91.女狐も死に物狂いの抵抗を

 両腕を切り落とされる兵士は、当然、兵士を続けることは不可能だ。仕事を失い、両腕がないことで介護を受ける立場になった。加えて、今回の罰が公表されれば……賊を装って子爵令嬢を殺した者達だと知れる。


 生きていくのは相当難しいだろう。目の前にぶら下げられた金貨に釣られ、無力な女性に攻撃した。護衛をたくさん連れたアルベルダ伯爵家の馬車ではなく、楽に襲えるブエノ子爵家を。お金に目が眩み、卑怯な選択をした己を悔いながら、残り少ない余生を過ごすといいわ。


 私が思い出したリディアは、刺繍がちょっと苦手でお菓子作りの上手な子。誰かの悪口を言うより、困ったように笑って我慢してしまう人だった。


 さぞ恐ろしかったでしょう。護衛が戦う音も、倒される悲鳴も、突然開いた扉から賊が手を伸ばした時も。どれだけ怖かったか。想像するだけで胸が詰まる。だから私は同情しない。同等以上の恐怖と苦痛の中で、絶命すればいいわ。


 フリアンとヴェルディナの顔は、火による傷を負わせる方法が選ばれた。フェリノスにも顔に傷を付ける刑罰は存在する。その場合は、肌に傷をつけてインクで染める手法が用いられた。死んでも消えない刻印のような意味合いがある。


 ロベルディでは、表面を火で炙る方法が用いられてきた。戦場でも容易に準備が可能で、痛みが長引く方法だ。それに加え、傷が醜く引き攣れて残る。刃物による傷は加減が難しく、一歩間違えば死なせてしまうので使用しないのだとか。


 驚いたが、さすがに謁見の大広間で刑の執行はできない。見物するような趣味もないので、見送った。お兄様を含め数人の貴族が見届け役として立ち会う。


 泣いて暴れるヴェルディナは、長い髪を後ろで一つに結ばれた。体もロープで縛り上げ、担ぐように外へ連れていく。見送るカサンドラは無言だった。その表情は強張り、体は力を抜いている。ぐったりと諦めたようにも見えた。


 私がクラリーチェ様へと視線を移す瞬間、目の端で何かが動いた。反射的に振り返った正面で、駆け寄るカサンドラの金髪が翻る。ばさばさに乱れた髪が、走る動きに合わせて揺れた。すべてがゆっくり動く。


「っ! アリーチェ」


 叫んだお父様が私とカサンドラの間に飛び込み、クラリーチェ様の腕に引き倒される。伯母様の斜め後ろに控えるフェルナン卿は、長椅子を回り込むため数歩出遅れた。カサンドラに振り払われた騎士が、慌てて手を伸ばす。


 何もかもが目に飛び込む。大量の情報がゆっくりと広がり、一気に収縮した。時間の流れが遅くなったように感じたのに、今は通常の流れに戻っている。


「お父様っ!」


 クラリーチェ様の膝に倒れた私は、慌てて半身を起こした。見開いた目に映るのは、カサンドラの腕を掴んだ父の背中だ。カサンドラは武器を隠し持っていたの? 手首を掴んだお父様は、ぐいと捻ってから彼女を突き飛ばした。


 大柄な父の足元に転がったカサンドラを、追いついた騎士とフェルナン卿が拘束し直す。貴族女性だからと縛らなかった。それが裏目に出た形だ。お父様はしゃがみ、足元から何かを拾い上げた。細長く銀色の……髪飾り? フォークよりやや長い棒の先に、揺れる水晶の飾りが付いた装飾品だった。


 突き立てるなら十分な武器になる。


「お父様……手が」


「心配いらない、表面だけだ」


 垂れるほどはないけれど、血が滲んでいた。大広間は静まり返り、猿轡も噛ませられたカサンドラの呻き声が大きく聞こえる。


「温情は不要という意味か? 両手首を切り落とせ」


 王族への不敬罪、危害を加えようとした罰だ。伯母様の声は鋭く、フェルナン卿は一礼して剣を抜いた。

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