ジェーン・ドゥは何も知らない【朗読OK】

久永綴和

第1話

 私は気がつくと白い部屋に佇んでいた。

 窓はなく、照明が私たちと白い床や壁を照らしている。

 出口らしい出口もなく、どうしたものかと私は一人で頭を抱える。

 隣に人はいるのだがその人に話を振ることはしなかった。

 それは彼女が私の知り合いではないからとか、私が人見知りだからではなく、そもそも彼女は死んでいて話を振ったところで返事がないことは火を見るよりも明らかであったからだ。

 この部屋に唯一の彩りをつけた彼女の血は既に乾いていて、死後それなりの時間が経っているというのが見て取れる。

 死体を目の当たりにしてもこうも冷静にいられるのは我ながら驚きだけど、それ以前に私は自分のことで精一杯でそれどころではない。

 だって私は何も覚えていないのだから。

 何故、私はこんな部屋にいるのか?

 何故、私はこの女性と一緒にいたのか?

 そもそも私は誰なのか?

 何も思い出せない。

 今、床に横たわっている彼女なら私のことを知っていたのかもしれないけど死人に口なし。それ以外に人の姿はなく、部屋の外にも人の気配はまるでない。

 とはいえこのまま立ち尽くしていたところで状況が好転するわけでもないので隈なくこの部屋を調べてみることにした。

 床や壁を触ったり、見落としがないように注意深く調べてみたけど分かったことといえば自力でこの部屋から出るのは不可能だということ。

 ちゃんと調べていないのは部屋の中心に横たわっている死体のみ。

 出来ることならこれに触れずにいたかったけどそういうわけにもいかないみたい。

 死体を漁るのは申し訳ないけどこれも私がここから出るため。名も知らぬ死体に手を合わせて早速調べてみることに。

 死体は死後膠着をしていて思うように動かない。私は死後膠着について詳しくないので彼女がいつ死んだかは分からないけどそれはさほど重要ではない。

 死体のポケットを全て調べ、遂に私のお目当ての財布を見つける。

 財布がお目当てとはいえ、金銭目当てというわけではない。お金を手に入れたところでここから出られなければ何の意味もないのだから。

 私は財布からこの死体の免許証を取り出す。

 もしこの女性が私の知り合いなら名前を知ることで何か思い出せるかもしれない、という淡い期待を持っての行動だ。

 そして分かったのは彼女の名前が「ジェーン・ドゥ」だということ。

 けど残念ながらその名前を知ったところで何かを思い出すということはなかった。

 けれど落胆してもいられない。私は更に死体を漁って次に欲しかったものを探す。

 私が探しているのは携帯電話。死体の、しかも見ず知らずの人の携帯電話を借りるのは気が引けるけど今は緊急事態。それで誰かに助けを求めるしかない。

 それが唯一の希望だったがそれは絶望に変わった。

 ジェーン・ドゥは携帯電話を所持していたが助けを求めようにもここは圏外。これではただの金属板と変わりない。

 こうして私に残された選択肢はたった二つ。

 一つはこのまま来るとも分からない助けを待つか、それともジェーン・ドゥと同じく彼女の胸に突き刺さったナイフで自害するか。

 いや、それとも彼女は私が殺したの?

 この状況に絶望し、言い争いになって……。あり得ない話じゃない。けど真相を知っているであろう彼女は何も教えてはくれない。

 私は死体が腐っていく様を観察しながら思考を巡らせる。けれど行き着く先はどれも同じ。

 あれからどれだけ時間が経っただろう?

 ジェーン・ドゥの携帯電話も充電が切れて本当にただの鉄の板と成り果ててしまった。

 何故かお腹は空かないけど私の心は限界を迎えていた。

 無意識のうちにナイフを手にし、それを自分の喉に突き立てるほどに。

 そして意を決してナイフを突き刺そうとしたところで私は思い出した。




「そっか、私がジェーン・ドゥだったんだ」




 私の体をすり抜け地面に落ちたナイフを横目で見て確信した。

 今隣で横たわっている女性は私自身なのだと、私はもう死んでいるのだと。

 自分が死んだというのを自覚した直後に意識が薄れてしまったのでその後、どうなったのかは私は何も知らない。

 ただ一つ言えることは












「私はあなたを絶対に許さない」


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