転生したらCoCの中だった
いりさん
1-1
その日、わたしは気付いてしまった。
この世界は”クトゥルフ神話TRPG"の世界であると。
以前からおかしいとは思っていた。
まず、やたらと『未確認生物』のニュースが多い。
東京湾で巨大なタコのような何かが目撃されたかと思ったら、翌日には芦屋湖で謎の棘が見つかったりする。
集団失踪や集団ヒステリーは多すぎていちいち報道されないし、謎の村に行くと言い残して失踪した同級生は数知れない。
そのくせ警察は怠慢な人か癖の強い人しかおらず、事件の多くは未解決のまま放置されがちだ。
図書館には異様な本がちょくちょく見受けられるが、そのくせ『クトゥルフ神話』と題された本は存在しない。
一応調べてみたが、どうやらこの世界にはラヴクラフト自体が存在しなかったようだ。
ハワード・フィリップ・ラヴクラフト
わたしは、その人物を覚えている。
おそらくはこの世界でただひとり、わたしだけが彼の存在を認知している。
この物語にありふれたタイトルをつけるのなら、こうだろう。
——転生したら、CoCの世界だった。
わたしはいわゆる卓修羅であった。
昼は会社員として働きつつ、夜や休日には仲間たちとオンラインセッションを囲む日々。
予定は一ヶ月先どころか半年先までセッションの予定で埋まっていた。
残業が何日も重なったある夜、朦朧とした意識のまま風呂に入り——
——そこで記憶が途切れているので、おそらくそこで死んだのだろう、たぶん。
実感は湧かないが、どうやらただの会社員だったわたしはあの風呂場で死に、この世界に転生したのだ。
……という事実に何もこのタイミングで気付かなくても! と思う。
「どうかされましたか?」
わたしの目の前に座っているのは浅黒い肌をしたエスニック系の美男子。
艶やかで美しい黒髪は緩くまとめられており、長いまつ毛に守られた瞳は宝石のように赤く輝いていた。
そしてこの人の職業は『占い師』である。
いや、どう考えたってニャルじゃん?
ことの経緯を順繰りに話そう。
まず、転生後の『わたし』は、ごく一般的な女子大学生であった。
一般的女子大学生の『わたし』には、見目麗しい高校生の『妹』がおり、その『妹』が先週から行方不明になっている。
『妹』は以前から彼氏の家に出入りするなど、家に帰らない日が少なくなかったため、両親はあまり心配しておらず、警察も事件性がないと言って取り合ってくれない。……今思えば警察の無能さには納得である。何せここはCoCの世界なのだから。
それでも『妹』が何らかの事件に巻き込まれたと信じて疑わない『わたし』は、藁にもすがる思いで「とてもよく当たる」と評判の占い師の元を尋ねた——というわけだ。
なんでもこの占い師、本当に人気のようで予約は一年先まで埋まっているらしい。『わたし』が予約を取れたのは、たまたま今日の予約にキャンセルが出たからとかで、そこに滑り込んだ形となる。全くもって幸運な話だ。……もしくは必然かもしれないが。
そういうわけで『わたし』は人気の占い師『村駆彼方』の元を訪れた。
そしてどういうわけか占い師と向き合った瞬間に、わたしは前世の記憶を取り戻したというわけだ。
こうなってしまっては妹の失踪からここに至るまでの全てにツッコミを入れたいが、今はそれどころではない。
今一番の問題は目の前のこの男である。
浅黒い肌に黒い髪、そして赤い瞳を持つ超絶美形の占い師。
こんなものCoCの世界においてはほぼ確実にニャルラトホテプだと相場が決まっている!
