第2話 馬
父と母は門まで見送りに来てくれた。
道場では笑っていた母が、泣き笑いの顔で笑って見送ってくれた。
「さて」
荷物を背負って歩いていると、トモヤが話し出した。
「勇者祭じゃがの、あと3日じゃ。準備をすませんとな」
「準備」
「勇者祭に参加するには、届け出が必要じゃ」
「届け出? そんなものが必要なのか」
「国を挙げての祭りに出るんじゃ、当然じゃろうが・・・」
「そんなものか?」
トモヤは呆れ顔だ。
「それとシロウザ、いや、マサヒデか。あとなあ、こんな荷物背負って旅はないだろう」
「む、それもそうだな」
「馬がいる。もう3日しかないぞ。あらかた売れちまっとるじゃろうが、何とか探さんとならんぞ」
「うむ・・・村に売り手があるかの?」
「期待はできんの」
「む、そういえばトモヤ、お主は前々から祭りに出ると言っておったではないか。馬はないのか」
「むう、厳しい所を突くの。金が用意できんかったんじゃ。仕方あるまい、勇者祭となれば、そこら中で馬の取り合いじゃ。高くなっとる」
父が持たせてくれた金を思い出したが、長旅だ。なるべく使いたくはない。
「馬か。おう、そういえば山の方によくおったではないか。捕まえに行くか?」
トモヤはうーむと考え込んで、
「捕まえられるかのう。ワシらに捕まえられるなら、馬屋があらかた捕まえておらんかの?」
「まあそうかもしれんが、そう遠くもない。見に行くだけなら金はかからん。ところで・・・」
「なんじゃ」
「トモヤ、俺は放逐の身だ。祭りまで、お主の家に泊まらせてもらって良いか?」
「わははは! 良いぞ! わははは!」
何がおかしいのか、トモヤは大笑いした。
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村役場での祭りの参加への届け出はすぐに終わった。
名前の欄に「マサヒデ=トミヤス」と書くと役人が不思議そうな顔をしたが「勇者祭に出るにあたり、父より新しい名を頂きまして」と言ったらすぐに通った。元々小さな村なので、村人は皆が知り合いだ。
また、元々の村の人口は少ないし、近隣の貴族の息子達は一度家に帰ってから実家の街で届け出をする。金に物を言わせた装備で身を固め、護衛を雇っての参加となるからな、この村で参加受付など少ないのだ、とトモヤが教えてくれた。
「さあて、届け出も終わったし、馬を探しに行くかの」
村役場の外で待っていたトモヤは眠たそうな声を出した。
「うむ」
馬がいる山の方へは一刻ほど。本当にすぐ近くで、馬屋が既にあらかた捕まえてしまっているだろう。だが、運良く1頭でも残っていれば儲け物だ。
「お」
トモヤが目を細めて山の方を見て、
「いるぞ」
と指さした。マサヒデも目を細めてその方向を見た。
「いるな」
1頭だけ、馬が見える。
野生の馬は群れているものだ。はぐれて運良く捕まらなかったのか、使い物にならないような馬か。人を乗せられないような老馬でも、荷物持ちにはなる。見に来て良かった。
「さてマサヒデ。馬はいたが、どうやって捕まえる?」
「知らぬ」
「ううむ」
2人はしばらく考えたが、何も浮かばない。
「ううむ、とりあえず、近くまで行こう」
「そうじゃの」
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「のう、トモヤ。本当にあれで良いのか?」
「随分と頼りないの。まあ荷運びじゃから、乗れずとも良いが」
貧相という言葉がそのまま馬になったようだ。ボサボサの伸びた尾を振りながら、こちらを警戒しているのか、首をこちらに回してマサヒデとトモヤの二人からじっと目を離さない。
「さて、ここまで近づけはしたが、どうしたものか?」
「ゆっくりと、もっと近付くんじゃ。ほれ、馬屋が暴れてるやつをなだめてるのを見たことがあるじゃろう。あれを試してみようではないか」
「おお、良い考えだな」
などと言ってみたものの、それで良いのか、二人とも野生馬の扱いなどとんと分からない。
