第14話

 花梨たちは空港ビルの2階で手荷物を受け取ると、列を作って体育館がすっぽり入りそうな到着ロビーを横切った。そんな巨大な建物を見るのは、多くの生徒が初めてだった。


「きょろきょろしていると、田舎者だと笑われるぞ」


 そう言う友永が一番きょろきょろしていて、生徒たちに笑われた。


 モエが花梨の袖を引く。


「空が綺麗だったわね」


 同意を求められても返事ができなかった。景色を楽しむ余裕なんてなかったのだから。


 エスカレーターに乗って見上げる天井は空ほど高くはなかったけれど、藍森町にある農協の倉庫を含めたどんな建物より高かった。花梨はめまいを感じてモエにしがみ付いた。


 背後に凛花の視線を感じる。彼女が「ヤリマン」と言い出しそうで、背中が凍った。


 観光バス乗り場は1階にあって、ベージュにオレンジ色のラインが引かれた観光バスが2台停まっていた。クラスごとにそれに乗った。


 新入社員のような若いバスガイドが乗車口にちょこんと立っていて、「いらっしゃいませ、ようこそ」とオシャレな帽子を乗せた頭を、何度も何度も下げた。


「かわいいガイドだなぁ」


 決まりごとのように、男子生徒たちは一瞬で彼女のファンになった。


「化粧しているからよ」


 女子生徒たちは嫉妬を仲間意識に変換させ、女子同士で集まって座った。


 花梨は凛花を待たず、中ほどの窓際の席に座った。


「花梨、具合がわるいの? さっきもふらついていたけど」


 モエが隣に掛けた。


「べ、別に、……どうもしないわよ」


 モエの声に安堵すると、凛花のことが気になった。モエに気づかれないように、目だけで捜した。


 彼女はずいぶん後に乗ってきた。通路の中ほどで足を止め、何かを探すように車内に視線を走らせた。一瞬、2人の視線が交差した。クラス別に分かれた座席には余裕があって、凛花は開いている窓際の席に座った。


『藍森高校の皆さん、まいど、遠いとこよう来てくれはりました……』


 バスガイドの声が天井のスピーカーから降り注ぎ、バスが動き出す。


「まいどー」「まいど、おおきに」


 のりの良い男子が声を返した。


 中学生か!……花梨は胸中、つっこんだ。


 可愛らしいバスガイドは関西空港が造られた経緯を説明、その手が指す先には関空島から延びる長い橋があった。


 バスが橋を渡る。滅多に海を見ることのない藍森高校の生徒たちは、窓の外に広がる大阪湾に感動の声をあげた。


 橋を渡り切ると、バスガイドは大阪の歴史を話した。大阪の歴史などに関心のない男子が茶々を入れると、社内に爆笑が広がる。彼女は赤くなったり苦笑したりを繰り返し、時に『新米やさかい、いじめんといてな。怒ったら、怖いんやでぇ』と反撃した。


 花梨も大阪の歴史などに関心はなかった。ただ、『新米やさかい、いじめんといてな』という声は、その胸にしっかり届いた。


 自分は、転校生の凛花をいじめているのだろうか?……腰を浮かして凛花が座っているシートを見る。大きな背もたれのために凛花の姿は見えないものの、そこに彼女の気配のようなものを強く感じた。それはとても孤独な影だ。


「どうしたの?」


 モエに声をかけられる。


 ストンとシートに腰を落とし、「凛花さんが……」と言いかけてやめた。


「美川さんがどかしたの?」


「ううん。何でもない」


「聞いたの?」


 モエが花梨の顔を覗き込む。


「何を?」


「美川さん、人殺しだって」


 花梨の耳元でささやいた。


「エッ、まさか……」


 ベッドの中で森村が言ったことことを思い出す。――ヤクザを刺したらしい――


「男子の中で、噂になっているって」


「誰がそんな噂を?」


 荒神の顔が浮かぶ。しかし、すぐに打ち消した。彼なら陰でこそこそ噂をすることなどないと思う。それなら森村?……彼は、人を殺したら少年院に行くはずだ、と人殺し説を否定していたと思い出す。


「飛行機の中でも話題になっていたよ。きっと、みんな聞いたんじゃない」


「みんな……」凛花も聞いたのだろうか? それで彼女は、あんなひどいことを言ったのだろうか?……自分に向けられた刃物のような言葉を思い出した。――ヤリマン――


「誰を殺したというの?」


 改めて萌絵に尋ねた。


「さぁ?……それは聞いてない」


 花梨は凛花と別れて座ったことを後悔した。同時に、脅かす彼女が悪いのよ、と自分に向かって弁解もした。


 バスは最初の目的地の大仙公園にむかって速度を速めていた。

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