第10話「愛って、何なんだ」
閉館30分前、僕たちは図書館を出た。
片桐さんは閉館ギリギリまでいたかったらしいけれど、そうなってしまうと僕の門限に引っかかってしまう。
「今日はありがとうございました。楽しかったです。明日も付き合ってもらえますか?」
「明日も?」
「はい。だって、夏休みはまだまだあるんですよ? たった1日だけの勉強会なんてつまらないじゃないですか」
いい迷惑だと言いたくなるのを抑え、僕は彼女の申し出を了承した。
まあ、どうせそんなことだろうと察しはついていたけれど。
それじゃあ、と僕と片桐さんは別れた。
自転車のサイドミラーに、彼女が手を振っているのが確認できる。
見送られるのは少々恥ずかしい。
だけど僕だからやっているわけではないと思うと、少し悲しくなってしまう。
多分、あの場で片桐さんと出会ったのが、僕じゃなくても、片桐さんは街周辺を連れ回しただろうし、勉強会だって僕じゃなくても誘ったに違いない。
誰でもいいんだ。
わかってはいたことだけど、やっぱり虚しい。
僕はその何とも言えない気持ちを誤魔化すように自転車を漕いだ。
家に帰り、誰もいない部屋に「ただいま」と声をかける。
門限まであと10分。
あと10分すれば母さんが帰ってくる。
僕は弁当箱を取り出し、キッチンに向かった。
洗い物をしておかないと母さんに怒られる。
蛇口を捻ったタイミングで玄関のドアが開いた。
「ただいま。あら、洗い物してたの? 偉いわ」
「弁当、美味しかったよ。明日も頼めるかな」
「いいわよ。何か食べたいものはある?」
「なんでもいい。本当に、なんでも」
半分お世辞だ。
不味くはなかったが、美味くもない。
とはいえ本当のことを言ってしまえば面倒なことになるのは間違いないから、方便を使う。
どうして実の家族にここまで気を使わなければいけないんだろう。
弁当箱を洗う横で、母さんは夕飯の準備をする。
今日はコロッケを作るつもりだ。
どうせ味が薄いものになるのだろう。
どうして揚げ物でここまで薄味になるのか、少し疑問に思ってしまう。
だからといって、味のことにいろいろ口出ししてしまえば、それだけで母さんの否定になってしまうから言わないけれど。
この家では母さんが絶対だ。
そしてそれはこれからも一生続く。
洗い物を終えて自室に戻り、どっと溜息を吐く。
片桐さんと一緒の時も疲れたけれど、やっぱり母さんのはその比じゃない。
疲労と共に、一種の畏怖を感じる。
「愛って、何なんだ」
つい哲学者のようなことを口走ってしまった。
昨日もおんなじことを考えて、結局答えは出なかった。
母さんのくれるものは愛なのか、片桐さんが求めている者は本当に愛と呼べるのか。
答えが出る日は、一体いつ訪れるのか。
今日は頭を使いすぎた。
また僕はベッドの上で横になり、両手両足を広げて大の字になる。
布団に身体が沈んでいく。
疲労が蓄積されているせいで、すぐに眠気が来た。
ダメだ、今眠ってしまったら、夜眠れなくなってしまう……。
そのまま欲望に従いたかったけれど、なんとか身体を起こし、気休め程度に身体を動かす。
背中を伸ばしたり、足を曲げたり、いわゆるストレッチだ。
別に眠ってしまっても母さんは怒らないだろうけれど、だらしがない、とネチネチ言われそうで嫌だ。
そうこうしているうちに夕食の時間になり、母さんが呼びに来た。
「……何をしているの?」
「眠かったから、少し運動を」
「まだこんな時間に眠いだなんて、夜更かしでもしたんじゃないの?」
「どうしてそうなるのさ。今日は図書館に行って勉強をしたから疲れたんだ。自転車も漕いだし、おかげでヘトヘト」
「言い訳しないの。だからテストでも下の成績を取るのよ」
言っている意味がまるで理解できない。
今はそんなこと関係ないだろう。
しかし母さんにはそんな言葉通用しない。
母さんの価値観は絶対だ。
だから母さんが気に食わなければ、今すぐにでもそれをやめなければならない。
たとえそれが何の理屈もなかったとしても。
「……わかった。もうしないよ」
「素直で偉いわ」
母さんはにっこりと微笑んだままだった。
表情一つ変えず、だけど苛立ちや嬉しさは伝わってくるのが不気味だ。
価値観もそうだが、本当に母さんは人間なのか、疑いたくなる。
僕は母さんと一緒に1階に降り、食卓に座った。
コロッケとサンマと、卵のスープがテーブルに並べられている。
いただきます、と手を合わせ、コロッケを口にした。
やっぱり味が薄い。
多分片桐さんが作った方がよっぽど美味しいコロッケが出来上がりそうだ。
今日食べた弁用の具材は味がしっかりしていてとても美味しかったから。
同様にサンマや卵スープも母さんが作るよりも上出来なものになるだろう。
「本当に勉強会だったの?」
ぎくり、と一瞬だけ身体が硬直する。
だけど嘘はついていない。
本当に勉強を教わったし、すごくはかどった。
ただ、相手が援助交際をしている異性のクラスメイト、と言うだけであって。
「本当だよ」
「そう。疑ってごめんなさい」
そんなこと1ミリも思っていないくせに、という静かな怒りは喉の奥に引っ込めて、僕は味のしない夕食にありついた。
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