「ではマサヒデ、任せる」
「何? 俺がやるのか?」
「ほれ、お主の剣の間合いとか気迫とか、そういう感じじゃ。縄さえ掛けてくれれば、ワシの剛力の出番というわけじゃ」
たしかに力だけならトモヤは村一番で、マサヒデも道場の門弟たちも力比べでは敵わなかったが・・・
「その縄を掛けるのが一番大変じゃないか」
「ワシのようにゴツいのが近付いたら、熊でも逃げちまうぞ。マサヒデ、お主が適役じゃ」
「仕方がない、やってはみるが期待するな」
警戒はされているが、とにかく脅かさないよう近付けば・・・
マサヒデが立ち上がると、馬はぴたりと動きを止めた。
「おい」
「黙っていろ。任せると言うたではないか」
まだ逃げる気配はない。マサヒデはじりじりと少しずつ足を進めたが、
(いかん。逃げる)
と、直感的に分かり、足を止めた。
馬とマサヒデの間に、ぴいんと張った糸のような緊張感がある。
あと指先のような距離でも足を進めたら、糸が切れ、馬は逃げる。
(どうするか)
緊張感がトモヤにも伝わっているのだろう、後ろで息を飲んでいるのが分かる。
(剣の間合い、気迫か)
トモヤが言っていた言葉を思い出した。
(力を抜く)
受け流し、間を外し、躱し、相手の力が抜けた一瞬。あれだ。
すうっとマサヒデの身体の力が抜けた。
そのまましばらく馬を見ていると、まだ緊張感はあるが、先程より張りが緩くなっているのを感じた。
じり
と、足を進めた。馬は逃げない。
自然と、す、と足が出た。これ以上近付けば逃げられると感じた距離が、ゆっくりと近づいてゆく。
す、す、と一歩ずつ。
と、
「ひひいん!」
馬がいなないた。
「あっ」
トモヤの声が後ろから聞こえた。
「大丈夫」
自分に言ったのか、トモヤに言ったのか、馬に言ったのか。「大丈夫」という言葉が出た。
馬は首を振り、前足を上げ、今にでも走り去りそうだ。
「大丈夫」
もう一度、マサヒデが言って、馬へすうっと近付いた。
馬は逃げず、マサヒデは馬の首に手を当て、そっと撫でた。
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「いやあ、お見事!」
持ってきた縄を馬の首に括り付けると、トモヤが近付いてきた。
馬はまだありありと警戒の色を見せているが、暴れることはなかった。
「さすが武術の天才は違うのう! 人馬一体ならぬ剣馬一体じゃの!」
「おい、大声を出すな。驚くと暴れるぞ。さあ、縄を持て」
「おう、任せろ。このトモヤ様の怪力で村まで引っ張ってってやるわ」
トモヤが縄を持つと、意外にも馬は大人しく後をついてきて、自慢の怪力の出番はなかった。
村へ向かって歩きながら、
「さてマサヒデ。馬を捕まえたは良いが」
「なんだ? まだあるのか?」
「うむ、この馬に蹄鉄や鞍、手綱なんかを付けねばなるまい。この出費は避けられぬ」
「む、確かに」
「それに、まだまだ慣れておらぬ。このままでは、蚊に刺されただけで荷物を載せたまま走り去ってしまうぞ」
「俺達もこの馬も、互いに仲良うせねば、ということか」
「そういうことじゃ」
「3日で仲良うなれるものか?」
「こいつ次第じゃな」
と、トモヤが馬を見た。
「おお、そうじゃ。名をつけてやらねばの」
「名か」
「道々考えるとするか。
「ふーん、女子らしい名か。トモヤ丸で良いか?」
「わははは! トモヤは女子らしいか! 残念ながら、ワシはこいつほど小心者ではないぞ」
二人は馬の名前で笑いながら、村へ向かった。
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馬の名は「ヤマボウシ」に決まった。ボサボサのたてがみ、山にいたこと、女らしい名前、ヤマボウシは花の名、ということで、マサヒデはぴったりだと思った。
村で人を見ると足を止めたりいなないたりしたが、何とかトモヤの家までは連れくることが出来た。
「とりあえずこの木に縛り付けておこう」
