彼女の恋物語にちょい役で出演する。
よせなべ
第1話 01
プロローグ 主演 雛倉寧々
01
放課後の屋上には沢山の音が溢れていた。
グラウンドを駆け回る運動部の喧騒と吹奏楽部の合奏の音色。似ても似つかぬ二つの音は学校という舞台では不思議と調和がとれている。
新一年生が加わった部活動は常よりも活気的だ。
人が入れ替わったことで彼らの物語はどんな風に紡がれるのだろう。漫画のようなドラマティックな展開を勝手に妄想しつつ眼下のグラウンドを見下ろす。
野球部の練習を写真に収めようとして、胸ポケットにデジタルカメラが入っていないことに気がついた。
「あれ。持ってくるのを忘れたな」
部活道具を部室に置いてきてしまったようだ。
絶好のシャッターチャンスを逃さないために急いでカメラを取りに戻る。屋上から一階段下った四階部分に部室はあって、物理実験室と銘打たれている教室の前で足を止めた。
「おかえりー」
扉を開けると中から出迎えの声が聞こえてくる。
十人程が実習できる小さな教室に男子生徒が二人。
我が物顔でスマホをいじっているがこいつらは写真部の部員ではない。
「暇だからって遊びに来んな。もぶ、くろこ」
「つれないこと言うなよー」
「邪魔して悪いな」
もぶとくろこは二人の愛称で、本名は濱本利伸(はまもととしのぶ)と黒井小次郎(くろいこじろう)。
全く華のない俺の友達だ。
中学の時からの付き合いがあって、かれこれ五年間連続で同じクラスになってしまった腐れ縁。
「おまえらは自分の活動をしろ。今年は絶対映画撮るってこの前まで息巻いてただろ」
「だって、誰も入部してくれないんだもーん」
「映像研もゼロか」
「もってことはそっちもゼロだったんだな」
「誰も見学にすら来てくれない」
現在、写真部の部員数は一。映像研は二。
一週間ほど前に新入生へ部活動紹介が行われ、写真部も映像研も参加したのだが、興味を持ってくれる生徒は誰もいなかったらしい。
「いっそのことちょいも映像研に入らないか?」
「いやー。遠慮しとく」
ちょいというのは俺自身のあだ名だ。
可愛らしい響きではあるけれど、由来はちょい役から取られている。二人の由来も似たようなもので、要するに俺達は脇役と呼ばれるタイプの人間だった。
「映画観るのは好きだけど自分で作りたいとは思わないからな」
「写真なら一瞬を切り取れば誰でも主人公になれるだっけ?」
「そうだな。引き立て役なんていなくていい」
だから、人一倍主人公という存在が特別だと思う。
何か特別な才能を持っていて、運命的なチャンスに恵まれて、自然体のままでも可愛い女の子から好意を寄せられる。そんな主人公になれたらよかった。
しかし、十五年も生きていれば自分は平凡であると嫌でも気付いてしまう。自分には特別な役柄なんてなくて、例えば漫画に出てくる名もない友人。ゾンビ映画で一番最初に殺されるエキストラ。
俺達はエンドロールに名前が載るかも怪しい登場人物だから誰の記憶にも残りはしない。だけど、その世界を独り占めできたとしたら、誰であろうとその人は主人公になれる。写真にはそれが出来ると思うのだ。
誰かの輝く瞬間を俺が見つけたい。
だから、脇役は俺だけでいい。
「俺ほどの脇役には出会ったことがないぞ」
「因みにヒロインにも出会ったことがない?」
「ぶっ飛ばすぞ」
「雛倉さんとも別のクラスになっちゃったもんな」
「喧しい。カメラ取りに戻っただけだからもう行くわ。おまえらも用事ないならさっさと帰れよ」
これ以上ここに滞在すると余計な揶揄を受けそうなので、奥実験台に放置されていた小型のカメラを手に取って、早々に部室を後にする。
「告白はしたのかー」
背中で聞こえる声は無視して再び屋上へ戻ると、扉を開けた視線の先に学生がいた。その人はフェンスに背中を預けて三角座りで蹲っている。
