと結ばれる? どうすれば石動くんの心を手に入れられる? どうすれば私は幸せになれる? このままじゃ……


 精神がバケモノに近く、常人とは思考回路の異なる結衣であっても……その答えは簡単には出てきそうにもなかった。


 □


 慈願寺山門前の広い空間。そこには石灯籠が幾基も並び、火袋に入れられた蝋燭の火が夜闇を仄かに照らしている。しかし、夜の闇は深く、その灯りはあまりに心許ない。


 夜明かりとなる月は欠け、文明の火たる電灯の灯りも慈願寺周辺には少ない。そして、その月の幽かな光も雲に遮られた。


 周囲は闇。そして静寂。聞こえるのは風で木々の葉が擦れざわめく音と、遠くで鳴く虫達の声だけ。だが、その虫の声さえも晃の呼び声に畏れを成したかのようにピタリと鳴き止んだ。


「──綱彦つなひこ白蛛しらくも、ヤツを排除しろ」


「っ……?!」

「何か出てくるぞ……!」


 晃が指を差し、二つの名を唱えた。すると、石灯籠に照らされた晃の背後の影から……ヌルリと這い上がるように巨大な蜘蛛が二匹現れようとしていた。


 一匹は全身が黒い個体、一匹は腹部が白い個体。どちらも人が背に乗れるほどの大きさであり、手足が太くやや短い。頭胸部には大きな眼が複数並んでいた。例えるならハエトリグモを巨大化し、より凶悪化させたような印象がある。


 夜闇の中にあってもその存在感は大きく、辰巳は縫い止められたかのように身動きを止め、結衣も石化でもしたかのように身体を硬直させた。


「……だから言っただろ。泣かされることに気づくってさ」


 二匹の蜘蛛の脚がゆっくりと地面に付き、どっしりとその巨体を支えている。その威容はまさに軽戦車のようであり、正面から対峙すると大きな圧力があった。


「──これが最後だ。タツ兄を私に返せ」


 大蜘蛛が顕現し、辰巳が驚いた様子を見せたことに満足そうに鼻を鳴らすと、晃は結衣に向かって警告した。しかし、結衣はそれに僅かに口元を曲げて笑みを作って返しただけだった。


「……大きい。正体は多分、蜘蛛の精だと思う」

「あぁ……俺もそう思う。経験的には雄蜘蛛よりも雌蜘蛛の方が気性が荒くて厄介なことが多いんだけど……どっちにしても油断は出来ない」


 辰巳が向こう側での経験をもとに私見を述べた。それに今は夜々中。人ならざる者達の力が強まり、活動も最も活発となる魑魅魍魎が跋扈する時間帯。逆に人にとっては夜目が利かず、危険が大きい。夜は妖たちの独壇場と言えた。


 一方、結衣は眼を眇めるようにして蜘蛛の黒真珠のように真っ黒な目を覗いた。結衣の眼の異能は妖怪などの人外であっても有効で、ある程度の思考を暴く事が出来る。──その碧い眼が大蜘蛛達を捉え、妖たちの精神を覗き見た。


 はたして──結衣のその眼に映ったのは黒と白の蜘蛛の気の抜けるような奇妙な会話であった。


『……なぁ、姫さんまた怒っとるが何かしたんか? 飯の食べ残しもしとらんし……ちゃんと片付けもした筈よな』

『多分、何かしたのは向こうの人間じゃろ。人間同士の争いに態々儂等を呼ぶなというに……』

『ほんにな……こう何かある度に呼び出されてはかなわんて』

『しかりしかり。まだ雌蜘蛛への貢物も集められておらんというに……このまま帰ってしまおうか』

『む、なんと。前に立派な牡鹿を捕まえておったではないか。儂など先を越され悔しく思っておった所なのじゃが……雌蜘蛛はそれでは不服と?』

『近頃は腹が減って仕方ないと言うておったぞ。貢物がなければ儂等が食われる。はぁ……あな恐ろしや……』

『うーむ……儂等はどうしたって雌蜘蛛には勝てんからな……かといって交接の誘惑は耐え難い……』

『うむ……先つ年、貢物の足りなかった綾繧あやおうなんぞ、抵抗出来ぬままに捕まりおったからな……頭からチューチュー吸われおって……あれは恐ろしい光景じゃった……』

『しかりしかり……』


 それは蜘蛛同士の会話であるが、声などの発声器官を利用した意思疎通ではない。恐らくは同族間のみで働くテレパシーのようなもので会話をしているのだろう。


 結衣は目の前の大蜘蛛が気性の荒い存在ではないことを理解し、若干警戒を緩めた。しかし……大蜘蛛達が結衣に意識を向け、何かを考えるような様子を見せたことに嫌な予感を覚える。


