第9話

「純平……今日、暇?」


 珍しく、公一が俺の予定を聞いてくる。

 いつもなら、さしずめ、


「今日も暇だよな」


 という、何とも強引な口調で始まって、


「〇〇行くからな」


 もしくは


「××するからな」


 と、気づけば勝手に予定が決まっているのだ。


「暇なら、何だ?」


(何か、あったんだろうか?)

 いつになく殊勝な公一の態度が気になり、試しに俺は、逆に聞いてみる。が。


「えっ、暇?!良かったぁ……今日兄貴が珍しく早あがりで明日休みだから、純平に会ってみたいって。だから、3人で飲みに行こうって言ったんだ、おれ。でも、純平の予定聞いてなかったことに気づいてさ。兄貴には言われたんだけど。『純平さんは、予定は空いてるのか?』って。あ、兄貴は純平のこと純平さんって呼ぶんだよ。でも、ああ、良かった。こんなチャンス、滅多にないだろ?良かったよ、純平暇で。何か、楽しみだなぁ。どんな話するんだろうな、2人で。あー、早く授業終わらねーかな……」


 何のことはない。

 やはりいつも通り、俺の予定はすっかり決まっていた。

『まだ暇だとは言ってねーぞ』といいかけた言葉を慌てて飲み込む。

 俺は何だか逃げ腰になっていた。公一の兄さんと会うことに、腰が引けていた。


(なんでだろう?)


 公一の話を聞くところによると、兄さんというのは俺と同じ年。学校じゃたいていみんな俺よりも年下で、同じ年の奴になどとんとお目にかからず……従って、同じ年の友人というものには、久しく会っていない。

 これは、いい機会だ。

 俺は、自分にそう思いこませた。


(それに、相手は見も知らない全くの他人じゃない。公一の、兄さんだし)


 人見知りなどしたことのない俺が、こんな風に自分に思いこませるのは初めてだったのだが、隣ですっかり浮かれている、遠足前日の子供のような公一を見ているうちに、だいぶ落ち着いてきた。


(そうだ。友達が1人増えるだけだ、きっとな)


 大学の講義が終わり、自ら予約した店へとウキウキと向かう公一の後に続いて、俺はこ洒落た店へと入った。

 公一は、個室を予約していた。よほど、3人きりで飲みたかったのだろう

 公一の兄さんがきたのは、待ち合わせの時間を30分ほど過ぎた頃だった。

 個室のドアを開けば、そこからは店の出入り口が見える。

 個室のドアを開け放して店の出入り口が開く度に目をやり、同じ回数だけつまらなさそうな表情を見せていた公一の顔が、たちまち綻んだ。


(恋人待ってるわけじゃあるまいし)


 苦笑しながら俺も振り返り、戸口の方を見て驚いた。

 そこに表れたのは、俺の想像とはおよそかけ離れた、色白の細身の男。走って来たのか、その頬はうっすらと赤く染まり、荒い呼吸に肩を上下させている。


「兄さん、こっち」


 公一が、はしゃいだ声をあげると、その男はホッとしたように微笑み、俺達のいる部屋へと歩み寄る。


(とするとやっぱり、こいつが公一の……兄さんか?!)


 呆気にとられて、俺は無遠慮にもジーっとその公一の兄さんだと思われる細身の男を見つめた。

 何故俺がそんなに驚いたのかと言えば、公一の話から想像していた俺の兄さん像というのは、もっとガッシリとした男っぽい奴だったのだ、どちらかというと俺のような。ところが、現れたのは、その瞳から意志の強さは推し量れるものの、ガッシリとはほど遠い、どちらかといえば公一のような、男としては華奢な体型で。

 静かに室内に入り、静かに個室のドアを閉め、公一に指示されるままに俺の隣に腰を下ろしたその男は、すぐに俺に頭を下げて来た。

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