勇者祭
牧野三河
第一章 旅立ち
第1話 放逐の朝
「おう、シロウザ」
しばらく続いた雨が晴れ、買い物に出た日のことであった。
「買い物か」
答える代わりに、手に持ったかごを上げた。
「雨続きだったからな。買い物に出るのも億劫であったし」
ニコニコと声を掛けてきた男は並んで歩き出した。
背が高く、肩幅のがっしりした、日焼けした男である。
子供の頃からの友人でなければ、この笑顔にも威圧感を感じるだろう。
「トモヤ。しばらくぶりだな」
「で、シロウザ。決めたのか」
「何をだ」
ちょっと嫌な顔をしてしまった、と感じた。
相手の質問は分かっていたが、答えたくない。それが顔に出た。
「祭りよ。出るのだろうな」
トモヤ=マツイ。年来の友人である。笑顔のままだったが、分かっているのだろう。それでも、この友人は明るく笑っている。
「うむ・・・」
少し考えているような顔はしたが、答えは否であった。この親友にはっきりと「否」と答えたくはない、と思っている。だが、数日後には分かることである。今、答えるべきであろう。
「いや、出ぬ」
「なぜ」
「俺は今の暮らしで十分だからな」
「その腕を腐らせることもあるまいに」
トミヤス家は武道全般を教える道場である。田舎のこじんまりした道場だが、名は広く聞こえ、遠く離れた国の首都からわざわざ道場に入るために引っ越してくる者もいる。この村も昔は寒村であったが、それら門人のおかげで村は豊かになった。
「のう、シロウザよ。この友の願いじゃ。共に勇者にならぬか」
シロウザエモン=トミヤス。
彼はトミヤス道場で幼い頃から両親から武道を仕込まれ、彼の名も武を嗜む人々には知られている。一部には神童などと呼ばれている。
だが、本人は自分の未熟をはっきり自覚している。
「まだまだ未熟だしな。勇者などとてもとても。俺より強い者など、掃いて捨てるほどおるわ」
「ははは! ご謙遜、ご謙遜!」
友人は口を大きく開けて笑った。つられてシロウザエモンも笑った。良い男だと思う。
「この村にも道場にも、お主より強い者は父上だけであろうが」
「・・・」
「首都の道場からも誘いを受けておる者が、田舎道場で終わるつもりか?」
シロウザエモンはそれで良いと思っている。人並に欲もある。地位、名声、金。興味はないと言えば嘘になるが、そこそこで良い。命を賭ける長旅に天秤に掛けてまで、大きな成功を求めようとは思わない。
「それで良い」
トモヤは驚いた顔でシロウザエモンを見た。
「本気だよ」
「本気なのか?」
「ああ、本気だよ。知っての通り、ウチの道場は実力主義だ。俺より強い者が出れば道場も継げないだろうが、それでも良いと思っている」
「おいおい」
「遊んで暮らすほどはないが、慎ましく暮らすには十分な蓄えもあるしな」
「何を爺むさいことを。まだワシらは16ではないか。夢を見ても良いだろう」
「勇者になるには命を賭ける長旅が何年も、いや10年、20年と続いてもおかしくないと聞いたぞ。勇者になるなら夢の中で良いのではないか」
「やれやれ、蓄えがあるから、とはな。呆れたな、16の男が言う事とは思えん」
トモヤは本気で勇者になろうと思っている。
たしかに、勇者になれれば地位も名声もつく。それらには金もついてくる。一生遊んで暮らすのも夢ではない。爵位も授けられることもある。国が安泰な限りは自分や家族だけでなく子孫も安泰。田舎村の若者には夢物語だ。
「もう一度、よく考え直せ。ワシは出るぞ。勇者になるなら、年来の友人と共になりたいのじゃ」
そう言って、トモヤは家族とはすでに話し合い、散々喧嘩した上にやっと許可を得た、と愚痴と冗談まじりに、笑いながら話をした。シロウザエモンも笑ってその話を聞いた。
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「母上、只今戻りました」
「おかえりなさい、シロウ」
土間を上がろうとした時、まだ道場から音が聞こえた。トモヤと話しながら帰って、すでに夕刻だ。
「まだ稽古をしている方がおられるのですか」
「ええ、勇者祭が近いからって、祭りに出る子たちが張り切っているのですよ」
「勇者祭ですか」
道場に同じ年頃の者は何人もいる。
この村の人間もいれば、貴族の次男坊、三男坊もいる。大抵の場合、後者は勇者の名誉で一族の権力を、と、自分の境遇に不満を持った者だ。あわよくば国政に・・・と考えている者も多い。
シロウは彼らを見て、いくら長男が家を継ぐとはいえ、それなりに贅沢に暮らしていけるのに何故だろう? もし彼らが貴族の家を継ぎ、トップに立てたとしても、何かあれば彼らが責任を負わされるのに、何故だろう? と、疑問だったが、世の中は自分のように考える人間がとても少ないのだ、と最近分かってきた。
