1話 僕の人生が変わった日(前)
六時間目の終了を示すチャイムが鳴り響き、クラスメイト達は安堵のため息を漏らした。無論、僕も例外ではなく、彼らと同じようにため息をつき、鞄に教科書やら筆箱やらを戻す。
「お前ら、席に着け」
そう言いながら、萱原先生は教室に入ってきた。その手には使い古されたノートが握られて降り、なんでも、そのノートにはメモや自分の予定などが書かれているそうだ。
「よし、全員いるな」
教室を見渡し、席が空いていないか確認する先生。これは余談だが、萱原先生が怖すぎるからなのか、萱原先生のクラスになった生徒の中で、これまでに休んだ者はいないらしい。どれだけ不良でも、先生が担任になれば必ず来るのだとか。
「では、これより終礼を始める。まず───」
迫り来る睡魔に身を委ねながら、萱原先生の話を聞いていると、無意味な情報の中、一つだけ気になることがあった。
「最近、この辺りで妙な殺人事件が起きているからな。帰り道は寄り道せずに帰ることだ」
殺人事件。普段なら気にも止めない言葉だが、なぜか僕の中で引っ掛かった。こののどかな町には無縁な単語だということもあったが、それ以上に橿原先生がその言葉を言った瞬間、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたこと、そして、僕の中で不思議なぐらい聞き覚えがあったからだ。
「よし、伝達事項はこのぐらいか。では、解散!」
萱原先生の一声で思考の海から意識を取り戻す。まぁ、昔見た映画あたりが頭に残っていたのだろう。そんな風に考えながら、僕は教室を出た。
信号機の色が変わり、それと同時に横断歩道を渡る。たしか、この道を通れば最寄りのスーパーまですぐだ。
「えーと。たしか、カレールーと、じゃがいもと」
学校が終わり、青山家への帰り道を歩いていた僕のケータイに、美久からメッセージが届いた。どうやら、夕飯に使うカレーの材料が無かったらしく、買ってきてくれとのこと。別にカレーなんて適当な食材を混ぜ混んでもそれなりに美味しく食べられるんだから、わざわざ買いに行くほどでもないだろう、そんな返答をしかけたが、以前、同じ事をやって地獄を見た経験があるので、大人しく従っておくことにする。
「────あれ?」
メッセージに添付されていたメモに書いている物を全て買い終え、帰ろうとした僕は、ふと、錆びた鉄のような匂いを感じた。辺りを見回しても、工事現場はない。
────カァ、カァ。
「───あ」
一匹の烏が裏路地へ入っていくのが見えた。たしか、この辺りは昨日がゴミ出しの日だったはずだ。あそこにゴミは無いはず。なのに、どうして烏が向かったのだろうか。気になった俺は、烏の後を追った。裏路地に入ると、鼻が曲がりそうになるほどのひどい悪臭の中に、さっき僕が感じた錆びた鉄のような匂いかすかに混じっている。その匂いを懸命に辿りながら歩いていくと、少し開けた場所に出た。
「なんだよ、これ」
僕の目に入ってきたのは、大勢の烏達が集まったごみ捨て場。その数は、余裕で100を越えているだろう。あまりの気味悪さに帰ろうと思ったが、あの匂いは間違いなくここが発生源だ。
「あそこか?」
烏が何かを啄んでいたことに気づいた僕は、烏達を手で払いながら、一番烏が集まっていたゴミ箱に近づいた。そして、そのゴミ箱を見た瞬間。
「……うっ………おえぇぇぇ」
思わず、僕はそのゴミ箱から顔を反らし、吐いた。吐いて、吐いて、吐きつくして。胃の中のものを全て出しきる時には、吐瀉物の匂いを嫌ったのか烏達はいなくなっていた。一呼吸置き、僕はもう一度ゴミ箱を見た。
「ヒッ」
最初に嘔吐感を覚え、今は恐ろしさを覚えた。だって、そこには─────体内にあるはずの臓器が全てまろびでた、少女の死体があったのだから。
「け、警察に電話を──」
あまりの気味悪さに震える体を抱きしめながら、ケータイを取り出す。まずい、指が震えて、【110】の番号を押すことができない。
「う………あぁぁ……」
少女から、うめき声が聞こえた。
「え──?」
おかしい。どうかんがえても、死んでいるはずなのに。ゴミ箱から漏れ出した血液は少なく見積もっても4Lはある。少女の体格からして、4Lも流せば確実に死ぬはずだ。それでも、その少女の手は、僕の制服の袖を握っていた。
「う、うわぁぁぁ!」
少女の手を掴み、制服から離させようと力を込めて引っ張る。が、その細い、陶磁器のような手からは想像もつかないほどの力で握られている。
「はなせ、はなせよぉ!」
渾身の力を込めて少女と手を殴る。しかし、その固さのあまり握った拳に痛みが走る。
「くそっ、くそっ!」
何度も、何度も。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、殴った。しかし、少女の手が離れることはない。
「あぁ………のど、かわいた」
死体の少女がそう呟いた瞬間、僕の目前にあったはずの少女の死体が消えた。
「え?─────ぐっ」
肩に鋭い痛みが走った。見れば、死体であったはずの少女が、僕の右肩に噛みついていた。
噛みつかれた肩に不思議な感触が走り、少女は僕の血液を飲んでいることが分かった。
「やめろ、やめてよ!」
そう叫ぶも、少女が吸血をやめることはない。
『最近、この辺りで妙な殺人事件が起きていてな』
萱原先生の言葉を思い出した。妙殺人事件って、このことだったのかもしれない。
「だれ、か、た、すけ───」
血を失いすぎたからなのか、死の恐怖に怯えたからなのか分からないが、僕はその言葉を言い終える前に、気を失った。
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