凜花と花梨

明日乃たまご

第1章 藍森高校藍森寮

第1話

 5月の第3日曜日、県立藍森あいもり高校の藍森寮に入寮した美川凛花みかわりんかは、わずかな荷物の整理を終えると裏山に上った。肩ほどまで伸びた黒髪を後ろでひとつにまとめ、ピンク色のトレーナーにデニムのミニスカート、そこからダンサーのような形の良い脚が伸びている。白い卵型の顔と光をためた大きな瞳、血色の良い唇は、清楚な装いも相まって彼女を森の妖精のように見せていた。


 獣道けものみちを闇雲に上ると神社の境内に出た。そこから校舎と藍森寮が見下ろせた。その先には田畑が広がり、わずかな住宅が点在するだけで、他に何もなかった。コンビニさえも……。


 何もない町、それに比べたら神社は立派だった。社殿も拝殿も歴史を感じさせる精巧な細工が施されたものだ。鳥居は石でできていた。その中央に【春日神社】と書かれた扁額へんがくが掲げられている。


 社は立派だけれど、人の姿はなかった。過疎の進む町なのだ。鎮守の森からウグイスのさえずりが聞こえた。


 卒業まで見守ってください。……拝殿はいでんで手を合わせ、おごそかな気持ちを味わった。都会を遠く離れて来たのだ。心穏やかな日々が送れると思った。


 ホッと息をつくと不思議な気持ちがした。母は入寮の手続きを終えるとすぐに都会に帰った。そうして1人になったのは孤独だけれど、誰かの監視から解き放たれた清々しさがあった。


 寂しくなんかない。産まれた時から今までずっと1人だったような気がする。今更家族と離れたところで、なにが変わるだろう。


 足元に気をつけながら緩い坂を下って鳥居をくぐった。その先に駐車場があって1台の白い軽ワゴン車が停まっていた。驚いたことに車体が揺れていた。獣が揺り動かしているように見えた。


 なんや、こんなところでセックスする? それとも、中で格闘しとる?……見てはいけないと思いながら、車から目が離せない。何があるかわからないのでスマホを手にした。場合によっては警察に通報しなければならない。


 近づくと、窓越しに女性の横顔が見えた。白いブラウスを身に着けた彼女の髪はベリショートで金色に近い茶色だった。車が揺れるのに合わせて、彼女も揺れている。


 ひとりで何をしとるの?……数歩近づいた時、突然、彼女が凛花に向いた。


 彼女のブラウスの胸元がはだけていて、白い肌が輝いて見えた。汗で濡れているのかもしれない?……驚いたのは、そのブラウスが藍森高校の制服だったことだった。


 凛花の足が止まった。すると車の中の女子高生は満面の笑みを浮かべてⅤサインを作った。唇が開閉している。コンニチハ、と言っているようだ。


「コン二チハ?……ナニ?」


 彼女が何をしているのか、想像がついていた。実際、彼女の胸元で、別の誰かの手があっちへ行けというようにひらひら動いていた。


 彼女は男性に跨っているのに違いない。相手は車を持っているのだから大人に違いないだろう。藍森高校は普通の高校だけれど、寮にいるのは、いじめられたり学習障害があったりと、様々な問題を抱えた生徒が遠くから集まっていると聞いていた。それならば穏やかな高校生活がおくれるだろうと、わざわざ奈良県から転校してきたのだ。それなのに……。


 都会でパパ活をするのと同じような生徒がいるのか!……凛花は後悔と失望を胸に参道を走り下りた。

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