第554話 ビビり治療・3
ビビりを直す薬だ、と言われ、渡された椀を持って、シズクが首を傾げる。
副作用で酷い下痢があるとの事だが、全く危険を感じない。
野生動物並の勘があるシズクだが、何もないので、首を傾げる。
実は、ただの片栗粉を湯で溶かしただけの偽薬。
危険などあろうはずもない。
マサヒデとカオルだけが、偽薬だと知っている。
「どうしました?」
「いや・・・ううん、なんかよく分からないな? 飲んでみる」
箸を取って、ずびび、と音を立てて、かき込むように口に入れる。
マツとクレールが、偽薬を飲むシズクをじっと見つめる。
「ん? ん?」
と首を傾げる。
「これ、効くのかな?」
「疑ってるんですか?」
「いや、そうじゃなくて、全然危い感じがしないんだ。
すごい下痢になるかもって話だったでしょ」
「ああ、という事は、シズクさんには、薄かったのでしょう。
カオルさん、もう1椀頼みます。
薬の方をもっと濃くして『粘り気の方はそのまま』で」
「は」
ぱし、と首を傾げるシズクの手から椀を奪い取り、奥のカオルの部屋に入って行って、さらさらと白い粉を椀に入れながら廊下を歩いて行く。
上手く見せつけるものだ。
「マサヒデ様、危険なものではないのですよね?」
「あれだけ濃いと、私達、人族には危険だと思います。
ですが、マツさん達が飲んでも、何ともないと思います。
シズクさんも、毒がある魔獣も辛くて美味い、なんて言うくらいだし」
またカオルが椀を持ってくる。
ぐいと突き出された椀を取る。
やはり、危険な感じはしない。
「んん?」
シズクが首を傾げる。
マサヒデがカオルに、
「どのくらいの分量を入れました?」
「20倍にしてみましたが」
「20倍もですか!?」
マサヒデが驚いてみせる。
心の中では、カオルと2人でげらげら笑っている。
「シズクさん、変な感じは?」
「全然ない? あれえ?」
「では、シズクさんには、副作用は出ないのかもしれませんね」
「ああ、そうか! 私には副作用が出ないってだけか!」
「恐らく。20倍なら、シズクさんにも確かに効くでしょう」
と、マサヒデが言うと、カオルが、あっという顔をして、
「いえ! ご主人様、20倍ではまだ薄いのかも?
シズクさんは、樽で酒を飲んでも、ほろ酔い程度です。
それを考えると、これでは薄すぎるのでは?」
マサヒデが腕を組み、
「あ・・・ううむ、そう言われれば、そうですか。
副作用を考えて、薄くしすぎましたかね?」
「シズクさん」
カオルが手を出して、椀を受け取る。
立ち上がって、下がって行き、少しして戻って来て、また椀を突き出す。
シズクが受け取って、熱い湯気に鼻を鳴らす。
「ん? んん?」
やはり、全く危険な感じがしない。
マサヒデが覗き込むようにシズクを見て、
「危うげな感じはないですか?」
「ううん、やっぱり、全然しないね」
と、シズクが首を傾げる。
「カオルさん、どのくらい?」
「思い切って、50倍に」
マサヒデが目を丸くして、
「ご、50倍もですか!?
いや・・・それなら確実に効くでしょうけど・・・
カオルさん、それ、人族が飲んだら、致死量では?」
カオルが頷いて、
「ええ。この材料で50倍となれば、人族であれば確実に死ぬ分量です」
皆が不安気にシズクを見る。
マサヒデが不安そうに、カオルも険しい目で、椀を見つめる。
マサヒデとカオルの迫真の演技。
「シズクさん。危険な感じは?」
「全然しない・・・」
ふむ、とマサヒデが頷いて顎に手を当て、
「まあ、シズクさんなら死ぬなんて事はないでしょう。
危険な感じがしないのは、シズクさんには副作用が出ないんでしょうね」
カオルが頷いて、シズクに勧める。
「さあ、冷めないうちに」
「うん」
箸をとって、ずびび、と片栗粉を入れ、ごっくん、と飲み込む。
カオルがシズクの目を覗き込み、
「念の為、確認します」
人差し指を立てて、
「顔を動かさず、目で追って」
ゆっくり左右に振る。
シズクの目が左右に振られる。
少し離れ、
「もう一度」
カオルの人差し指が、ゆっくり左右に振られる。
シズクの目が追いかける。
「足を伸ばして」
「こう?」
伸ばしたシズクの足に、カオルが脇差の鞘の鐺(こじり)をがんがん当てる。
ぴく、ぴく、と膝が動く。
「ふむ。ご主人様、特に異常は出ていないようです。
シズクさん、腹の具合はどうですか?」
「あったかい? かな? 熱いの2杯も飲んだから、暑くなってきた。
別にお腹は痛くなったりはしないな?」
お、とマサヒデが顔を少し近付けて、
「む! 暑くなってきた、と言いましたね。
何か、普段よりやけに暑い感じはしませんか?
熱いのを飲んだとはいえ、何かこう、じわっときませんかね?」
「ううん? するような・・・しないような・・・」
「それ、確実に効いた証です。回り出すと、身体が少しほてるんですよ」
「って事は、効いたんだ! 私のビビり、治った!?
