僕と吸血鬼のカノジョ

プロローグ

 『おにいちゃ、おにいちゃ』

どこからか聞こえる、舌足らずで、少し聞き取りにくいけど、柔らかい声。

『どうした?綾』

声の方向に振り向くと、人影が抱きついてきた。大きさは自分の腰程度しかなく、少し力を込めれば持ち上げられるぐらいには軽い。

『ぎゅ~、ぎゅ~』

こっちに手を伸ばして、ハグをねだる女の子。僕はその子に手を伸ばし、優しく抱き上げる。

すると、女の子は僕の頬にキスをした。

『おにいちゃ、おにいちゃ。あやね、おにいちゃのこと、だいすき』

照れながら、僕に好意を伝える女の子。僕は、彼女に言葉ではなく、行為で返答することにした。女の子がしたように、僕も女の子の額にキスをする。

『ありがと、ありがと。おにいちゃ』

女の子は満足げに微笑むと、僕の首筋に顔を埋めた。

『綾は巴に随分懐いているな』

『えぇ、ほんと。世界中探しても、あんなに仲が良い兄妹なんて、他にいないわね』

気がつくと、僕と綾の後ろに父さんと母さんが立っていた。

『あ、ぱぱ、まま!はやく、こっちきて!』

綾が父さん達を呼ぶと、父さんは「やれやれ」と声を漏らしながら、こっちに近づいてきた。



────どこにでもある、普通の家庭。

父がいて、母がいて。僕に懐くかわいい妹もいる。僕はこの時、確かに幸福だったんだ。




 打ち付けるような雨音で目を覚ました。ベッドの隙間から見える窓の外はこれ以上無いほどの快晴であり、絶好の散歩日和と言えるだろう。まだ残っている睡魔と戦いながら体を起こす。と、それと同時に、部屋の扉が開かれた。

「あ、起きてたんだ。ご飯できてるよ」

その少女は僕を見ると、少し驚いた表情を見せながらそう言った。彼女の名前は【青山美久】。共に暮らしている、所謂同居人、というやつだ。まぁ、正直に言ってしまえば、三年前に僕が彼女の父に拾われて、この家に住んでいるのだけど。

「早く食べないと、お味噌汁冷えちゃうよ」

彼女はベッドまで近づくと、まだ寝ぼけている僕の手を引っ張って、下の階へと降りていく。

「やぁ、おはよう。巴くん」

机に座って新聞を呼んでいた、優しそうな男性に声をかけられた。

「おはようございます。文仁さん」

文仁さんは美久の父であり、青山家の大黒柱である人だ。

「そんなにかしこまらなくてもいいよ。私たちは家族なんだから」

そんな事を言われても、僕と美久、文仁さんの血は繋がっていないのだ。赤の他人に、しかも居候をさせてもらっている身分なのに、タメ口というのはあまりにも失礼すぎる。

「いえ、僕は結構ですから」

「……そうかい」

机の上に並べられていた朝食を食べ終えた後、通っている高校の制服に着替えた。

「行ってきます」

「あぁ。行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃーい」

文仁さんと美久の声を聞きながら、家を後にした。


 家を出てから数十分ほど歩くと、僕の通っている【私立桜花高等学校】が見えてきた。その名の通り、校内には100本を越える桜の木が植えられている。そのため、よくここに花見に来る人も多いんだとか。

「おはよう、巴くん」

桜吹雪の中を歩いていると、後ろから声を掛けられた。辺りを通る車の走行音に遮られることのない、凛とした鈴のような声。振り替えると、そこには見知った顔があった。

「なんだ、夕姫か」

芹沢夕姫。僕の中学校からの幼なじみであり、同級生の女子生徒だ。絹のような黒髪に白い肌は見事なコントラストになっており、見た人の目を惹き付けることは間違いない。そんな彼女は笑みを浮かべながらこちらに近づくと、側に立った。

「今日は早いんだね」

「あぁ、少し夢見が悪くてな」

ポケットからスマホを取り出し、電源を付けると、8:10と表示された。普段の僕がここに着くのは八時三十分のため、実に二十分ほど早く着いたようだ。

「ふーん。ねぇ、どんな夢だったの?」

まずい、変に興味を持たれた。夕姫は小さい頃から好奇心旺盛であり、自分の気になったことは知らないと気が済まないタイプの人間だ。小学生の時、担任の先生を質問責めにして泣かせたこともある、という噂が流れた程だ。真偽は分からないが、僕にはこいつならするだろう、という確信がある。

「別に大したものじゃない。UFOに連れ去られただけだ」

僕はウソを吐くことにした。もしここで本当の事を言えば、遅刻ギリギリまで問い詰められること間違いなしだ。

「ふーん、そうなんだ」

良かった。どうやら、夕姫は興味を失くしてくれたらしい。

「あ、そろそろ教室入らないとまずいかも。じゃあね」

少し焦り気味に駆け出した夕姫の姿を見送って、僕も教室に向けて歩き出した。


 小走り気味に教室に駆け込むと、朝の点呼が行われている所だった。

「遅いぞ。巴」

僕に気づいた先生に、怒気を含んだ声で注意された。

「遅れてすみません。萱原先生」

萱原夜野。僕が在籍している二年A組の担任であり、現代文と日本史を担当している女教師だ。研ぎ澄まされた刃のような切れ長の目に男子顔負けの体格、剣道八段という実力も相まって、この学校において間違いなく一番強い人物だ。

「遅刻ではないとはいえ、お前ももう受験生なんだ。いちいちこんな事で注意されてどうする。第一、お前はだな────」

「すいませんでした。以後気をつけます」

適当に聞き流しながら、席に座る。持ってきた鞄の中から今日使う分の教科書を取り出して、机の中に直した。時計を見れば、そろそろ一時間目の授業が始まる時間だ。

「よし、全員揃ってるな。では、これより授業を始める」

そう言いながら、萱原先生はチョークを握った。

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