「・・・勇者祭りですか」
「あなたも出たいのでしょう?」
と、母がにこやかに笑いながら問いかけてきた。
「いや、それが困ったことに全く興味が湧かないのです。トモヤにも呆れた顔をされました」
シロウザエモンは口に手を当ててオホホ、と笑う母を見て、なぜか恥ずかしくなった。
「母上、私も稽古の手伝いに行ってまいりますので」
そう言って母に買い物かごを押し付け、逃げるように道場に向かった。
「はい、行ってらっしゃい」
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暗くなりかけた道場には、まだ何人も門弟がいた。
「シロウザ」
「遅くなりました」
と、シロウザエモンは父に声をかけ、神棚に礼をした。
「おう、俺だけでは手が足らん。皆の相手をしてやれ」
「はい」
そう言って木刀に手を掛けると
「おい、今日は竹刀にしろ」
言われて、祭りに参加する者ばかりだということを思い出した。
この中のほとんどは、数日後には旅に出る。トミヤス道場は実戦派をとなえているが、さすがに旅立ち前の若者達に怪我をさせては、という父の心遣いだろう。
それでも、道場の隅には気を失って寝ている者もいる。
「では」
お願いします、と出てきた同じ年頃の門弟を見て、何となく違和感を感じたが、構えるとその違和感もすっと消えた。
「おおうっ!」
上段からの打ち込み。するりと後ろの足を回して外す。竹刀は道着を掠めたが、同時に門弟の胴に横薙ぎの一撃が入った。強く入れてはいないが、うっ、と呻いて、門弟は膝をついた。骨は折れていないだろう。
「次の方」
「お願いします!」
と同時に中段の突き。シロウザは動かず、くるっと竹刀を回すと、門弟の竹刀は天井に当たって落ちてきた。
「あっ・・・ま、参りました」
一礼すると、門弟は転がった竹刀を拾いに行った。
「おい、シロウザ。天井に穴を開けるなよ」
と、父が別のバシバシと打ち込む門弟の相手をしながら笑いながらこちらを見ていた。いくら若者相手の稽古とはいえ、あのような激しい打ち込みを捌きながら笑顔で話すなど、到底自分には出来ることではない。
「申し訳ありません。では、次の方」
稽古は陽が沈むまで続いた。
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稽古が終わり、家に戻ると夕飯の匂いが空腹を攻めた。
「シロウ、夕飯が出来ていますよ」
「ありがとうございます」
すっとふすまを開けると、父と母が食膳を前に待っていた。
「お待たせしました」
と、シロウザエモンも座った。
「おう、早く食わせろよ」
「はいはい。さあ召し上がれ」
「いただきます」
シロウザエモンも箸を取り、焼き魚を食べ始めた。
「・・・」
何か、いつもの夕飯と違う感じがする。そういえば、道場でも何か違和感を感じた。
「父上、何か?」
豪放磊落、という言葉がそのまま人間になったような父が、ちらちらとこちらを見ている。
「ああ、うん」
らしくない。
「母上、何かございましたか」
ニコニコと笑いながら、母は父に目を送った。
悪いことではなさそうだ。
「ゴホン。あー、お前な。何か言いたいことがあるんじゃないのか」
「はて?」
何かしただろうか? ここしばらくの間を思い出してみたが、とんと思いつくことはない。
「私、何か致しましたでしょうか」
父は箸を置き、ぼりぼりと頭をかいて「酒を」と母に言い、母が部屋を出ると話しだした。
「行きたい所があるんじゃねえのか」
ああ、首都への招聘の話か、とシロウザエモンは合点し、
「父上、以前にもお話しましたが、私は首都へ参る気はございません」
「違う、そうじゃなくてだな」
そこで母が戻ってきて、父にお猪口を渡し、酒をついだ。
「ううむ、これはいかんな」
「いけませんね」
父は苦い顔をし、母はニコニコ笑っている。何だろう。
「祭だよ、祭。行きたくねえのか」
「いえ、全く」
そう答えると、父はぐびりと酒を飲み、母にお猪口を突き出した。
「あのなあ、勇者だぞ、勇者。なりたかねえのか」
「ああ、私が勇者祭に出たいと思っておられたのですね」
「当たり前だろうが」
「全く興味ございません。いや、行きたくありません」
父がぽかんとした顔をして
「なぜだ」
「まだまだ未熟者ですゆえ」
父に酒を継ぎながら、母は笑顔でシロウザエモンの顔を見ている。
つがれた酒を煽って、父はシロウザエモンの顔をじっと覗き込んだ。
「・・・お前、本当に16歳か?」
「は、本年もって16歳に相成りまして。父上にも母上にも感謝しております」
父と母は顔を合わせ、少しして
「わははははは!」
と、大笑いをした。
「よし、シロウ。お前、明日でウチから放逐だ」
「えっ」
家を追い出されるのか?
