第517話 選んだ物
魔術師協会。
玄関に手を掛けて、ぴた、とマサヒデの手が止まる。
庭の方を向くと、重く、冷たい空気。
少しして、ぴゅん! と刀が振られる音がした。
カオルだ。
真剣を振っているのだろうが、それにしても空気が重い。
静かに庭に回ると、カオルが縁側のすぐ側で、居間の方を向いて構えている。
ものすごく集中していて、忍の冷たい空気もダダ漏れだ。
ぴゅん! と振られた所で、
「カオルさん」
と、声を掛けると、は! とカオルがマサヒデの方を向いた。
縁側から、はあー・・・と、居間に居る皆の深い溜め息が聞こえてくる。
あの空気で、縁側のすぐ側で真剣で素振りをされては、皆も緊張しただろう。
すうっとモトカネを鞘に入れ、か、と小さな音を立てて納め、頭を下げて、
「おかえりなさいませ」
と、頭を下げた。
すうっと空気が軽くなる。
「そんな所で、真剣の素振りなんかしたら、皆、緊張してしまいますよ」
「あ」
と、カオルが居間の方を向くと、ぐったりした3人の顔。
「申し訳ありません!」
ば! とカオルが居間に向かって頭を下げる。
「もうやめてよー」
と、シズクの声。
マサヒデがすたすたとカオルの前に歩いて行って、居間を覗く。
マツもクレールもシズクも、ぐったりと肩を落としている。
「で、カオルさん。何でこんな所で素振りを?」
「いえ、良い稽古を思い付きまして、少し試してみようと」
「ほう? どんな稽古です」
カオルが縁側に上がって、上から吊り下げられた糸を手に取る。
下に小石が結んである。揺れないようにしてあるのか。
「手裏剣の稽古から思い付いたのです」
「ああ。なるほど。私もやりました」
木綿糸を吊って、当てられる距離を少しづつ開けていくのだ。
マサヒデは1丈(約3m)なら当てられる。
カオルは、2丈、3丈といけそうだ。
筋を立てる練習でも、糸を斬るものがある。
これは斬らずに糸に沿って、と言うわけだが・・・
「その糸からブレずに振る、という訳ですか」
「は」
「ふむ。あの2000回の振りの取っ掛かりですね?」
「は」
さて、とマサヒデが首を傾げ、顎に手を当てる。
確かにブレずに振るというのは大事だが、それは普通の振りでも同じ。
「良い思い付きですが、その稽古は、まだ早いと思います」
「と言いますと」
「まずは力を使わずに、剣を振り上げる、振り下ろす。
これが出来なければ、ただの集中力の鍛錬にしかなりません。
それと」
マサヒデは庭の木を指差し、
「あの木の枝に吊り下げれば出来ますから、次からは木で」
「は・・・」
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よ、と縁側に座って、草履を脱いで足を上げ、胡座をかいて居間に振り返る。
カオルもマサヒデの横に正座して座る。
ぐったりしたマツの後ろに、5つの箱。小さな箱が3つ、大きな箱が2つ。
「マツさん、クレールさん」
「はい」「はあい」
「残すのはその5箱で良いですか?」
2人が頷いて、
「はい」
「すっごく迷いました」
「クレールさんはホテルに置けるなら、もっと残しておいても構いませんが」
「大丈夫です! 厳選に厳選を重ねた、至高の逸品です!」
「見せてもらえます?」
「はい!」
クレールが立ち上がって、大き目の箱を持ってくる。
「まずこちらと」
戻って、もう一箱。
「こちらです!」
ぱかっと蓋を開けると、やはりティーセット。
紅茶を淹れるやかんと、カップが2個。白磁に金の細工。
もうひとつの箱には、カップが5個。銀に彫り物。
持ち手部分だけ、銀ではない。
両方とも、カップを乗せる小皿も入っている。
クレールがやかんが入った箱を指差して、
「こっちのふたつのカップは、マサヒデ様と、マツ様のでー」
もうひとつの箱を指差し、
「こっちの箱のカップが、私と、カオルさんと、シズクさんのです!
余った2つのカップは、お客様用です!」
「銀・・・」
ちら、とシズクを見る。
クレールも、ちら、と後ろに目を向ける。
シズクが割らないように。
「なるほど。分かりました。マツさんは?」
マツがにっこり笑って、
「筆と、硯と、茶碗です」
「ほう? 茶碗は高い物があるとは知っていますが、筆や硯もですか?」
「ええ」
マツが硯の箱を開けて、
「これ、最高級の硯です。私の見立てでは、金貨10枚と言った所です」
「え!?」
驚いて、マサヒデはしげしげと硯を見つめる。
長方形ではなく、角が丸い。
一杯に入った麻袋を横から見たような感じの形だ。
深くなっている方に、彫りが入っている。
「これが、金貨10枚ですか・・・」
「ええ。良い石ですよ。ケイタン石という石で作られた物です。
ちなみに、私が知っている限り、世界で一番高い硯は、金貨3000枚です。
大きすぎて使えませんけど」
「金貨3000枚!? 大きすぎるって、どのくらいあるんです!?」
「高さが5尺以上、幅は1丈と2尺半。長さは5丈です」
「はあっ!? そんなの誰が使うんです!?」
マツは小首を傾げて、
「さあ・・・竜が使うんでしょうか?