目の前にいる見目麗しい占い師『村駆彼方』——、『わたし』の記憶によれば彼は大人気の占い師である。
その人気っぷりたるや、書店へ行けば占いコーナーに特設コーナー設けられ、テレビをつければお昼の情報番組や夜のバラエティにコーナーを持ち、各メディアでインタビューなどの特集記事が組まれるほどである。
前世の記憶を取り戻した今、その人気っぷりの中にいくつかの違和感があることにも気付ける。
一つ目に、この占い師はとてつもない人気を誇っているのにも関わらず、彼と直接会って占ってもらえる場所がここしかないということ。
何を隠そうここは駅の裏手にある古めかしい雑居ビルの五階だ。こんなにも人気ならば表通りに堂々と店を構えても良さそうなものなのに、何故彼はこんな人目のつかない場所で商売をしているのだろう。ニャルだからだ。
二つ目に、しょっちゅう特集やインタビューを組まれているというのに彼の私生活や人となりがまったく不明瞭であるということ。そこもまたミステリアスな占い師ということに拍車をかけているようだが、出身地や年齢も不明であるらしい。ニャルだからだ。
三つ目に、あまりに人気すぎて占い師なのにファンクラブまでできているらしい。そのファンたちの熱狂っぷりたるや、彼が新刊を出せば河原でキャンプファイヤーを囲んで踊り狂うほどのものだという。ちょっと熱狂に度が入りすぎている。ニャルだから。間違いない。
ニャルラトホテプ——這いよる混沌や無貌の神とも称される外なる神。
平たく言えば”ヤバいやつ”だ。
CoCにおいては多くの場合、黒幕として登場し、探索者を引っ掻き回しては彼らが狂い、惑い、時に死ぬ様を楽しそうに見ている。
その引っ掻き回しっぷりたるや、”トリックスター”という言葉が相応しいほどだ。
ニャルラトホテプは何にでもなれるとされており人の姿をとることも珍しくない。そして多くの場合、美男美女の姿をとる。
「どうかされましたか? 顔色が優れないようですが」
目の前でそう言って赤い瞳を細めるこの占い師もとんでもない美形だ。人間離れした赤い瞳を差し引いてもお釣りがくるほどの美形だ。
わたしの頬を冷たい汗が流れる。密室にニャルと二人きり——こんなの何もないわけがない!
「大丈夫です?」
占い師がそう言って椅子から立ち上がり、わたしの方へと歩み寄る。その所作のひとつひとつが美しい。
「……緊張されています?」
わたしの顔を覗き込んで、占い師は小首を傾げる。こんな状況じゃなかったらときめくところだが、わたしはそれどころではない。どうにかして早くここから立ち去らなくては!
「あの……ッ!」
わたしがなんとか口を開いた。
——そのときだった。
ドンッ! という強い衝撃と音が響いた。やや狭い個室が大きく揺れ、わたしは思わず椅子から落ちてしまう。
衝撃のせいか蛍光灯がチカチカと瞬いたかと思うと、ぱつんと音を立てて消えてしまった。
途端に辺りを暗闇が支配する。
「……停電?」
占い師が訝しげに声を上げる。それすらもわたしには茶番にしか思えない。早く、ここから逃げなくては。
暗闇の中、打ちつけた腰をさすりながら立ち上がり、わたしはポケットをさぐってスマートフォンを取り出す。
懐中電灯を起動すると、入り口の扉は衝撃で歪み、開いてしまっていた。
そして、わたしは目撃した。
まるで目のないヒキガエルのような、脂ぎった灰色がかった白い肌。槍を持ち、目はなく、鼻にあたる部分にはピンク色の触手が生えている。
こ、こいつは——!
『探索者たちの前に現れたのは、灰色がかった白い脂ぎった肌を持つ、目のないヒキガエルのような存在だった。その皮膚は伸縮自在であり、鼻にあたるであろう部分にはピンク色の短い触手が生えている。——月の怪物”ムーン・ビースト”を目撃した探索者は正気度ロールを行う』
……今の何?
突然頭の中に響いたのは、男とも女ともつかない、機械的なナレーションだった。いや”描写文”と言うべきか。
確かに目の前にいるのはムーンビーストに間違いない。ゲーム内では何度か遭遇したし、何度か遭遇させたこともある。
正気度ロールは0/1d6 つまりロールに成功すれば正気度は減らない神話生物となる。だからと言って可愛いものではない。
何よりこいつはニャルラトホテプに仕えているのだ。おそらくは私の横にいる占い師に仕えているのだろう。
そう思いながら隣にいる占い師を恐る恐る見上げた。
「……なんだ、あれ」
占い師は真っ赤な目を見開いて、明らかに驚いていた。……え?
戸惑うわたしをよそに、ムーンビーストは文字にし難い声を上げて槍を振りかざす。
『戦闘開始です』
また無機質なナレーションが聞こえた。
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