第110話 準備・4


 マサヒデが名刀を抱え、震えながらマツの家に帰っている頃。

 トミヤス道場では、マサヒデの父、カゲミツが門弟に稽古をつけていた。

 

「しゃおらー! もっと打ち込んでこいやー!」


「はい!」


 ばしん! ばしん!

 

「もっと腰を入れろ! 腰だ!

 足を前に! 背を伸ばせ! 腰を浮かせるんじゃねえ!」


「カゲミツ様ー! お手紙が届きましたー!」


「ていっ、と」


 軽く門弟の打ち込みを流し、前に崩れた門弟の尻をぱーん!と叩いて、

 

「もうちょい腰だ、腰。浮かせるな」


「はい!」


 すたすたと歩いて、手紙を持ってきた門弟の所に来た時、カゲミツの目が光る。


「お前、どこの者だ」


「こちら、マサヒデ様から預かって参りました」


「ふーん・・・そうか。マサヒデからか。ご苦労さん。返事はいるか?」


 手紙を受け取る。


「いえ。では失礼致します」


「・・・ちっ! あの野郎! 今のは姫さんの忍か? まったく・・・

 ・・・そういえば・・・姫・・・姫・・・何だっけ・・・」


 封書を見て、何かカゲミツに不安がよぎる。

 何か、この手紙は危険な気がする。

 カゲミツの直感的な勘が、危険を告げる。

 

「・・・」


 だが、読んでみなければ分からない。

 もしも魔王様の招聘、とかだったら大変だ。

 思い切って、開けてみる。


『カゲミツ=トミヤス様


 長らくお待たせ致しました事、お許し下さい。

 やっとオリネオの町も落ち着き、妻の挨拶の準備が整いました。

 

 急ではございますが、明日、妻を挨拶に行かせます。

 昼過ぎにそちらへ到着する予定です。

 

 また、この町で、私と親交を深めました者を随行させます。

 トミヤス道場を是非とも訪ねたいとの強い願いを受け、その者らも随行させます。

 

 随行者は2名。

 

 1人はラディスラヴァ=ホルニコヴァ。

 治癒師として働いておりますが、鍛冶屋の産まれ。

 素晴らしい鑑定眼を持っております。

 よろしければ、父上のお持ちの品のうち、1本でも彼女に見せて頂けると、嬉しく思います。


 1人はシズク。

 魔の国の産まれ、鬼族の者です。

 怖ろしい剛力と、怖ろしい程に磨きを掛けた、素晴らしい棒術の使い手です。

 トミヤス道場にいたく感心しており、1日だけでも、是非稽古に参加したいと申しております。


 この者達もお迎え致してくれますと、このマサヒデ、嬉しく思います。


 今まで都合の取れませんでしたこと、また、急ぎの話になること、伏してお許し願います。


 不肖 マサヒデ=トミヤス』


 カゲミツの、手紙を持つ手が震えだす。

 ついに、魔王様の姫が来る!

 それも、明日だと!?


「おい! てめえら! 気ぃ抜くなよ! ちっと離れるからな!」


 と、道場に大きな声を掛けるが、心臓は破裂しそうだ。

 まず、アキにこれを見せなければ・・・

 

「・・・」


 余裕を持って歩いているように見えるが、足が完全に浮いている。

 道場から振り返ると、さー・・・と血の気が引いていく。

 がらり。本宅の戸を開ける。


「あら、何か忘れ物でも?」


「マサヒデから手紙だ」


「マサヒデから? まあ嬉しい」


「読め」


 アキに手紙を差し出すカゲミツ。

 やけに顔色が悪い。

 なんだろう、と受け取るアキ。


「手紙・・・手紙? はっ!」


 アキも気付いた。

 顔から血の気が引いていく。

 前の手紙を思い出す。

 マサヒデの妻。魔王様の姫。『挨拶に行かせます』


「あ、あなた・・・く、来るんですね・・・?」


「ああ・・・来る」


 はらりと手紙を開く。


 『急ではございますが、明日、妻を挨拶に行かせます。

  昼過ぎにそちらへ到着する予定です』


「あ、明日!? 明日ですか!?」


「ああ・・・」


「い、急いで掃除しませんと! 服! 礼服の用意を!」


「よし! 掃除は門弟に手伝わせる! お前は礼服を用意しろ!

