六文には足りない人生
肉味噌
第1話
荒れ狂う波と風の響きで、俺は目を覚ました。
「...ここは。」
知らない場所だ。俺は頭を抱えて記憶をたどる。
最後の記憶は、暴走したトラックに吹っ飛ばされたところ。
視界の先に薄暗い空が果てしなく広がり、水しぶきの音が聞こえる。ここが病院でないのなら、トラックに轢かれた俺の行き先は二つしかない。
異世界か、あの世かだ。
空を見ていた俺の目を、一人の少女が覗き込んだ。
「突然だけど、お前は死んだ」
少女は蕩けるような声で告げた。どうやらあの世のほうだったらしい。
起き上がる俺の目に映るのは、灰色の荒れ狂う川と石の散らばった広々とした寂しい河原。俺のすぐ隣には松とも柳ともとれる巨木が一本力強く生えており、少女はその木に気だるそうに持たれかかっていた。
少女の真っ新な死に装束を身に着け、怪しい色気と冷たい雰囲気を漂わせる。
腰まで伸ばした雪のように白い髪。色素の薄い肌。宝石のような赤い瞳。
その全てが美しい、精巧な人形のようであった。
人間離れした少女だ。ここがあの世だとすれば、事実として人間ではないのだろう。
「アンタは何者で。ここは何処だ?」
お決まりの質問をした俺に、少女はクスリと笑う。
「ここは地獄の入り口。そして私は『奪衣婆』って者だよ。」
ふんすと胸を張って少女は正体を明かした。
奪衣婆。その名前は聞いたことがある。
地獄に向かうまでの道のり、三途の川にて罪人の服を奪い、その重さから罪を測るという。
だが、今目の前にいるのは年端も行かない少女だ。これで『婆』は経歴詐称もいいところだろう。
俺がその部分を指摘すると。自称奪衣婆は勝ち誇ったような顔をする。
「知らないのか?こういうのバ美肉って言うんだぞ。」
「知らないのか?バ美肉って現実の姿は変わらないんだぞ。」
言い返された少女は苦々しそうに顔をゆがめる。「ぐぬぬ」という声が聞こえた気がした。
「...そう堅苦しいことは言いっこなしだ。喜べ、2000年以上この川に居る私は数億では聞かない数の人間と会ってきたが、この姿を見たのはお前が初めてだよ。」
「嬉しくねえカミングアウトだな。新人のVtuberか?」
納得の出来ない俺が何かを言おうとしたところ。バシャンと軽い音が響き、俺の頬に飛沫が飛んだ。
すぐ隣で荒れる灰色の川から飛んできたものだった。当然、俺の意識もそちらに向けられる。
灰色の川は、荒れ狂う風に吹かれていた。河原に居る俺たちにまで飛沫を飛ばすほど、波は高くなっていた。
この少女が本当に奪衣婆だとすると、川の正体は一つしかない。
「なあ、もしかしてなくてもこの川って。」
「お察しの通り、三途の川だ。」
少女はにやりと口角を上げる。俺の中に彼女を疑う心は消えていた。
こいつは奪衣婆で、ここは三途の川で。俺は死んだのだ。
三途の川。
言わずと知れた、生と死の境を表す川
俺に自分が死んだのだと改めて実感させるには、十分な名前だ。
三途の川には、渡し船があるという話もあれば橋が架かっているという話もある。
だが、今目の前にある荒れ狂った川は、そのどの手段を持っても渡ることなど出来ない。
間違いなく、近づいてはいけない危険地帯。今もっても濁った飛沫が、河原にまで飛んできている。
「何でこんなに荒れてるんだ」
「普段はもっと穏やかだよ。水切りが出来るくらいには。だけど今は現世に台風が来てるからな。」
「三途の川にも暴風警報って適用されるんだな。」
これがテレビの中の出来事ならば、雑学の一つとして笑えたかもしれないが。今の俺には大ごとだ。
なにせ、死んだ俺は今からこの川を渡らなければならないのだ。
無謀とも思える道行を知り、ついつい呆然と立ちつくす。
その耳に、ジャラジャラと小石を踏む音が小さく響いた。
眼を下ろすと、いつの間にか隣に来ていた奪衣婆が、何かを求めるように右手を差し出している。
「...何の手?」
「決まってるだろ。三途の川の渡し賃。渡し船なら、あの嵐でも向こう岸まで運べる。」
「この嵐の中でも?」
「いつでもどこでも、船は川を超えられるんだよ。」
奪衣婆の顔は真剣だ。嘘を言ってはいないらしい。地獄の技術すげえな。
地獄の船の渡し賃、六文銭というやつだ。奪衣婆曰く、現代価値なら約300円。
通常は棺に収められているが、身内のいない俺はきちんとした葬儀をされておらず、自分で支払う必要があるとのことだった。
「だが財布が無いぞ。あいにく俺は現金を持たない主義だ。」
「Z世代め。.....キャッシュレスも可 スマホはあるだろ?」
「天使か?」
「奪衣婆だよ。」
ズボンのポケットをごそごそと探し、液晶の割れたスマホを動かす。
奪衣婆は木の洞からスーパーで見るようなスキャナーを取り出し、ギラギラと光る画面を読み込んだ。地獄もハイテク化が進んでいるようだ。
スキャナーの画面を見ていた奪衣婆だが、様子がおかしい。彼女の白い顔がだんだん青ざめていく。
ため息をつく彼女の顔は恐怖や困惑のそれではない。
『面倒な残業が確定した』ような嫌気で染まっていた。
「ちょっとこっちにこい。」
俺は奪衣婆に手招きされるまま、スキャナーと繋がる液晶に視線を向ける。
そこには大きな黒い文字が、エラー音とともに表示されていた。
『残高が足りません』
「・・・・マジ?」
液晶に移る、残酷な現実。今一番見たくない文字列を前に、俺は再び呆然と立ち尽くした。
「ここは地獄か。」
その通りだと答える奪衣婆の声は、川の飛沫でかき消された。
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