「お前、勇者祭に行け」
「いや、父上。私はまだ未熟でございまするゆえ」
「おう、まだまだ未熟の鼻タレ小僧だな。よし、じゃあ剣術修行の旅のついでだ。行け」
「はあ?」
「そんなに未熟だってんなら、勇者はついででいいから、修行に・・・行け・・・」
と笑いをこらえながら言って、父はまた大声で笑い出した。母も笑っている。
「ほら、お前も飲め。祝いの酒だ」
そう言って、父はお猪口を突き出した。
「は。頂きます・・・」
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翌朝。
(今日、放逐される)
日課の素振りをしながら、昨夜のことを考えてしまう。
(父上も私に勇者になってほしいのだろうか。我が家に勇者という名声が欲しいのだろうか)
あの父にそれはないな、とすぐにその考えは否定した。
(何故だろう。剣術修行であればここで出来るのに)
などと考えていると、
「雑念が滲み出てるなあ」
「あ、父上。おはようございます」
いつの間にか、父が縁側に座って素振りを見ていたようだ。いくらあの父とはいえ、見られているのに気付かないななど、普段ならないことだ。
「よおし未熟者、さっさと汗を拭いて着替えろ。道場に来い」
「はい」
井戸で身体を洗っている間も、放逐のことは頭から離れなかった。
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道場には、父の他に母、トモヤが壁際に座って待っていた。
トモヤは笑顔だ。
トモヤの顔を見て、ああ、これから俺は勇者祭に行くのだな、と実感した。
「座れ」
道場の真ん中ほどに座り、父の言葉を待つ。
「よーし、それではカゲミツ=トミヤスより、子、シロウザエモンに申し付ける。よく聞けよ。本日を持ってお前はトミヤス家を放逐とする」
「はい」
「ま、トミヤスの姓を名乗ることは許す」
「はい」
「それと名を改めろ。お前は今からマサヒデを名乗れ。放逐者に名を与えるんだ。ありがたく思え」
「はい。ありがとうございます」
「じゃ、マサヒデ。武術をやめるか、天下一になるか、勇者になったら帰って来ていいぞ。昨日、急に言われて旅の準備なんざしてねえだろう。用意はしておいた。おい、アキ、トモヤ。持って来い」
父が呼ぶと、母とトモヤがいくつか包みを持ってきて並べた。
「当分の金と、着替えと、えーと・・・あと色々だ。持っていけ。金が無くなったら自分で何とかしろよ」
「は。承知しております」
「おっと、そうだ。待ってろ。まだ渡す物があった」
そう言って、父は道場から出て行った。
「マサヒデ。いい名前。うふふ、父上はずっと考えてたんですよ」
「そうですな。トミヤスのお父上は良い名前をつけられますの」
母とトモヤが笑顔で荷物を広げて改めているのを見ていると、まだマサヒデには自分が放逐者だと思えなかった。
「おう、待たせたな」
父が戻ってきた。手に刀と脇差を持っている。
「これをやる。持っていけ」
「こちらは」
「昔・・・えーと、いつだったかな、忘れちまった。どっかの貴族からもらったやつだ。無銘だが、悪い物じゃあねえ」
道場には貴族の息子が多く来ているので「よろしくお願いします」と父はよく高価な土産物を渡される。ほとんどは「金に困ったら売れば良い」と蔵に放り込んだままだが、いくつかの刀は父が手入れをしている。蔵に放り込まれていないということは、その中の一振りだ。「悪い物じゃあねえ」などと言ったが、無銘なのが不思議なくらいの業物なのだ、と想像はつく。
「よろしいのですか」
「よろしいんだ。持ってけ」
「では、ありがたく頂戴いたします」
「よし。じゃあ荷物持って出ていけ」
「は。父上、母上、お達者で。これよりマサヒデ、剣術修行の旅に参ります」
父は苦笑して、
「おいおい、勇者になってきます、とは言えねえのか」
母とトモヤも笑った。
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