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「そこのアパート、見える?」

 杏さんがハンドルに体重を預け、左斜めを指さした。その先でねずみ色のアパートが佇んでいる。一階部分は駐車場のようでぽっかりと空き、二階からベランダを数えていくと四階まで部屋があるように見えた。

「駐車場奥のフェンスと、学校のフェンスがすごく近いの。あそこからなら簡単に入れるってわけ」

「簡単って、監視カメラや警備の人に見付かりませんか?」

「よくぞ聞いてくれました。ゴールデンウィークに実家に戻った時なんだけどね」

 杏さんがシートベルトを外す。体を捻ってこちらに向き直った。

「親戚の子がそこのフェンスから学校に忍び込んで、肝試しをやったって聞いたの。そのために靴もスニーカーに履き替えてきたし」

 まるでいたずらっ子のような悪い笑み。いや、実際かなり悪い。卒業生とはいえ不法侵入、それに加えて私は深夜徘徊。止める気はないけれど、あまりにもリスキーな冒険に鼓動が早くなる。

「それと監視カメラの話も聞いたんだ。重要だからよく聞いて」

「は、はい」

 いつにも増して真剣な目つき。思わず生唾を飲み込む。

「校門と正面玄関と裏口にあるカメラはもちろんだけど、校内に設置された敷地侵入センサーにも注意してね。親戚の子はそれで警備会社に気付かれて、友だち全員一緒に怒られちゃったみたい」

 センサー、警備会社、怒られた。まるでこれから自分がそうなってしまいそう。背中にひんやりと冷たいものが走る。

「肝試しで通ったルートを聞いて、センサーのおおよその位置を推測したの。正面玄関、裏口、職員室前、昇降口、コンピュータ室、プールの入り口。他にもあるけれど、とにかく普通の入り口からは入れないってことで」

「な、なるほど」

 頷けば、杏さんがスニーカーを脱いで後部座席へ移った。体ごとねじって振り返ると、荷物の山から一斗缶を取り出していた。

「それを、埋めるんですか?」

「そう」

「あの、穴って今から掘るんですよね」

「そうだね」

 これはかなりの重労働になる。それにしても今度の中身は何だろう。一斗缶に入れて埋めるといえば、タイムカプセル? またいつか掘り起こしに来るのかな。

「はい、これ持って」

 後部座席からぬっと差し出された、麻の手提げ袋。ずっしりと重く、中を覗けば黒い何かが詰められていた。

「それ、ちょっと出してみて」

 中身を取り出した。ひんやりとした触感と、見覚えのある三角形。柄も付いているってことはシャベルだろうか。

「これってシャベルですか?」

「そう。折り畳みのシャベル。あんちゃんを拾う前、ホームセンターで見付けたの。最近はシャベルも小型化してすごいよね」

 そう説明しながら、手元のシャベルを組み立てていく。私の腕ほどの長さながらも、がっしりとした作り。これならよほど硬い地面でもなければ大丈夫そう。

 杏さんのシャベルも手提げ袋に入れ、ひと気がないタイミングを見計らって外へ出た。片や麻の手提げ袋、片や一斗缶入りの大きなリュック。どう見ても怪しい二人だと思うのは私だけだろうか。

「古いアパートだけど、カメラがないか注意しよう」

 駐車場に足を踏み入れ、きょろきょろと注意を払いながら奥へ。天井、壁、止まっている車。目を皿のようにして探すも、それらしき物は見当たらない。

「よかった。うそだったらどうしようかと思った」

 みっちりと車が詰められた駐車場。その奥はブロック塀になっていた。途中から網目上のフェンスになっており、その奥にもう一つ似たフェンスが見える。こう見ると簡単に乗り越えられそう。

「私が先に行くね」

 杏さんがリュックを降ろした。そして足元に転がってたコンクリートブロックを踏み台にし、フェンスの網目に手を、ブロック塀とフェンスの間に足を捻じ込んであっという間に上へ。

「リュックちょうだい」

「はい」

 足元に置かれたリュックを掲げ、手渡す。シャベルほどの重さではないけれど、ずっしりとした重みに腕がぷるぷると震える。一斗缶の重みか中身か。気になるけれど今はそっとしておこう。

「シャベルもちょうだい」

 肩から下げていた手提げ袋も渡す。受け取った杏さんは静かに学校側のフェンスを越え、地面へと飛んだ。一瞬だけ宙に浮いたポニーテールが目に焼き付いたまま消えない。

「あんちゃんも早くおいで」

 フェンス越しにひょっこり顔を覗かせる杏さん。どうやら安全らしい。見よう見まねでコンクリートブロックに足を置き、フェンスの手すりへ手を伸ばすも届かない。先に足をかけた方がいいのかな。運動不足でつりそうな足を上げ、手を必死に伸ばし、どうにかフェンスを跨いだ。

「お、降りまーす」

「はーい」

 フェンスから地面に飛び降り、警戒してしゃがみ込む杏さんの横で膝を曲げた。目の前には木々が広がり、その下で芝生のように雑草が自生している。

 呼吸するたびに土の匂いが入り込む。不法侵入ながらも、どこか懐かしい気分に浸ってしまう。目を凝らせば奥には校舎らしき建物も見えた。

「明かりが少なくてよかった。これなら気付かれないでしょ」

 校門前で一定間隔に並んでいた街灯も、校内になるとピンポイントでしか設置されていない。校門、正面玄関、それから駐車場にぼんやりと明かりが見える。

「あんちゃん大丈夫? けがしてない?」

「まだ大丈夫です」

「それならよかった。警備員は常駐していないらしいけど、入口以外にカメラがあるかもしれないからゆっくり行こう」

 杏さんが中腰で移動を始めた。慌てて手提げ袋を肩にかけ、フェンス沿いに進んでいく。幸いこちら側に明かりは少なく、五分ほどで校舎の裏側にたどり着いた。

 暗闇に包まれたグラウンドと、その両側に位置する体育館とプール。脳内でイメージしていた図を更新。中央にある校舎を囲むように校門やグラウンド、体育館といった施設があるんだ。

「こうして見ると、あんなに広かったグラウンドも狭いね」

 確かにグラウンド自体は高校に比べて狭い。あまりいい思い出がないのと、照明がついていないことが相まって妙な胸騒ぎを覚える。真っ暗な無人のグラウンド。今にも闇の中から妖怪の類が迫ってきそう。

「これが大人になるってことなのかな」

「視界が広がっただけでは?」

 反射的に呟くと杏さんが頬を膨らませた。

「人がせっかく懐かしんでいたのに。あんちゃんは懐かしいとかないの?」

「現役の高校生なので、そういうのはあまり」

「あ、そっか。同い年の感覚で話してたよ」

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