「あ。まっずい・・・」
生徒の屋上への立ち入りは特別な理由がない限り許可されておらず、俺が自由に出入りできているのは写真部としての恩恵だった。
写真部の活動の一つに他の部活動の練習風景や学校行事中の写真を撮影し、卒業アルバムや学校のホームページに寄与するというものがある。
そのためならば屋上の出入りは自由にしていいとされているが、その分鍵の管理も厳しく言いつけられているのでこれを顧問に発見されるのは非常にまずい。
速やかに退出を促そうと近付いて、そこにいるのが誰であるかに気が付いた。俯いていて顔は見えないけど、その綺麗なブロンドの髪は一人しかいない。
イギリス人の母親から受け継いだ天然物のそれは夕焼けの赤みがかった光を浴びて淡く輝いている。
彼女の名前は雛倉寧々(ひなくらねね)。
俺と同じく高校二年生で、俺が入学式の日から片想いしている女の子だった。
「え・・・?」
彼女はずっと腕の中に顔を埋めていて俺の存在に気づいた様子はない。屋上まで来て景色を見渡す訳でもなく、ただじっと蹲っているのは変だ。
彼女の傍に立ってようやくその肩が小刻みに震えていることに気付き、押し殺したようなうめき声が耳に届いて思考が止まる。
「泣いてる?」
思わず零れた一言をきっかけに勢いよく顔を上げた雛倉と目が合う。驚きで見開かれた大きな瞳は充血していて、目尻からは止め処なく涙が流れている。
長いまつげとシャープな鼻筋。ふっくらと膨らんだ唇。間違いなく美人と分類できるその可憐な造詣が今は痛々しく歪んでいた。
「っ!?」
「ご、ごめん。驚かせて」
俺を認識した雛倉は即座に顔を逸らして制服の袖口で涙を拭う。泣き顔なんて他人に見られて嬉しいものじゃないのは明らかだ。
「どうかした?」
努めて口調には気を遣い、涙の理由を尋ねる。
「別に」
しかし、そう容易くは答えてくれない。
立ち上がって、足早にこの場を去ろうとする。
深掘りされたくないという強い意志を感じて、踏み込むことは躊躇われた。
「このことは誰にも言わないで」
だけど、この一年間、俺はずっと彼女を見てきたから、涙の理由は何となく察しがついてしまうのだ。
「王子のこと?」
あだ名ばかりで申し訳ない。
本名を天津寺浩二(あまつじこうじ)と言い、その甘いマスクと合わさって生まれた愛称だ。
核心を捉えた言葉は彼女に強い警戒心を抱かせる。
茶色の双眸が見開かれ、徐々に細められていく。
訝しむような目付きが恐くて非常に居心地が悪い。
「あんた誰よ」
「え」
その言葉は予想していなくて間抜けな声が漏れる。
関わりがなかったとは言え彼女とは一年間同じクラスで生活をしていたのだ。それがまさか認識すらされていないとは思わなかった。泣き崩れそうな程、心が揺らいだが、なんとか唇を噛んで堪える。
「えっと、一年の時同じクラスだったんだけど」
「え?」
「覚えてないかぁ・・・」
「ご、ごめんなさい。私、人の顔覚えるのが苦手で」
「いや、大丈夫大丈夫。気にしてないよ。ははは」
「ごめん・・・」
謝られると余計惨めな気持ちになってエグい。
まぁ、大きな痛みを代償に切っ先のように尖った視線は引っ込められたし、敵意も薄れているみたいなので結果オーライとしよう。
「まぁ、そういう訳で知ってるんだ。君の気持ち」
「だとしても誰にも言ってない筈なんだけど・・・」
「俺以外にも気付いてる人は沢山いると思うよ」
「・・・あいつにもバレてるのかな」
「いや、王子は鈍感だから絶対に気付いてない」
なんなら他のヒロイン達の想いにも気付いてない。
それがラブコメディの定番だ。
彼らの世界は少し特殊にできている。
「喧嘩でもした?」
「・・・うん」
今度は素直に頷いてくれた。
胸を撫で下ろす俺とは対照的に彼女の表情は沈んでいく。王子との関係を大切に思っている証明を目の当たりにして胸が痛んだ。