『──おん? なんじゃ、に余所者が入り込んどるぞ。話を盗み聞かれておらんか?』

『ほぅ、面妖な。うーむ。サトリには雌もおるんかいのぅ。猿の顔は全部同じに見えて判別がつかんわ』

『ありゃ、服着とるし人じゃ。……ん、まてよ。おぉ! そしたら姫さんも猿顔っちゅうことじゃの!』


 大蜘蛛達の会話を盗み視ていたことに気づかれ、一瞬身構えたが当の大蜘蛛達は呑気にもワハハハハハ、とテレパシーで大笑いし、八本ある脚を小刻みに揺らした。


 結衣の顔が暗く沈み、面差しが一変した。酷くつまらなそうな無表情に近い顔付きとなる。


「……石動くん。私って猿顔なのかな?」

「突然どうしたの……神楽木さんはどう見ても猿顔じゃないでしょ」


 結衣が突然、辰巳にそんなことを尋ねる。その質問の真意が掴めない辰巳は戸惑いながらも、そう答えた。


 しかし、不安になった結衣は素早く辰巳の心を読んで、自身がどう思われているのかを確認した。そこには『いつも通りの綺麗な顔だけど……』とある。結衣は安堵しつつも少しぎこちなく笑顔を作った。


「……ごめんね、取り乱して。もう大丈夫」

「あ、あぁ……」


 結衣の質問に辰巳は困惑し、脳裏には疑問符が浮かんでいたのだった。


「……何となくだけど、あの蜘蛛達は今の所、好んで人を襲うことはないみたい。でも……」

「あぁ、何となく分かるよ。敵意とかもないし。……だけど、妖を人の常識で計るのは危険だ」


 人の管理下にある式神とは言え、元は妖。人の常識など当てはめられない。いくら術者と式神とが良好な関係を築いていたとしても、その関係が切れた途端に術者に襲い掛かるという事もままあること。


 人と妖は古くからの関係ではあるが、両者の価値観は決して同じではない。人には人の道理があり、妖には妖の道理が存在している。妖が式神となる契約を受け入れ、人に従順になったからと気を抜いていては、いずれ痛い目に遭うでは済まない事態になりうる。


 それほどまでに妖という存在は人にとって警戒すべき相手だと言うことだ。そのことを辰巳は経験から、結衣は学生時代の友人から学んでいた。


「おい……いつまでコソコソ話してる。答えは決まったのか? タツ兄を返さなければ、コイツらをけしかける」

「晃……もうやめよう。俺は晃と争いたくない。すぐに晃に気づいてあげられなかったことは悪かったと思う……約束もこれから思い出す。……だから、落ち着いて話を聞いてくれ」

「……うるさい。タツ兄のこと言うことなんか信じない。口だけなら何とでも言える」

「晃……!」

「争いたくないなら、そこで見てればいい。私が排除したいのはその女だけ。目の前で他の女とイチャイチャしやがって……ほんとムカつく」


 晃が結衣のことを睨みつける。その目には怒りの他にも嫉妬心や独占欲が込められていた。


「なっ、イチャイチャなんてしてないだろうがっ」

「じゃあ何で此処にあの女がいるんだよ……私と会う約束してたのに。呼んだか今まで一緒にいたとしか思えない」

「ここで会ったのは本当に偶然だ!」

「……今何時だと思ってんだ。そんな訳あるかよっ」

「嘘じゃないって、本当にっ」


 晃との約束の時間は11時。現時刻はもう0時を回っているだろう。周囲も闇の中にあり、一般的に人が活動する時間帯ではない。確かに、晃の言うとおり偶然会ったで片付けるには違和感があったが、今は結衣に本当に偶然なのかを問い詰めようもない。なぜなら──


 ちらりと結衣の方を見たが可愛らしく小首を傾げ、何も知らないといった風に微笑みで返された。その反応を鑑みるに、どうしてか結衣は辰巳にと同意してくれるつもりはないらしく、辰巳を酷く混乱させていた。


「まただ……何見つめ合ってんだ……彼女いないってのも嘘かよ……」

「待て待て! 落ち着けって! 勘違いするな! 神楽木さんは彼女じゃ……」

「でも本当はああいうのが好みなんだろ? 清楚系なんて……私とは正反対だもんなっ」


 晃は結衣を指差して言う。結衣は清楚系で黒髪の美人である。褐色肌のクール系の外見をした晃とは正反対と言えよう。しかし、辰巳にとっては晃も姿だけ見れば手足が長く高身長、スタイル抜群の美女である。


