第146話 平民の食


 サクマの騎馬戦講座が終わり、マサヒデもカオルも感心し、手を付いている。

 2人をその様子を見て、サクマは腕を組んでにやにやしながら声を掛けた。


「さあて、マサヒデ殿。授業料を頂きましょうか」


「え! 授業料ですか!?」


 驚いてマサヒデもカオルも顔を上げる。


「サクマさん!」


 慌ててアルマダが駆け寄ってくる。

 

「アルマダ様、ご安心下さい。何も、金をせびろうってわけじゃありません」


「あなた・・・何をせびろうっていうんです?」


 胡乱な目を向けるアルマダにちらと目を向けた後、サクマは白百合に目を向けた。


「白百合に乗せていただきたい。今日一日、我らにお貸し願えませんか。

 アルマダ様、どうです、この授業料? アルマダ様もご興味がありましょう?」


 アルマダに笑顔で向き直るサクマ。


「む・・・」


 アルマダも興味があったのか、言葉が詰まる。


「皆さん! どうですか! 白百合に乗ってみたくありませんか!」


 サクマが大声を上げると「乗りたい!」「乗りたいです!」と次々に声が上がる。


「どうです、マサヒデ殿。この授業料。ちゃんと、夜までには厩舎にお返し・・・

 いや、もしかして、魔術師協会の庭ってことは、ないですよね?」


 マサヒデもほっとして、サクマに笑顔を向ける。


「そんなお安い授業料でしたら、お支払い致します。

 白百合も、熟練の騎士様達に乗って頂けるとあらば、喜びましょう」


 サクマはにこりと笑い、頷いた。


「マサヒデ殿、ありがとうございます。

 皆さん! この授業料、しかと頂きましたよ!

 今日一日、白百合は我らがお賃りします!」


 皆から「やったー!」と声が上がる。


「馬屋の厩舎でよろしいですね?」


「はい。まだ人を乗せると、少し不安気な感じですので、お気を付け下さい」


「ははは! マサヒデ殿、剣では敵いませぬが、馬に関しては我らの方が上ですぞ!」


「や、そうでした。これは失礼を・・・」


「白百合を傷つけるような事は致しません。ご安心下さい」


 サクマは立ち上がり、白百合に顔を向けるアルマダに声を掛けた。


「アルマダ様。一番手は私にお譲り頂けましょうな」


「もちろんです」


「ははは! 一番手、このサクマが頂きましたぞ!」


 サクマは白百合に近付き、手綱をとって、ぽんぽん、と首を叩く。


「今日一日だけ、よろしく頼む」


 と声をかけ、草むらをかき分けて道に出て行った。


「ふう・・・サクマさんも仕方ないですね・・・

 しかし、正直に言って、私も乗ってみたいです」


「アルマダさんも、やはり興味ありますか」


「ありますね。ちょっと見ただけで分かります。あれは良馬だ。是非、乗ってみたい・・・」


 外から蹄の音が聞こえ、「おお」「すごいぞ!」と興奮したサクマの声が遠ざかって行く。


「馬の住処は抑えてあります。今度、捕まえに行きましょうか」


「是非とも」


 ぐい、とトモヤが顔を寄せる。


「のうマサヒデ、ワシも乗って良いかの?」


「もちろんだ。大人しいから大丈夫だと思うが・・・

 振り落とされたり、逃げられたりするなよ」


「うむ、気を付ける」



----------



 あばら家を出ると、カオルが話し掛けてきた。


「ご主人様、大丈夫でしょうか? 奥方様が怒ったりしませんか?」


「大丈夫ですよ。どうせまだマツさんは乗れませんし。

 それに、アルマダさん達は、乗馬の熟練者です。

 皆さんに乗ってもらえば、早く人を乗せることに慣れてくれます」


「なるほど、そんなお考えが」


「そういうことです。しかし、良い話を聞けましたね」


「ええ。あれが熟練の乗馬騎士というものなんですね。

 単純明快にして、実に効果的。幅広く応用もきく。

 騎馬の長所も短所も知り尽くしていました」


「最後の言葉、覚えてますか。

 頼もしい旅の友として、長くお付き合い下さいって」


「はい」


「ただの乗り物とか武器としてじゃなく、馬は友なんですね」


「ええ・・・我らも、友として付き合わないといけませんね。

 でなければ、馬の方も、我らに心を開いてくれない。

 主が危機とあらば駆けつけると・・・馬とは、そういう生き物なのですね」


「同じ生き物、心があって当然。

 ちょっと、私はそういう所を忘れていた気がします」


「私もです」


「・・・さて、ここでカオルさんにひとつ頼みが」


「なんでしょう」


「あの、三浦酒天の弁当、10人前ほど、クレールさんに届けてもらえませんか?

