第49話「戦慄の登校日④」

「好き」「嫌い」という簡単な言葉で、僕の感情を片付けたくなかった。

 そのくらい僕の中での片桐詩乃という存在は、大きなものになっていた。

 だけど、最終的にその2つの言葉に集約しなければならないというのなら、やはり僕は「好き」という選択をしなければならないのだろう。


 いつからそうなったのか、明確な分岐点があったわけでもない。

 気が付けばそうなっていた。

 彼女を守りたいと思った。

 それは僕と境遇が似ていたから、というのもあるけれど。


「僕は、できる限りのことをしてあげたい。それだけ」

「カッコいいね。多分、ううん、絶対片桐さん、村山くんと出会って幸せだと思うな」

「そうかな……」


 そんな風に評価されると照れ臭い。

 というより恥ずかしい。


 委員長の笑顔が曇った。

 レンズ越しの瞳に少し陰りが入る。


「だから、絶対片桐さんの味方でいてあげてね。私は、ただの臆病者だから、片桐さんに何もできなかったけど……村山くんなら、絶対片桐さんのことを支えてあげられると思う。こんなことを頼むのは、おこがましいかな」


 それは、自責の念にも思えた。

 クラスのグループに詩乃の写真が乗せられた時、委員長と副委員長は何もコメントをしなかった。

 彼女が今日登校してきたときも、2人は心配そうな目を向けていたように思える。

 だけど、それ以外はほかのクラスメイトと同じ、沈黙の圧力をかけているだけだった。


 助けてあげたいという気持ちはあったのかもしれない。

 しかしそれを行動にしなければ意味がない。

 何もできなかったから、委員長は責任を感じているのだろう。


 別にそんなこと、詩乃は全く気にしていないと思うけれど。


「別に普通じゃない? そんなことを思うのは」

「でも自分の理想を押し付けてるみたいで」

「みんなそうでしょ。誰しも自分の理想を他人に押し付けてる。詩乃のことだって、みんな勝手に描いていた理想像を壊されて騒いでいるだけだし、似たようなものでしょ」

「いや、違うと思う……」


 うん、僕も違うと思う。

 たとえ話にするとわかりやすいかと思ったけれど、わかりにくくなってしまった。

 でも本質的な部分は、きっともっと単純だ。


「まあ、委員長に言われなくても、僕は詩乃を幸せにするよ。そう約束したんだから」


 誰かに頼まれなくたって、やってみせるさ。

 簡単ではないと思うけれど、約束した以上はちゃんと果たしてみせる。


 僕は委員長たちと別れ、校舎を出ると、校門の前で須藤と藤堂が待っていた。


「もう帰ったのかと思った」

「片桐が来るまで帰れねえよ。今どんな様子だ?」

「どうだろう。声は全然聞こえなかったけど、しばらくかかりそうだね」

「なら、待つか」


 誰も「先に帰っておこう」という発想には至らなかった。

 帰ったところでやることはないし、だったら詩乃を待って一緒に帰りたい。

 おそらく僕を含めたみんな、そういう考えを抱いていたのだろう。


「しーちゃん、退学するのかな」

「仕方ねえだろ。やってることは犯罪だ。責任取らなきゃいけないんだから。こればっかりはどうしようもならねえよ」


 須藤は冷めた分析をする。

 だけどこれは僕も同じような考えだった。

 おそらく詩乃は学校をやめる。

 犯罪者をいつまでも在籍させるわけにはいかない。

 僕が学校側の立場ならそうするだろう。


 だけど彼女自身反省しているようだし、更生の余地はありそうだ。

 僕たちはまだ未成年だから、少年法により一般の刑事罰よりは軽くなるかもしれない。

 僕は普段少年法についてはあまり肯定的ではないけれど、いざ自分たちのこととなるとあってよかったと思ってしまった。

 僕は思った以上に薄情で独善的な人間なのかもしれない。


 いずれにせよ、今後どうなるかは、今のところ彼女にしかわからないのだ。


「村山、お前は絶対に学校辞めるなよ」

「わかってるよ。詩乃が悲しむようなことは絶対にしない」


 須藤が呆れたように僕に声をかける。

 今日のアレは少し僕が暴走気味だった。

 冷静になる心を持っていたら、もうあんなことにはならない。


 空は少し曇っていた。

 もうそろそろで雨が降り始めそうだ。

 天気予報でも午後から雨になると言っていたし、折り畳み傘を持ってきていて正解だった。


「しーちゃんが学校からいなくなっても、アタシたちずっと友達だからね」

「わかってるよ」

「それとたいちゃん! もししーちゃんを泣かせるようなことがあったら絶対許さないからね?」


 藤堂が僕のあだ名を叫びながら指をさす。


「安心してくれ。もとからそんなつもりなんてないよ」


 そばにいる、と約束したあの日から、その思いは変わっていない。

 ずっと寄り添う。

 たとえ、世界が敵になったとしても。


「その答えを聞けて安心した」


 ニッと藤堂は笑った。

 今更そんなことを確認するほどでもないのに。


 ポツリ、ポツリと小雨が降ってきた。

 僕は鞄の中から折り畳み傘を取り出す。

 2人もちゃんと折り畳みがあってよかった。


 雨はだんだん本降りになっていく。

 ざあざあと勢いが増していき、雨粒が傘にパラパラと当たっていく。

 これ以上は待てないと判断し、僕たちは帰路に就いた。

 結局、詩乃が僕たちの前に現れることは二度となかった。

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