カオル、紙! 紙! 試してみよう!」
偽薬がばっちり効いたようだ。
が、ここは敢えてもう少し。
「少し、確実に回ったと分かるまで待ちましょう。
あ、そうだ! すぐ湯に入ってきなさい。
以前、酒も湯に入ると一気に回ると聞きましたし、薬もそうですよね」
カオルが頷く。
「ええ。飲んだ後は、湯は厳禁という薬もあります」
うむ、とマサヒデが真面目な顔で頷いて、
「聞いての通りです。今すぐ湯に入ってきなさい。
ただ、少しでも危ない、おかしい、と感じたら、急いで上がって下さいね。
万が一にも死ぬような事はないでしょうが、副作用が心配です」
「出ても良いよ! 行ってくる!」
がちゃん、と皿を鳴らしてシズクが立ち上がって、荷物から浴衣と手拭いを引っ張り出し、どたどたと出て行く。
居間がしんと静まり返る。
しばらくしてから、
「・・・くくく」
「ぷっ・・・」
マサヒデとカオルが口を押さえる。
ぷるぷると身体を震わせ、ついに堪えきれずに、げらげら笑い出した。
急に笑い出した2人を見て、マツとクレールがぽかんとして、
「マサヒデ様? どうなさいました?」
「何がそんなに・・・」
「あははは! カオルさん、あれ、見ました!? あははは!」
「ご主人様もお人が悪い! あははは!」
マサヒデはばしばしと膝を叩きながら、カオルはマサヒデを指差し、二人共げらげら笑っている。
マサヒデは目尻の笑い涙を拭いながら、
「あれ、あれ、ただの片栗粉を湯で溶いただけです! あははは!
薬なんて、嘘八百! そんな都合の良い薬ありませんよ! あーははは!」
「ええー!」
クレールが大声を上げて驚く。
ぶ! とマツが吹き出して、げほげほむせながら、
「けほっ! おほほっ、けほっ! マサヒデ様!」
「ご主人様・・・くくく・・・
これは、これは、とても良いいたずらですよ・・・うくく・・・」
カオルも笑い涙を拭く。
クレールが驚いた顔で、
「だっ! 騙したんですか!? 薬じゃなくて、ただの片栗粉!?」
「そうです! あはははは!」
「くくく・・・いや、思い込みとは、げに恐ろしきもので!」
「心の病! 思い込みこそが治療というものです! あーははは!」
ぶっ! とクレールが吹き出す。
「あはっ! あははははは!」
げらげらと皆が笑う。
笑いすぎで、マサヒデが息を切らせながら、
「はは、はは、はあ、はあ、さ、さあ、皆さん、笑いを押さえて!
シズクさんが帰ってきたら、心配そうな顔をして下さいよ!」
「えゃーははは! 私、私、堪えられる自信がないですー! あははは!」
「縁側、縁側! 庭の、庭の方を向いてて!」
「ひゃい! ひゃい! うぁはははー!」
皆がげらげらと腹を抱えて笑っていると、
「皆様、戻ってきます」
と、庭から忍の声。
「む、ん、ごほん! ありがとうございます」
ぴ! とマサヒデが顔を引き締める。
カオルもぴたりと笑いを止め、険しい顔になる。
「ぶっ!」
急に真面目な顔になった2人を見て、クレールがまた吹き出す。
マツも肩を震わせて、口を押さえている。
マサヒデは2人を見て、
「む、お二人共、縁側に。庭を向いて」
「は、はい。く、むくく」
「ぷ、うくく」
マツとクレールは縁側に出て、庭を向いて正座する。
がらっ! ぱしーん!
「もどったよー! カオル! 紙!」
どすどすとシズクが上がってきて、どすん! と居間の真ん中に座る。
マサヒデが立ち上がって、刀架から脇差を取り、
「カオルさん」
「は」
カオルが台所に下がって、皿に水を入れて持ってくる。
水を揺らしもせずにシズクの横に座り、はらっと懐紙を浮かせて、
「どうぞ」
と、シズクの額に濡れた懐紙を貼り付ける。
シズクが手で押さえて、
「よし! マサちゃん、来い! なんか、全然平気だ!」
「では」
ぴ!
「む・・・効いたか!」
「おっ! 斬れてる斬れてる! さっすがマサちゃん!」
両断された懐紙を見て、シズクが嬉しそうに声を上げる。
斬れてる? 何をしてるんだろう?
と、マツとクレールが振り向くと、シズクが紙を丸めて袂に突っ込み、
「カオル、もう1枚!」
「どうぞ」
濡れた紙を、シズクが額に貼り付ける。
シズクの前には、脇差を抜いたマサヒデ。
まさか!?
ぴ!
(嘘!?)(ええー!?)
「む・・・すみません、少し引っ掛かった? 斬れましたか?」
ぺたぺた、とシズクが額に指先を置く。
指先をみると、血。
懐紙にも血が付いている。
「あ、斬れてる」
マツとクレールが蒼白な顔で、
「シズクさん!? 血が、血が!」
「きー、ききっ、斬れてますよ!」
マツが慌てて駆け寄って、シズクの額に手を当てる。
シズクは明るい笑顔をマサヒデに向け、
「もう、マツさん、大丈夫だよー。このくらい、屁でもない。
マサちゃん、あの薬、ばっちり効いたよ!」
納めていたマサヒデの脇差が、かた、と小さく音を立てる。
「そっ・・・そうですか・・・うむ、やはり鬼族にも効きましたね」
笑いを堪えながら後ろを向いて、床の間の刀架に脇差を置く。
カオルが皿を取り上げて、台所に下がって行った。
小さく、くすくす、とカオルの笑い声が聞こえる。
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