 もう腹を括るしかねえ!」


「は、はい!」


「金も出しとけ! 茶と、菓子と・・・えーと、えーと・・・

 とりあえず、掃除を済ませる!

 買い物は門弟に行かせる! 蔵から一番良い器を出しとけ!

 何が必要になるか分からねえ! 茶碗、グラス、全種類だ!

 器とかは下の右奥の方に放り込んだはずだ!」


「はい!」


「頼むぞ! 俺は道場から門弟を連れてくる!」


「はい!」


 カゲミツは道場に向かいながら、ゆっくり歩く。

 顔色も既に通常に戻り、一見はいつものカゲミツ。

 しかし、その心中は・・・


(やべえよ・・・どうすんだよ・・・ちっとでも機嫌損ねたら、この村、いや地域ごと・・・)


 はっと気付くと道場前。

 ぐっと息を飲んで、気を落ち着かせる。

 ふう、と息を吐き、もう一度吸い込む。


「よーし! お前ら、ちっと聞いてくれー!

 明日、急に偉いさんが来ることになっちまった!

 ちと真面目に出迎えねえといけねえ、って客だ!

 すまねえけど、何人か掃除を手伝ってほしい! 誰か頼めるか!」


 道場がざわつく。

 貴族の門弟は多くいる。

 彼らの家族相手でも、カゲミツのいつもの態度は変わらない。

 それでも真面目に出迎える、となると、余程の大貴族か・・・もしかして・・・


「誰か手伝ってくれねえか!」


「やります!」


 全員が声を上げた。

 カゲミツの顔が、明らかに緊張している。

 これはやばい客だ。

 少しでも粗相があると、道場が・・・!


「すまねえな! じゃあ、お前とお前とお前は・・・」


 この日、トミヤス道場は大掃除と買い物で大忙しになった。



----------



「・・・」


 マサヒデとカオルが、緊張した面持ちで、ラディの家から買ってきた刀を見つめている。

 カオルの喉が鳴る。


「これが・・・ラディさんの、お父上の・・・作・・・」


「はい・・・」


 白木の鞘に納まった刀から、何かが溢れ出てきそうな雰囲気を感じる。

 抜かなくても、これは逸品だと分かる。


「刀剣は詳しくありませんが・・・これは違いますね・・・空気が・・・」


「はい・・・」


「これが、この逸品が、金貨249枚・・・ですか・・・」


「娘を249枚で雇ったのなら、同じ値段で良い、と・・・

 自分が打った作だから、我が子も同然、と・・・」


「この作、名は」


「特にないそうです」


「名が、ないのですか? これほどの作に、名がないのですか・・・」


「驚きました。ラディさんのお父上が、これほどの作を打たれる方とは・・・」


「ラディさんが、鍛冶師になりたい、と仰られるわけですね。

 お父上が、これだけの作をお打ちになるのを、見ておられたのでしょうから」


「今度、我々のも打ってもらいましょうか」


「・・・次は、いかほどかかりますかね・・・」


「また、249枚で収めてくれれば・・・打ってもらいましょうか・・・」


「そうですね・・・」


 すたすた。

 

「マサヒデ様! カオルさん! これならいかがでしょう!」


 マツが綺羅びやかな着物を着て、くるくる回る。


「あ、マツさん」


「あら、そちらがお土産ですか?」


「はい。ラディさんのお父上が打った作だそうで」


「へえ・・・」


 マツが桐箱に収められた刀を覗き込む。


「うーん・・・よく分かりませんが、良い物なんでしょうか?」


「これは名刀だと思います。名はない、と仰られていましたが・・・

 名がないなんて、そんな作ではありませんよ」


「? そんなに良い出来なんですか?」


「ええ・・・これほどの作、手にすることが出来るだけで・・・」


「あ、じゃあ私のも見てもらえますか?

 国を出る時に、お父様からもらった物なんですが、私には良し悪しが分からなくて。

 とりあえず綺麗ですし、お土産には恥ずかしくないかな、と」


「お父様と言いますと・・・魔王様から?」


「はい。ナイフなんですけど。

 あまり良くないものでしたら、別の物を考えませんと」


 魔王様のナイフ。

 マサヒデとカオルにちらりと不安がよぎる。


「とりあえず、綺麗・・・?」


「はい! 今持ってきますね!」


 ととと・・・


「・・・」


 マサヒデとカオルが顔を見合わせる。

 一体、どんな作が・・・


「これなんですけど」


 綺羅びやかな、宝石がいくつもはまった、燦然と輝く金色の箱。

 この箱は、一体、いくらするのだ!?