「私もこれから清楚系に……いや……絶対に無理……私にあんな格好似合う訳ない……」


 晃が何事かを呟きながら呻いていたが、その内容は辰巳には伺いしれない。ただ酷く葛藤している様子は見て取れた。


 そんな様子を碧い目を光らせて観察していた結衣が口元に手を持っていき、何がおかしいのかクスリと作った笑みの形を隠す。晃はその仕草に気づき……イラッとした様子で目を更に鋭く細めたのだった。


 ──そんな二人に挟まれ、辰巳としてはどうして事態がこんなに混迷してしまったのか、困惑しきりだった。


「どうしてこんなことに……」


 晃と会う約束をして、戻ってきてからのことを話していたら突然押し倒されて恐らくは魅了の術をかけられた。晃の誘惑に負けそうになっていた所、今度は結衣が突然現れ、辰巳を正気にもどした。そして、晃が不満を爆発させて今に至る。怒涛の展開だった。


 ──晃がキレたその直接的な原因は幾つか考えられた。


 まず再会した時にすぐに正体に気づけなかったこと。先約があるため仕事の誘いを断ったこと。昔したという約束をまだ思い出せていないこと。そして、再会を果たした辰巳が晃の期待した通りの態度を示せなかったこと。晃の抱く大きな不満は凡そ、このようなものだろう。


 そして、それに加えて、場を引っ掻き回すように行動する結衣の存在も晃の苛立ちの要因になっているのだろう。結衣に助けられたのは事実であるが、状況を複雑にしているのもまた彼女の存在だった。


 ──その上でどうやって事を治めるべきなのかと、辰巳は内心で頭を抱える。


「……私の方が先に好きだったのに」

「晃……まだ誤解があるみたいだけど、神楽木さんは彼女じゃない……でも、すごく世話になってる人だ」

「じゃあ今すぐ私を彼女にしてよ。簡単でしょ」

「どうしてそうなるっ?」


 晃は辰巳に好意を寄せていた。それは昔からのもので、今現在も変わっていない。いや、それはむしろ時が経つにつれてより深まった。


 始まりは安心感を得られる避難所である辰巳への執着心。しかし、心身の成長と共にいつしか恋心が芽生えていた。そして、想いは募り欲求は肥大することになった。


「タツ兄の彼女になりたいからに決まってる」


 ──幼い頃からずっとずっとあなたを想ってきた。その想いは永遠に変わらない。それは忠誠心であり、他の誰かへと心が移ろおうとする気持ちを嫌悪する潔癖さ、認めた者以外は受け付けないという人間不信が根底にある。


 しかし、晃の幼い恋心は愛という見返りが得られなかったことで渇愛し、辰巳を偏愛することに拘るようになってしまった。


 独占欲と嫉妬心に支配されやすく、見返りに飢えている。究極的に言えば、晃は辰巳が自分の物にならない事に、自分の思い通りにならない事に腹を立てているのだ。それはまるで愛を求めるまだ幼い子どものように。


 潔癖な偏愛は辰巳以外を求めない。線の内側にいる人間は身内だが、その中でも家族になれるのは辰巳だけだという信条が晃にはあった。


「あのな……気持ちは嬉しいが、俺は誰とも付き合う気はないんだ」

「っ…………なんで……なんでっ!! じゃあ、その女はどうなんだよ!」

「何でって言われてもな……神楽木さんは俺にはもったいないような人だよ。もう一度言うが、俺は誰ともそういう関係になる気はない」


 彼女にして欲しいという言葉は辰巳としても嬉しいものだ。だが、辰巳が誰とも恋人関係になる気はないと話すと、晃は暫し言葉を失い、数瞬の後、感情を爆発させて癇癪を起こした。そんなものは、どうせ自分の想いを断るための口実に過ぎないのだろうと……憤慨する晃を前に辰巳は思った──昔もこういうことがあったなと。


 晃は幼い頃からよく癇癪を起こす子どもだった。自分の思い通りにならなければ感情をコントロール出来なくなり、不満や怒りを表現するために暴力に訴えかけて相手に自分の言うことを聞かせる。


 辰巳に対してはやや違う反応であったが、辰巳が晃以外の年下の子に構っているのを見ると途端に不機嫌になり、その子を威圧しようとすることもあった。そんな時は辰巳が構ってやったり、おんぶしていればすぐに落ち着いたものだったが……