と、トモヤが庭にある木に縄を縛り付けた。
「のう、トモヤ。馬に蹄鉄が必要じゃと言ったな」
「おう、それがどうかしたか」
「鍛冶屋に頼まねばなるまいの」
トモヤは「あっ」という顔をして、
「3日で出来るものなのかの?」
「さて、分からぬ。鞍も用意せねばならぬし、馬屋に聞いてみるか」
「やれやれ、忙しいのう。行くか」
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「おう、これはこれは。トミヤスの若様じゃないですか」
「こんにちは」
馬屋に行くと、4頭の馬が並んでいた。その馬を見ていると、改めてヤマボウシが酷い馬に感じる。
「勇者祭でご入用で? すみませんが、あいにく、ここの馬は全部売約済みで」
「いえ、馬は捕まえてきたんですが、鞍や蹄鉄なんかが必要でして」
「こりゃ驚いた。若は野の馬ぁ捕まえれるんですかい」
「運が良かっただけですよ」
「いや、ワシも一緒に行ったんだが、すげえもんだったぜ!」
と、トモヤが興奮して話し出した。
「ビビって今にも逃げそうな馬だったんだ、そこへすうーっと近付いてな、気付いたら馬の首を撫でてたんだ! 剣の名人は馬も簡単にひっ捕まえられるってビビっちまったよ!」
「ほう、そりゃあアタシも見てみたかったな」
「それでな、捕まえた馬の名前が『ヤマボウシ』ってんだ」
「やまぼうし?」
「メスだから女子らしい名前にしようってな。ヤマボウシってのは花の名前なんだと」
「へえ」
「捕まえた後がまた大変でなあ、ワシの怪力でぐいぐいと・・・」
「トモヤ。鞍だよ」
と、話しが長くなりそうだったのでトモヤを止め、
「さっきもお話ししましたが、まあ野っ原にいた馬ですからね。鞍やら手綱やらが必要でして」
「ええ、それならご用意出来ますよ。まずは大きさが分かりませんから、見に行きましょう。捕まえてきたばかりってんなら、ここまで連れてくるのも大変でしょう」
「すみません。お手数をおかけします」
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「こりゃまた・・・」
貧相な、とでも言いかけたのか、馬屋は後の言葉を飲み込んだが、
「別に乗るわけではないんですよ。ただの荷運びです」
と、ヤマボウシを見て言った。控えめに言って貧相だ。
「ああ。じゃあ荷車も? にしても、こいつじゃあ荷車はちと」
「そんなに荷物は多くないので、少し載せられればいいんです」
「がってんです。ちょうどいい荷運びの鞍がありますよ。鞍袋つきです」
「それと蹄鉄なんですが、これはすぐ出来るものなんでしょうか?」
「ああ、鍛冶屋の野郎に頼めばすぐですよ。明日には出来ますよ」
「それでは、よろしくお願いします」
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馬屋に鞍や手綱を頼み、マサヒデとトモヤは縁側に座ってヤマボウシを見ていた。
「間に合いそうで良かったな」
「ああ」
ヤマボウシは少しは村に慣れたのか、のんびりと草を食べていたが、マサヒデ達が来ると顔を上げ、ぴたりと動きを止めて、こちらをじっと見ていた。目にははっきりと警戒の色が見える。
「これじゃあまだまだだなあ」
「そうじゃのう。人に慣れねばの」
そこへ、トモヤの母が茶を運んできた。
「さ、どうぞ。お茶うけもなくて申し訳ありませんが」
「あ、これはお気を使わせてしまいまして」
「ほれ、トモヤも飲みな」
「ありがとよ」
ずずっと音を立てて、トモヤが茶を飲んだ。
「おう、そうじゃ。のう、トモヤ。勇者祭とは、危険なものだと聞いてはおるが」
「うむ?」
「なにゆえ『勇者』なのだ? 別に魔王を殺しに行くわけではないのであろう?」
はあ~っ、とトモヤはため息をついた。
「マサヒデ、そんなことも知らんのか」
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