プラタナスの並木道

阿久津 幻斎

第1話 田舎町

 街を行き交う人々を見て、私は常々感じるのだ。

 力なく歩くサラリーマン、真新しい制服に身を包む女子高生、公園のベンチに腰掛ける老人。皆、それぞれの過去を重ねている。例えそれがどれだけ粗末なものであったとしても、どこかに必ず価値を見いだせるものがあるのだと。

 こんな私の人生にもあるだろうか。

 あると信じたい。

 プラタナスの静かな木陰の下で、アナタと過去に思いを馳せる。


 ○


 私は西日本のとある田舎町に生まれた。周りは田畑に囲まれているが、自転車を十五分も漕げばそれなりに街らしくなるような所だ。

 私の住んでいた家の地区は、幼稚園、小学校、中学校とが隣合っており、多くの人は幼稚園時代から中学時代までを共にする。

 私の一番古い記憶は幼稚園児の時のもので、幼稚園の敷地と隣合う小学校の裏庭で遊ぶ小学生を観察していた時の記憶だ。

 小学校の裏庭の遊具は、幼稚園の遊具よりも一回り大きく、それをいつも眺めては、早く小学校に行きたいな、などと考えていた。

 そして念願の小学校に入学した頃、公文に通っていたこともあってテストは全教科ほとんど毎回百点で、運動も得意であったことから成績はかなり優秀な方だった。満点のテスト用紙を先生や親に見せる度に褒められるのが嬉しくて、更に勉学に励むようになった。

 だが中学年、また高学年になる頃に至ってはそんな小学校生活は一変してしまっていた。まあつまりは、いじめにあったのだ。今となっては原因は自分にあったのだと理解できるが、小学生時代の私には到底想像もつかないことであった。

 この原因というのが、脳の不具合、つまり発達障害と呼ばれるもののせいだと気付いたのはごく最近のことだ。

 そんな小学校生活を引きずって中学に入学した頃には、私の人格は既に荒んでしまっていた。人を信じず、他人に己の心を明かさず、まるで道化師のように笑顔を振りまいて過ごすようになっていた。嫌なことには嬉しそうにし、大して嬉しくもないことにも嬉しそうにする。それが私のできる唯一の、であったのだ。

 そんな私の人格の歪みに拍車をかけたものがある。

 中学にもなると、将来のために良い高校に入ろうと受験勉強に励むものや、なりたいものになるために専門学校を目指すものが現れる。皆、自分の夢や願望のためにそれぞれ尽力する。

 だが、その時の私はというと、中学一年になる直前まで通っていた塾を辞め、流行りのテレビゲームに張り付き、授業をいい加減に受けて成績はだだ下がり、ますます落ちぶれていた。小学校時代の神童っぷりはどこへ行ったのか、私を知る人間なら皆そう感じただろう。実際、同じクラスの生徒から、「中学になってからお前はどうしたんだ」ということを聞かれたことがある。その時私が何と返したかは覚えていないが、きっと適当に格好をつけてはぐらかしたのだろう。

 多分、私は疲れ切っていた。人生のスタートにも立っていないような年齢で疲れたなどとほざくのはどうしたものか、と年配の人間にやいのやいの言われるのだろうが、疲れていた。恐らくこれに尽きる。

 自分で言うのはなんだが、きっと私は物分りのいい子供だったと思う。母から聞いた話だが、言葉を流暢に喋れるようになったのは二歳の時だそうだ。出かけ先で泣き喚くようなこともせず、電車などでは静かに大人しく座っていたという。同年代の子達が泣いたり喧嘩をしたりしていると真っ先に止めに入ったという。一見手のかからない素晴らしい子供のように思えるが、子供が子供らしくないということはあまりいい事ではない。小さい頃から周りの期待に応えようとしなくても良いのだ。そんなことをすれば後々自分の内なる欲求に気付かなくなってしまう。

 そうして成長した私は、案の定、中学生活が終わりを迎えることになっても自分のやりたいことが何一つ分からなかった。

 元々母子家庭で育った私にとって、自分の人生は母の人生を豊かにするためのものであり、勉強もそのために行っているような感覚だったのだ。これは母に刷り込まれたとかそういうものではない。私は母が大好きだった。誰よりも私の味方をしてくれる母を愛していた。だから母のためにできることがあるのなら全力を尽くすつもりでいた。

 なのにどうしてか、若すぎる時に疲れ切ってしまい、生きる目標を失ってしまった。この事が私の人格をどれほど歪めてきたのかは計り知れない。自分で自分を締め付けていることに早く気付けたのなら、こうはならなかったのかもしれない。

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