(夫2)思いもよらぬ幸運に感謝を

 ロベルディの女王陛下と王配殿下は、次々とこの国の闇を暴いた。国民から搾取して威張っていた傲慢な貴族が排除され、主家の尊厳を穢そうとした愚か者が断罪されていく。処罰の重さに顔を背ける騎士も出たが、私は当然と受け止めた。


 冤罪で殺されかけたお嬢様、国のために尽くしたのに裏切られたご当主様。養子の小公爵様も蔑ろにされた。フロレンティーノ公爵家の紋章を付けた騎士達は、この罰では足りないと口にするほどだ。浮気した男の生殖器を切り落とすのは、相応の罰だった。顔を焼いたのも問題ない。


 すべてを淡々と受け流し、お嬢様に笑顔が戻ることを祈る。いつか、誰かと幸せになってほしい。小公爵様と結婚なさるのだろうか。家を継ぎ血を残すために、選択肢は他にないと思われた。


 嵐のように飛び込んだロベルディの征服王は、その圧倒的な存在感と強さを示す。小柄な体が倍以上に感じるほど、桁違いの実力を誇った。すでに国としては併合されて形のないフェリノスに残り、お嬢様達の後見になるらしい。これでお嬢様も安心だ。


 そんな矢先、お嬢様が乗馬で森に入ると聞いた。護衛に立候補し、配属される。近くで見守りたいだけだ。何かあったら、この身を盾にしてもお守りする。軍馬は基本的に頭のいい馬が多い。そのため相手を見下すと舐めた態度に出ることもあった。


 お嬢様は見事に栗毛の牝馬を手懐け、信頼を得た。軽やかな馬の脚運び、揺れに体を合わせる。快適なのか、牝馬はご機嫌だった。それが一変したのは、先代王陛下が早駆けに切り替えた時だった。


「どうしましょう」


「無理のない範囲になさってください」


 お声がけしたのは、明らかに服や鞍が借り物だからだ。大きさが合っていない。無理をしたら落馬する可能性があった。お嬢様は納得したのか、速度を保つ。その直後、足下に兎が飛び出した。さすがに鍛えられた軍馬でも混乱する。パニック状態の牝馬は、速度を上げた。


 咄嗟に並んで走る。


「お嬢様! 手を、こちらへ」


 この先に小川があると聞いている。川辺の石に馬が足を取られるかもしれない。危険を避けるため、まだ草地であるここで受け止めるべきだ。そう考えた。迷わず上半身を乗り出すお嬢様の信頼に、私は全力で応える。手首を引いて抱き込み、マントと体を下敷きに落ちた。


 背中に激痛が走るが、幸い、下に石や岩はなかったようだ。平らな地面に強打しただけで済んだ。運が悪ければ、枝などが刺さり骨が折れる程度は覚悟していた。


「ご無事、か」


 ぐっと息が詰まったため、「ご無事ですか」の一部分が途切れる。無礼な物言いになってしまった。そう思うが、謝罪の言葉が出ない。詰まった息が喉を圧迫し、苦しかった。無事の意味で「はい」と返事があり、ほっとする。手の届くところで、今度こそお守りできた。


 ようやく痛みと呼吸が落ち着き、ケガはないと伝える。しかしお嬢様が倒れたと聞いて、私は落ち込んだ。気を遣わせまいとケガはないと誤魔化したのではないか? 未熟だと項垂れる私は、同僚達に部屋へ押し込まれた。


「うわっ、こりゃ凄い」


 背中一面が青紫に染まり、肩は動かすと激痛が走る。だが折れてはいなかった。打ち身が酷いだけだろう。痛み止めで用意された薬草をべったりと塗り、その夜は俯せで眠った。痛みと発熱で魘され、普段と違う姿勢で休んだことで寝違えた。


 翌日は隊長から休みの許可が出たので、横向きに寝転がって過ごす。枕を抱く形で転寝していると、誰かが入室した。おそらく薬草の交換だろう。そう思ったので動かずにいると、ひんやりとした指先が頬に触れる。驚いて目を開けた。


「私のためにごめんなさいね」


 お嬢様だ。慌てて起き上がろうとするも、付き添った同僚に止められた。侍女を一人連れたお嬢様は、持ってきた薬草を張り替え始める。恐れ多いと断ろうにも、お嬢様は断固として譲らなかった。手当てが終わる頃、お嬢様はもう一度謝る。


「ごめんなさ……」


「私はお嬢様を守ったケガを後悔しておりません。これは騎士の誇り、どうか謝らないでください」


 本心だった。お嬢様は口を噤んだ後、目を伏せて僅かの時間だけ考える。それから思わぬ褒美をくださった。


「守ってくれてありがとうございます。私の騎士様」


 私の、騎士――ご令嬢にそう表現されることは、騎士の誉れだ。最高の勲章をもらった気分で微笑み返した。お嬢様は頬を赤く染め、嬉しそうな顔を見せる。この思い出があれば一生仕えることができる。そう思ったのに、数日後に呼び出された。


 上司である隊長は何度も言い淀んだ後、私を騎士団から外すと口にする。なぜ? 首を傾げた私に待っていたのは、身に余る境遇だった。お嬢様は私を婚約者として選び、このフロレンティーノ公爵家を継ぐお嬢様の補佐役を与えられたのだ。


 一介の騎士に過ぎないと断ることも許されず、淡い初恋はにわかに色を濃くした。婚約期間中にお嬢様に騎士の誓いを立て、決して裏切らぬと約束する。夢のような時間の果てに結婚し、跡取りとなる息子や娘が生まれた。


「あなた、こちらへいらして」


「はい、いま参ります」


 反射的に出た言葉に、美しい妻が唇を尖らせる。


「分かった、今行くよ」


 言い直すと引っ込むけれど、あれはあれで可愛い。そう告げたら、頬を赤く染めて腕を絡めた。フェリノスを交易の要所として作り変える妻は賢く、誰もより美しく気高い。この人の盾になり、支えとなって一生を終えられる幸運に、今日も感謝しながら頬にキスをした。


 愛しています、初恋の君。

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