自分から踏み込んで傷付いているのだからよせばいいのにと思うけど、この気持ちは彼女の力にもなりたいとも思うからタチが悪い。
「よければ話聞かせてくれないか?」
そう言葉をかける。雛倉からしたらほとんど初対面みたいなものだから込み入った話はし辛いかもしれない。しかし、藁にも縋る想いだったのか、彼女はぽつりと話してくれた。
「口の悪い女ってどう思う?」
「口の悪い女? うーん」
「事ある毎に馬鹿とか言われたら嫌になるわよね」
それは恐らく彼女自身の話か。
彼女は無表情でいることが多くて、正直愛嬌はあまりない。言葉遣いも刺々しくて、あまり人を寄せ付けるタイプではなかった。
「本心から言われたらそりゃ傷つくだろうな」
「・・・そう、よね」
表情が険しくなって、緩んだ涙腺から再び涙が流れそうになっている。そんな顔はして欲しくない。
「照れ隠しでそうなるなら可愛らしいなと思うけど」
そんな気休めが口をついて出た。
だって、彼女の感情表現が下手くそであることも、嬉しい時や恥ずかしい時にそれを素直に表現できないことも俺は知っている。知らないのは王子だけ。だから、俺は王子が悪いと思うけど、彼女にも変わらなければいけないことがあるのは事実だろう。
「まぁ、雛倉が素直になるのが一番かな」
「・・・分かってはいるの。だけど、あいつを目の前にするとできなくて」
「でも、仲直りするためには頑張らないと」
「そうね・・・」
助言している自分に笑いが漏れる。
二人が喧嘩別れする方が余程俺にとって都合がいいのに好きな人が別の人を好きだという状況に慣れ過ぎていてそういう考えは少しも浮かばなかった。
「もうすぐあいつの誕生日なの」
「ごめんなさいの印に何か贈ろうか」
「うん。それで、ちゃんと謝る」
「いいと思う」
言葉だけではまたすれ違ってしまうかもしれないから、想いを形にして贈るというのは凄くいい考えだと思う。しかし、それでもまだ不安があるのか彼女の表情は晴れないままだ。
「あんたは何を贈ればいいと思う?」
「そりゃ王子の好きな物じゃない?」
「あんまり物に頓着してるイメージがないわね」
「じゃ、日用品とか。確か部活してたよな」
「うーん」
「あとは服。文房具。イヤホン。鞄。財布。水筒。時計。スマホケース。アクセサリー」
「・・・うるさいっ」
「え」
頭の中でごちゃ混ぜになった内容を適当に口にしていたら怒られてしまった。
「あんまり難しく考えないで、実際に店で見てピンときた物を渡したらいいんじゃないかな」
「そんなの自信ない」
「友達と一緒に見てもらうとか」
「誘える友達がいない」
「古谷と神田は?」
「二人も私と同じだから」
「あー」
いつも一緒にいる王子一行には王子と雛倉と女子がもう二人いる。
王子の幼馴染である古谷穂積(ふるやほづみ)とお嬢様の神田奈々恵(かんだななえ)。
その二人も王子へ好意を寄せているから確かに相談はできそうにない。
「俺が・・・」
言いかけた言葉に理性がブレーキをかけた。
手助けはしたいけれど部外者の俺がそこまで出しゃばっていいものなのか。脇役風情のこの俺が。
「なに?」
不用意に吐き出した言葉の続きを寄る辺のない彼女は期待するような眼差しで待っている。
こんな俺でも力になれるなら保守的な考えは捨ててもいいように思えた。
「俺が同行しようか。プレゼント選び」
覚悟を決めて、選びに選んだ言葉を伝える。
「え?」
「センス云々に自信はないけど、同性としての意見は言えると思うし」
「・・・」
「あー、いや、迷惑なら全然気にしないでくれ」
腹を括った筈なのに短い沈黙にも耐えられない。
なかったことにしたくて両手を左右に振り回したら雛倉がゆっくりと首を振って否定してくれる。