 ──そう、昔のことを懐かしそうに思い出す。


「……アッちゃん、すぐキレるとこ変わってねぇなぁ」

「それってどういうことですか?」

「え?」


 隣りにいた結衣が真顔で辰巳へと質問を投げ掛ける。しかし、辰巳は最初、結衣が何を指して質問しているのか分からなかった。まさか晃が過去に癇癪を起したエピソードでも聞いているのだろうか、と。


「誰とも付き合う気はないって、それはどういうことですか?」


 しかし、それは勘違いだとすぐに悟った。


「え? あー。……それは、その……色々と事情が……」

「何か理由があるんですか? 目を見て話してください」


 結衣の声はただただ平坦な調子だった。しかし、その質問には有無を言わせない圧力がある。その妙な圧力に口走りそうになったが、既の所で口を噤む。辰巳が彼女を作るつもりがない理由──それを辰巳はには悟られたくないと無意識に思った。


「え、えーと……」


 ジッと結衣が碧の眼で、口籠ったままの辰巳の瞳を覗き込む。しかし、すぐに結衣の表情が変わり、眉根を寄せた。


 ──心が読めなかった。


 それは今までにない反応。心を読めなかったことは今までにも何度か経験があった。だが、それには全て理由があった。精神が狂っているか肉体が死んでいる。人形のように心がない。トラウマや自己防衛的に心を閉ざしている。あるいは、複数の人格を持ち本心が隠されているなど。


 これまで、結衣は心が閉ざされていようが本心が隠されていようがその思考を暴いてきた。


 しかし今の辰巳の場合は──まるでがあるようだった。地続きの道の先が突然無くなり、その先が何も見通せなくなっているような違和感。心はある筈なのだ。今までは何の問題もなく覗けていたのだから。だが……


「な、どうして……?」


 心が見えない。彼女にとっては息を吸って吐くのと同じ行為が出来ないという異常に、拒絶されていると感じた結衣が大きなショックを受けポツリと呟いた。


「っ!」


 ──そして辰巳の顔をもう一度見て気付く。辰巳の額にある金眼がまるで別の意思でも持つかのように鋭く結衣を見据えていたことを。金眼と目が合い、射竦められる。それは結衣の内心の不安も、企てさえも何もかも、遥かな高みから全てを見通すような冷徹な眼光だった。その鋭さに心胆が冷える。


 ──思えば子どもの頃から額にあるは何なのだろうか? 


 どこか神聖な雰囲気を持つソレ。子どもの頃はその金眼が特別の証であると信じていたが……その正体は? 何処かの神が付けたマーキング? 加護? それとも辰巳の異能の一部なのか。答えは分からなかったが、それは意思を持って結衣の読心を妨げているように感じられた。


「──まただ……また私を無視して話した……! 今は私と話してたんだろ……! 何で私のことちゃんと見てくれないんだよ……久しぶりに会えたのに……頑張って勇気出して告白したのに……! やっと彼女になれると思ったのにっ」


 結衣が身竦められ動揺している一方で、晃は今度は結衣には目もくれず、ただ辰巳を睨み荒れた。嫉妬と憤怒にまみれ、その瞳の中で女の持つどうしようもない情念が燃えていた。感情の昂りが理性を完全に追い越す。言わなければ気が済まない言葉が口からついて出て止まなかった。


 一方、隣りでは結衣が俯き、表情の伺えない様子で何事かをブツブツと呟き続けている。両者を交互に見やる。辰巳はどちらの相手をすべきなのか分からなくなった。


「あ、晃……もう大人なんだから冷静になって俺の話を──」

「うるさい……! 黙ってろ、この分からず屋! アホ! 間抜け! 浮気者! こうなったら無理矢理、彼女にさせるからなっ」

「おいおい、何言ってんだよお前は!」


 もはや錯乱しているとしか思えない晃の言動に、流石の辰巳も狼狽えていた。


「もういい。どうせ話し合いなんて最初から無理だったんだ……──おい。男の方は多少なら傷つけてもいいから捕まえておけ。女はどうでも。じゃなきゃ雌蜘蛛への土産にしてもいい」

「晃!」


『うーむ、人間というものはやはり面倒な生き物じゃのう……』

『しかり。人は穢れを背負う生き物ゆえ。苦しみ続ける哀れな存在よ』

『うむ。まぁ、それはそれとして……今は姫さんの命を聞かねばならんな』

『人身御供など今の時代、意味など薄かろうに……そんなことしたら討滅まっしぐらなんじゃがのぅ』


 大蜘蛛達がその目を辰巳と結衣へと向け、脚に力を込めた。


『じゃがまぁ……行くか白蛛よ』

『うむうむ、そうしよう綱彦よ』

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