 10人前じゃ足りないと思いますが。お酒もお願いします」

 

「ふふ、クレール様もお喜びなされ、驚きましょうね」


「平民の料理とはいえ、マツさんが大喜びするほどです。必ず口に合います。

 1箱くらいは、あの執事さんに分けて上げて下さい、とお言伝を」


「承りました」


「よろしくお願いします」



----------



 マサヒデが家に帰り、紙を広げてサクマから聞いた戦い方をまとめながら、するすると筆で円を描いていた頃。

 ホテル・ブリ=サンク、クレールの部屋。

 

「おおー! これがマサヒデ様が送ってきて下さったお弁当!」


 クレールが箱を開いて、目を輝かせていた。


「何でも、平民の料理ながら、必ず我らにも満足頂けるとの事。

 ただの居酒屋でありながら、貴族の方々も足を運ばれる、という店だそうです。

 安い食材で、ここまでの味を出せる腕は、一流シェフにも劣らないのでは、と。

 味はマツ様、ハワード様のお墨付きだそうで。

 酒もご用意下さいました。こちらに」


「へえー!」


「お嬢様、それと・・・」


「なんですか?」


「その・・・私にも、1箱分けるように・・・と・・・」


「・・・」


 クレールはじとーっと執事を見つめる。


「・・・じゃあ、これを」


 仕方ないなあ、といった感じで、執事に1箱差し出す。


「ありがとうございます」


「では、頂きましょうか。あなたもそこに座って一緒に食べましょう」


「は」


 以前は座って一緒に、などと決して言わなかった。

 これもマサヒデ様の・・・

 と、執事は感謝しながらソファーに座る。


 だし巻き卵をつまんで見る。


「・・・これは、卵ですね・・・」


 ぱくり。


「!」


 じわりと口に広がるだし巻きの味。

 ふわりと柔らかい口ごたえ。

 卵の風味に、辛すぎず、甘すぎず、絶妙の味を混ぜるだし。

 これが、ただの安居酒屋の弁当か!?

 これだけで米がいくらでも入りそうだ。


「お、お嬢様!? この味は!」


「これが、これが、平民の居酒屋の味!?」


「わ、私、信じられません!

 むう・・・貴族も足を運ぶとは、真でございましたな・・・」


「マサヒデ様・・・こんな店をご存知とは・・・」


 もうひとつ、だし巻き卵を放り込み、がっ! と白米を口に入れる。

 ごくりと飲み込んで、てりやきに目を付ける。


「・・・」


 箸の先が細かく震える・・・

 震えをぐっと押さえ、口に入れる。


「ん!」


 表面の甘いタレの醤油の香りと、炭の風味。

 その下にある皮は、ぱりっとした口ごたえがありながら、固くない。

 中まで歯を通せば鶏肉の筋があるが、柔らかく、するっとほぐれる。

 しっかりと鶏の食感を残しつつ、しかし簡単にほぐれてゆく・・・


「この焼き加減は!? 安い食材でこれほど鶏肉を柔らかく!?」


「・・・正に職人技でございますな・・・」


「この料理を作ったシェフは、一体何者!?」


「ううむ・・・これが市井に埋もれた達人・・・

 いや! 正に名人というべき者! 惜しい!