「そうじゃなくて。そこまでしてもらうの悪いから」
「・・・俺から提案してるよ?」
迷惑と思うのはお門違いだ。
「・・・どうしてそんなに親身になってくれるのよ」
そして、当然の質問がやってきた。
彼女にとっては元クラスメイト。しかも、認識すらされていなくて話したのは今日が初めてだ。肩入れする理由はどこを探しても見当たらないだろう。
ただのお人好し。警戒心の強い彼女なら俺の言動を下心だと断定してもおかしくはない。
「それは・・・」
言葉にすれば一言で済む。だけど、叶わない言葉を口にするのは何とも惨めで、虚しい。
身の丈に合っていない恋だから、傍から見ているだけで充分だった。それでも大切にしてこれたのはきっと言葉にしてこなかったから。
声に出せば終わってしまう。だけど、彼女の恋を応援したいならこの気持ちは邪魔でしかない。
この気持ちを巧みに隠して彼女の手助けをしても、きっと、何処かで期待する。可能性のないことに一喜一憂するのは格好悪くて、精神衛生上よろしくない。
この感情に決着をつけるのなら、今。
ふと、やけに辺りが静かなことに気づいた。
いつの間にか運動部の喧騒も吹奏楽部の合奏も止んでいて、遠くに見える夕日が煌々と屋上という舞台を照らす。
まるで映画のワンシーンみたいだ。けれど、お膳立てされても俺は脇役。あまり活かせそうにはない。
それが少し滑稽で肩の力が抜けた。答えが分かりきっているのだから緊張なんてしなくていい。
「好きだからさ。雛倉のことが」
それでも口にした瞬間、胸が熱くなって、頭の中は真っ白になる。知っているのに答えを待っていた。
彼女は少しだけ目を見開いて戸惑っている。
そして数秒の時間の後に表情を歪めて頭を下げた。
「ごめんなさい。私、浩二のことが好きだから」
「知ってる。ごめん。困らせるだけだって知ってんのに。自分のために言った」
言わないと誠実な気持ちで彼女と向き合えない。
後ろめたさはこれで全部チャラだ。
「これでちゃんと協力できる。好きな子の想いを叶えるために。何でもするよ」
無理くりに口角を上げて胸を叩く。
答えは知っていると言いながらショックを受けているのだから情けない。彼女の目に痛々しく映ってなければいいのだが。
「もう一つごめんなさい。名前。教えて」
俺は少しだけ考えて俺は口を開いた。
「ちょいって呼んでくれ。みんなそう呼ぶから」
「それってあだ名でしょ。本名は?」
「大した名前じゃないから覚えなくていいよ」
振った男の名前なんかを覚えさせても仕方ない。
なんて、馬鹿みたいな意地を張ってみる。
「教えてよ」
「やなこった」
「もういい。誰かに聞く」
「俺の本名知ってる奴はそうそういないぞ」
「何でよ・・・」
ちょいが定着し過ぎて誰からも本名で呼ばれないからだ。それこそ中学から付き合いのあるもぶとくろこぐらいしか知らないのではなかろうか。
「そんなことより俺が手伝ってもいいのか知りたい」
「・・・本当に協力してくれるの?」
「お望みとあれば」
フラれた癖に格好つけている自分がおかしくて、つい口元が緩んだ。それを雛倉がどう思ったか分からないが、彼女も表情を和らげて微かに微笑む。
「ありがとう。よろしくね。ちょい」
照れ屋な彼女の恋物語。
素敵な女の子の恋がどうしても報われて欲しいからせめてもの一助にちょい役として出演させてもらう。
あまりにも存在感が薄すぎてエンドロールに名前が載ることはないのだろうけど。でも、それでこそ真の名脇役だと胸を張って言える。
俺の視点で語れる事なんてほんの僅かだろうから、退屈で、甘味の一つも味わえないお話しになるのは間違いない。だから、暇な人だけ付き合ってくれ。
これは彼女が恋を叶える物語だ。
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