第44話 決戦の時
7日の正午、ミュリエルに良い知らせが届いた。ロベール・カルヴァンがペルティエ領に到着した。
「フィンさん、カルヴァン侯がペルティエに到着したようです。ペルティエ港に現れれば一緒に捕縛されます」
「好都合じゃないか、ミュリエルの予想通りだったね。これで奴の逮捕も拝めるな」フィンが言った。
「願ってもない幸運です」ミュリエルはミュゲのネックレスに触れた。
フィンから貰ったネックレスはずっと身につけている。ミュゲの花が幸運をもたらしてくれたのかもしれないと、ミュリエルは思った。
「みんなからミュゲの幸運を貰ったから、今のミュリエルは無敵だよ」フィンはミュリエルの手を取り口づけた。
ミュリエルは午後からの診察をこなして、ギャビーやイザベルたちの帰宅を見送ってから——危険なことに巻き込むわけにはいかなかったので、ギャビーとイザベルには、王室からカルヴァンの不正のことで事情を聞かせて欲しい、証人になってくれと言われていて、王城へ出かけなければならなくなった。しばらく留守にすると伝えた——モーリスに明日と明後日の引き継ぎをした。
「モーリスさん、よろしくお願いします」
モーリスはミュリエルの肩に励ますように手を置いた。「任せとけ、ゆっくりしてくればいいさ。だけど、フィンに変なことさせるなよ。結婚までは絶対に純潔を守るんだぞ」
「モーリスさん、しつこいですよ。ミュリエルと俺は着替えがあるんです。行こうミュリエル」フィンは、不愉快そうに鼻に皺を寄せた。睨みつけてきたモーリスを無視して、ミュリエルの手を引き、2階へと上がっていった。
ミュリエルはフィンが用意した服に着替えた。
「よく似合ってる。素敵だよミュリエル」フィンはミュリエルのおでこに、ちゅっと軽いキスをした。
2人で1階に降りていくとモーリスとジゼルが待っていた。
ジゼルは心配で痛む胸を、深呼吸して落ち着かせ、まるで宝物を抱くように、ミュリエルを優しく抱きしめて頭を撫でた。「気をつけて行っておいで、帰りを待ってるからね」
「はい、必ず帰ってきます」ミュリエルはマジックワンドでポータルを開いた。
ミュリエルとフィンはポータルを潜り二度のテレポートでマルセルに到着した。
「海に沈む夕日!そしてこの爽やかな潮風!マルセルは最高だなあ」
「遊びは明日、捕縛を終えてからですよ」不安になりそうなミュリエルを気遣って、明るく振る舞ってくれているフィンに、ミュリエルは涙が出そうになった。
「分かってるって、一応武器も持って来たぞ。オートマチックピストルだ。ザイドリッツの最新式で軍用なんだ。ザイドリッツの友人に頼んで仕入れてもらった」
「あまり得意ではないと言っていましたが、使えるのですか?」
「威嚇する程度なら」フィンは情けなく笑った。
「危険なことはしないでくださいね、私は捕縛を見届けられれば、それでいいのですから」
カルヴァンが逮捕され極刑に処されれば、母を殺された行き場のない感情に、区切りがつくだろうとミュリエルは思っていた。
「大丈夫さ、大人しくしてるよ」
ミュリエルとフィンは辻馬車に乗り、予約を入れておいた、前回とは違うホテルへ向かった。前回利用したホテルをまた利用すれば、ギャスパーに連絡がいき、アンドレの耳に入るかもしれないと警戒したからだ。
前回のホテルからは海が見えたが、今回のホテルは街が一望できる。
フィンはオートゥイユ邸を温もりがあると表現していた。ホテルからの街並みを見て確かにその通りだとミュリエルは思った。オレンジ色の屋根が立ち並ぶ光景は、パトリーと違って温もりがある。
フィンは窓から外を眺めるミュリエルに近づいていき、後ろから抱きしめた。
「どうしたの、何か気になることでもあった?」
「上から見るマルセルは、少し様相が違っていて面白いと思ったのです」
「オレンジ色の屋根はパトリーでは珍しいよね」
「ニーブールはどうですか?屋根の色は何色ですか?」
その答えを本気で知りたいと思っているわけではなく、ただ、どうでもいい会話をして、捕縛という特殊な状況を、何ということもないと思いたくて質問したのだろうと、心ここにあらずなミュリエルを見たフィンは、その緊張を理解して会話に付き合うことにした。
「ニーブールもオレンジ屋根が多いかな、でもこれよりもう少し、鮮やかな色をしてるよ」
「出航は8日の夜です。マルセルからペルティエまで騎乗すれば10時間ほどです。アンドレ王子殿下は今晩出立し、ペルティエに向かうようです」
「親衛隊がぞろぞろ揃って移動したんじゃ、目立ってしまうからな、夜陰に乗じてペルティエに入った後は、明日の夜になるまでどこかに身を潜めるつもりだろう」