それとも、巨人でもいるんですかね?
そんな物、誰が好き好んで使うんでしょうね。うふふ」
「で・・・その筆は・・・」
「これはホウキョウ筆と言うもので、値段はそう高くはないんですが、数がとても少なくて。墨を良く吸うのに、乾きづらいという逸品です。筆の滑りも非常に良いのです」
「いくらくらいでしょう?」
すっとマツが筆を取り、
「これは小筆なので、どんなに高い物でも、銀貨10枚もしません。
大筆でも、高くて金貨1枚と言った所でしょう。
とにかく数がなくて、中々手に入らないのですよ。
新品でお目にかかることは、滅多にないのです」
「へえ・・・」
マツがそっと硯と筆を箱にしまって、茶碗の蓋を開ける。
「出た出たー!」
と、シズクがにやにやしながら声を上げる。
「これが茶碗」
と、変な形の茶碗を置く。
失敗作のように、ぐにゃっと曲がっている。
「なんです、それ?」
「歪み茶碗と言って、これも珍しい物です」
「使いづらそうですが」
「扱いには慣れが必要ですけれど、遊び心のある形だと思いませんか?」
くにゃっと歪んでいて、遊び心と言えばそんな気もするが・・・
「まあ・・・そんな気もしないでも」
「うふふ。こんな形で焼いたら、すぐに割れそうだと思いませんか?」
「割れないんですね」
「その通り」
マツが持ち上げて、ごとん、と畳の上に落とすが、割れない。
「へえ! そんな変な形に焼いて割れないのは、凄いですね」
「でしょう? これも数が少なくて。
私の見立てでは、金貨5枚から6枚です」
「え?」
茶碗と言えば、金貨何百枚とかの、恐ろしい値段の物と思ったが・・・
さすがにそれ程の値段の物は入っていないか。
しかし、この値段でも十分高い。高すぎる。
マサヒデの顔を見て、くす、とマツが笑い、
「もっと高い物を選ぶと思いましたか?」
「はい」
「うふふ。ありましたけど、私はこれが気に入ったんです」
そう言って、違棚の下の地袋の上に置く。
「今度、マサヒデ様に茶をお教えしましょう。
武士たる者、茶の一つは覚えませんと」
「ははは! 私は武士ではないので、結構です。
まあ、武士と言えば武士でもあるかな?」
「あら。違うんですか?」
「ただの武術家で、いわゆる浪人ってやつです」
あ、とクレールが声を上げて、
「浪人! 知ってます!
だからマサヒデ様は、外に出る時はいつも笠を被ってるんですね!
でも、着流しは家の中でしか着てませんね?
棒もくわえてないですし」
ぷ、とマサヒデは吹き出して、
「ははは! また変な勘違いしてますね!
簡単に言うと、どこかに仕えて稼いでいる人が武士です。
家を離れ、誰にも仕えず、仕事がないのが、浪人。私とシズクさんですね。
お奉行様とか、ハチさんは奉行所務めなので、武士です」
「ええ!? では、冒険者さん達は、ギルドに務めてるから、武士ですか?」
「ちょっと違いますがまあそうです。商人と武士を足して割ったくらいかな」
「マツ様は武士ですか?」
「そうとも言えませんが、そうとも言えます」
「ではでは、ハワード様は、お仕事をしておられませんから浪人?」
「アルマダさんは普通に貴族です。ハワード家を離れてません。
浪人か武士かと言うと、武士です。
道場にも勇者祭にも、家からの命令で。これは仕事と言って良いでしょう」
は! とクレールが顔を上げて、
「あっ! では、お父様は、貴族でも公務員でもないから!」
「商人です」
「ああーっ! ではでは、私は、家を出てしまいましたから、浪人!?」
「あなたはレイシクラン家は離れましたが、トミヤス家に入りました。私のように放逐もされていないので、浪人ではないです。でも、どこかに仕えて稼いでいるわけではないので、ただの町人です」
「ええー! 一番格好悪い所じゃないですか!」
「ははは!」
皆が笑い声を上げた。
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※武士、侍の意味は時代でかなり変わります。
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