 当家のシェフとして招いても、おかしくない腕でございますな・・・」


「ええ・・・怖ろしさまで感じます・・・次を・・・」


 クレールは次の料理に箸を伸ばす。

 小松菜と人参・・・付け合せのサラダだ。

 火が通してあり、人参は柔らかくなっている。

 これは何だろう? 何か黒くて細い・・・


 ぱくり。


「!」


 この黒い物は昆布? 昆布の香りが口に広がる。

 塩がきいているが、塩辛さはなく、柔らかい塩・・・

 そして小松菜。

 火が通してあるのに、しっかりと口ごたえがある。

 固すぎず、柔らかすぎず。

 人参。

 千切りで、固くなく、柔らかい。しかし、歯ごたえがしっかりと残っている。

 全く臭みがないのに、独特の風味が程よく残っている。

 しかし、風味も強くなく、昆布の風味と混じって絶妙の香りのバランスを保つ!

 昆布の塩が、小松菜と人参に混ざり、味を引き締めている!


「この味と香りは昆布ですね・・・塩、噛みごたえ・・・何というバランス!」


「これは、ただの付け合せではありませんな。

 味の分かる方だとは思いましたが、マサヒデ様は鍛えておられたのですね」


「この火の通し加減は、只者ではありませんね・・・」


 クレールがここで「は!」と気付く。

 そうだ。酒もあった。我が家の酒に敵うわけがないのだ!


「そうそう。お酒もありましたよね。

 注いで下さい。ワインとは違うみたいですけど」


「ふっ・・・お嬢様。さすがに酒は当家に敵いますまい・・・」


 とくとく。

 ついていたお猪口に酒を注ぐ。


「んー・・・変わった器ですね?」


「見たこともありませんな。これが平民の器、という物でしょうか?」


 器をしげしげと見つめる、クレールと執事。


「あまり詳しくはありませんけど、茶器にも似てますね?

 ・・・それにしても、随分と小さいですね」


「ふ、平民らしい。ほんの少しずつ、という作りなのでしょう。

 この酒瓶も、随分と分厚くて重い。また無駄の多い作りですな」


 すんすん。

 匂いを嗅いで見る。


「・・・これは・・・変わった香りですね? 甘いような・・・

 色も綺麗に澄んでいます。見た目は水みたいですね。どんな味でしょう・・・」


 こくん。

 味見に少しだけ、口に入れてみる。


「はっ!」


 独特の香りが一瞬口に広がり、鼻の奥をつく。だが、それは一瞬。

 まるで水を飲んだかのように、するりと喉を通り抜ける・・・

 そして、口の中。

 鼻をつく甘い香りは一瞬ですっきりと消え、淡い香りだけが口に残っている。

 ふくよかな、甘い果実のような濃い香り。それが喉を過ぎれば、ほんの少しだけ。

 癖がなく、喉越しも良く、まるで水のように、すっと喉を抜けていく。

 この酒はいくらでも飲める!

 このすっきりとした味わいは一体何だ!?


「・・・」


「お嬢様、どうされました?」


 もうひとつ、執事に用意されたお猪口をとって、ぐいと手渡す。

 手が細かく震えている。


「・・・あなたも、お飲みなさい・・・」


 これは尋常の酒ではない!

 執事もクレールの様子からそれを悟り、そっとお猪口を受け取る。


「では・・・遠慮なく・・・」


 手酌で酒を入れ、恐る恐る口に入れる・・・


「む!?」


 執事の手が震え、お猪口の中に残った酒がふるふると震えている。


「お、お嬢様!? これは・・・まるで水のように!?」


「マサヒデ様は、これが、平民の安酒だと、お送り下さったのですね?」


「は・・・しかし、何と芳醇な香りか・・・そしてこの喉越しの良さ・・・」


「くっ・・・マサヒデ様! これが平民の安酒と!?

 ご好意とは分かっていますが・・・この味と香り! 怒りすら覚えます・・・

 店の名前は聞きましたね!?」


「は! 三浦酒天と!」


 ぎり、とクレールが小さく歯ぎしりをする。


「覚えておきます。三浦酒天ですね!

 この酒、何本かお父様とお母様にお送りするのです!

 『これがただの平民の安酒です』と明記して添えておくのです!

 く・・・製造元と銘柄も、必ず聞いて・・・そちらも・・・」


「は!」


 ワインのレイシクラン。酒で名を売るレイシクラン。

 そのレイシクランを唸らせた酒が、平民の安居酒屋に並ぶ安酒とは!

 クレールと執事は、三浦酒天の弁当と酒に憤りを感じながら、舌鼓を打つ・・・

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る