「私たちは明日の昼過ぎに向かいましょう」ミュリエルは、カルヴァンが親衛隊に気づいて逃げ出すのではないか、といった不安が拭えなかった。
そのミュリエルの不安を察したフィンは、ミュリエルの腕を安心させるように撫で下ろした。「それじゃあ、何か食べに出かけて、今晩は明日に備えてゆっくり眠ろう」
ミュリエルとフィンは近場のレストランで食事をしてからホテルに戻り、いつものようにミュリエルは、フィンの腕の中で眠った。
不安のせいか、あまり眠れなかったミュリエルは早朝起き出して、バスタブに浸かった。
膝を抱えて小さくなっているミュリエルを、フィンは今すぐ救い出してやりたかったが、全てを終えるまで救われることはないのだと分かっていた。自分にできることは全てを終えた時、疲弊したミュリエルを抱きしめてやることだけだということが、心底もどかしかった。
カフェで朝食を食べるミュリエルとフィンは、傍から見ると本当に裕福なカップルのバカンスといったところだろう。要するに、マルセルでミュリエルたちに目を止める者はいないということだ。どこもかしこも、裕福なカップルだらけなのだから。
その点ペルティエは、マルセルとは違って観光客がほとんどいない。街の規模もマルセルの1/3ほどだ。昼過ぎペルティエに到着したミュリエルは、やはり2人は目立ってしまう、マルセルに泊まることにして正解だったと思った。
ミュリエルたちは港がよく見えるホテルに部屋を取り、夜になるのを静かに待った。
日が完全に水平線の彼方に沈み、空に夜の帳が下りると、港で動きがあったようだ。
「港に大きな船が一艘着いたようです」
「海賊船か?」フィンは港の方角へ双眼鏡を向けて覗いた。
「分かりませんが、乗組員たちの身なりから察するに海賊のようです」
「そろそろ親衛隊が出て来るかな」
1時間ほど経って、ようやく港からパンという乾いた音が街にこだました。一発の銃声を皮切りに、激しい銃撃戦へ発展した。
鼠に目を借りて、その光景をずっと見ていたミュリエルの視界がカルヴァンを捉えた。
「カルヴァン侯がいました。甲板にいます」
「親衛隊が海賊に押されているな、海賊が思いの外、強かったか」
「このままでは逃げられてしまうかもしれません」
ミュリエルはフィンを見つめた。自分は死んだりしない、必ずカルヴァンを捕まえるのだと信じていたが、これだけはフィンに伝えなければならない気がした。
「フィンさん、好きです。大好きです」
「うん、俺も好きだ。大好きだ——」
フィンはミュリエルの頬を両手で包んだ。ミュリエルは強い、絶対カルヴァンに勝つはずだと信じていた。だから心配する心を押し殺して言った。
「行っておいでミュリエル」
ようやく聞けた、愛しい人の口から発せられた好きという声を、フィンは記憶に留めようとした。
ミュリエルはフィンの唇に自分の唇を押しつけた。
「必ず戻ります」背中を押してくれるフィンのためにも、帰りを待ってくれているモーリスやジゼルのためにも、必ず帰るのだとミュリエルは心の中で誓った。
ミュリエルはポータルを開け甲板の上にテレポートした。
「カルヴァン侯、あなたの罪を告発します」
「クソガキか、これはお前の仕業だな?やはり、お前も母親と一緒に始末しておくべきだったな」
「なぜです?なぜ母を殺したのですか?あなたたちは、望まぬ結婚をさせられた同士でしょう。互いに干渉せず過ごせばよかったではありませんか」
「目障りだったからだ。相手は王族の血が流れる公爵令嬢だ。家の中に私より権力のある者がいては厄介だ。だから始末した、それだけのことだ」ロベールは、まるで取るに足らない些細なことだと言いたげに、面倒そうに言った。
「ドゥニーズ侯爵夫人に子供ができなかったのはなぜですか?彼女をこっそり診察したことがあります。何の問題もありませんでした」
「あれの子供など——貴族崩れの女の血を、侯爵家に混ぜるなど言語道断だ。卑しい血が混ざった息子に建国からの、歴史あるブリヨン侯爵を継がれるなんて、吐き気がする。だから、子を身篭らないようにしたんだ」
「身勝手な人ですね」この父親の血が、自分にも流れているのかと思うと、ミュリエルは吐き気がした。「カルヴァン侯、あなたの罪は既に王室の知るところとなりました。観念して捕まってください」
「ハハハッ!ならば王室を掌握してしまえばいい。これを見れば、この私に逆らう者などいなくなるだろう」カルヴァンが腰に佩いた剣を抜き出した。
夜闇に煌々と青い光を放つそれは、建国の王が持っていたと言わている、失われたエクスカリバーだった。
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