 ぱかっとマツが箱を開ける。

 

「うっ!」


「これは!?」


 箱の中に、濃い紫色の宝石がはまった、これまた金色のナイフ。

 目が眩みそうだ。


「・・・」


「どうでしょう? ちょっと見てもらえませんか?」


「はい・・・」


 震える手で、マサヒデが手に取ろうとするが・・・

 

「はっ!?」


「え!?」


 マサヒデとカオルは、驚いて声を上げてしまった。

 指先が触れた瞬間、鞘の中から黒い霧のような物がにじみ出てきたのだ。


「!?」


 驚いて手を引っ込めると、霧が消えていく・・・

 魔王様のナイフ!

 これは、まさか! このナイフは、まさか!


「マサヒデ様、ちゃんと抜いて見てもらえせんか?

 私には良く分からないので」


「あ、あの、お父上はこれを何と?」


「お前はそこそこ魔術が使えるから、土産でも贈る時に使えって」


「・・・そ、そうですか・・・」


「マサヒデ様のお父様も、刀剣が好きだそうですし、ちょうど良いかなと」


 つー・・・、とマサヒデの額を汗が落ちていく。


「ご、ご主人様・・・あの、これは・・・」


 カオルの顔を見て、こく、と小さくマサヒデが頷く。

 これはおそらく・・・


「で、では・・・」


 そっと手を伸ばし、ナイフを手に取る。

 鞘から霧がにじみ出る。

 震える手で、そっと抜いてみると、もやもやとナイフの刃から霧が出ている。

 柄は宝石できらきらと輝いているのに、刃はまるで光を吸い込むように、全く光を反射していない。


 ただのきらびやかなナイフではない。

 握った手から、何か伝わってくるのを感じ、全身を満たす。

 ただの魔術がかかっている品、というものではない。

 明らかに、刃の奥の方から、何らかの力が伝わってくる。

 間違いない。これは、魔剣だ。

 世界に数本しかないと言われる、魔剣のうちの1本だ。

 何らかの怖ろしい力を持っているはずだ。


 マサヒデの手が震える。

 カオルも小刻みに震えながら、目を見開いてナイフを見つめている。


「どうでしょうか?」


「す、すごく良いんじゃないでしょうか! 父上も喜ぶと思います!」


「ええ! 私もすごい逸品とお見受けしました!

 さすが奥方様! 良い品をお持ちですね!」


 2人は固い笑顔でマツに笑いかけ、マサヒデはナイフをそっと鞘に入れた。

 箱に置いて手を離すと、霧がぴたりと止まる。

 

「あ、あの、奥方様・・・その・・・

 よろしければ、よろしければですけど、私も、持ってみても・・・」


「あ、そうですね! カオルさんはこういう短いのが得物ですもの。

 どうぞ、見てみて下さい」


 カオルが震える手を伸ばす。

 指先が触れた瞬間、やはり黒い霧のようなものが、鞘から溢れ出る。

 ごくり、とカオルの喉が鳴る。


「・・・」


 すー、とゆっくり鞘から抜く。

 瞬間、カオルの身体に、何かが走り抜ける感覚。

 握った手から、身体中に何かが伝わる。

 剣の奥から、何かが直に伝わってくる。

 間違いない。これは魔剣だ・・・

 背中がぞくり、とする。

 今、この手の中にあるのは、怖ろしい力を秘めた、魔剣。


 ごくっ、とつばを飲み込み、カオルはそっと鞘に収めて、箱に戻した。


「やはり、これは素晴らしい逸品かと!

 その・・・持ってみて・・・分かりました・・・」


「すごい品ですよね・・・」


 マサヒデが少し青い顔で、カオルに呟く。


「はい・・・」


 まさか魔剣が土産になろうとは・・・


「お母上には香水を贈ろうと考えておりまして。

 ですが、実際に会ってみませんと、どのような香りが合うかは・・・

 少しお待ち頂くことになりますけど」


「こ、香水ですか」


「はい! お父様とお母様に頼んで、良い物を送ってもらいます!」


 どんな香水になるのか・・・

 つけると姿が消えるとか、姿が変わるとか・・・

 怖ろしい物でなければ良いが・・・

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