紅子、と、私は妹の名前を呼んだ。

 妹は、真っ暗な部屋で眠っていた。すやすやと、安らかな寝息を立てて。

 紅子、と、もう一度名前を呼ぶ。

 紅子は、まだ目を開けない。

 私はいっそ泣きたかった。悲しいのではない。悔しいのでも、嬉しいのでもない。ただ、泣きたかった。今おおっぴらに涙を流し、声を立てて泣けたら、どんなに楽だろうと思った。それでも、私にはそんなまねはできなくて、三度、妹の名を呼んだ。

 目を開けない妹は、私の存在など無にするみたいにじっと動かない。

 「……紅子、紅子、」

 続けざまに、名前を呼んだ。そうでもしなければ、今の決意が崩れてしまいそうだった。

 紅子、と半泣きで繰り返しながら、私は妹の肩に手をかけ、揺すった。それは、ぐらぐらと激しく。

 「……なあに、お姉ちゃん。」

 ぽつり、と、紅子が言った。大きな目を、ぱちりと開いて。

 私はそれだけで、言葉をなくした。

 妹の目が、私を映して静かに光っている。それを見るだけで、胸がいっぱいになってしまって。

 「……お姉ちゃん?」

 紅子が小さく首を傾げた。肩にかかっていた長い黒髪が、胸元に滑り落ちて鈍く光った。私はその胸に額を押し付けた。ぎゅっと、強く。

 紅子は私の唐突な行動にもわずかばかりも驚かず、ただ私のするがままに身を任せていた。

 当たり前だ。私たちは、双子の姉妹だ。お互いの行動もその意味も、必ず理解できる。紅子には、私の心の中なんて、手に取るように分かっているはずだ。私自身にさえ理解できない、ぐちゃぐちゃに乱れた心の内も。

 「ここまでに、しよう。」

 言葉は、それしか出なかった。なんの説明もなく、それだけ。それでも紅子は、躊躇いを見せなかった。彼女は私の頭をそっと抱き、いいよ、と呟いた。

 「いいよ。……長かったね、銀子。」

 長かった。本当に、長かった。生まれた時から今まで、ずっとずっと。

 労うように、紅子は私の髪を撫でた。小さくて、冷たいてのひら。

 不意に降りかかるように、この女だけを愛していくのだと思った。たとえ身体が離れ離れになって、もう二度と会うことがなくなったとしても、この女だけを。

 私は紅子の背中に縋り、紅子は私の髪を撫で、そうして過ごした朝までの時間。それは、とても長くて短かった。

 窓から、障子越しの朝日が射す。真っ白い光が、部屋中を照らし出す。

 私は、紅子を連れて村を出た、最初の朝のことを思い出していた。冷たい風に吹かれながら、夜明けの白い光の中、二人で寄り添って歩いたことを。

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