蝉が吐き出した煙を目で追いながら、私は口の中で言葉を探した。

 蝉は、その間ずっと黙っていた。蝉は優しいのではなく、私たち女郎のことなどどうでもいいのだと、そう言われていたのを思い出したが、私はそれでもなお、蝉は優しい、と思った。

 「……私、ここを出ます。紅子を、ここにおいてやってください。」

 結局、長々と考えた割には簡潔な物言いになった。言葉を飾る必要などないと思ったし、飾りかたも、よく分からなかった。

 蝉は吐き出した真っ白い煙の向こうから、目を軽く細めて私を見た。そして、軽く首を傾げた。

 「なんで?」

 その返事を、私は想定できていたはずだ。一番言われる可能性が高い言葉だと。それなのに、私は答えられなかった。答える言葉がなかったのだ。眠る紅子をここに置いておくことが、蝉にとってなんの得にもならないことは分かっている。

 「……行くところが、ないんです。紅子には。」

 私がなんとか言葉を絞り出すと、蝉はつまらなそうに手の中で煙管を玩んだ。

 「それは、あんたも一緒でしょ。」

 私は辛うじて頷いた。私にだって行く場所はない、でも、私はもう、生きて行くすべを身に着けた。それは、ここで。

 「……行くところがなくても、私は生きていけます。その方法は、蝉さんが教えてくれたじゃないですか。でも、……でも、紅子は違う。」

 「違う? 同じでしょ。紅子にだって、売春くらいできるだろ。誰だってできることだよ。あんたがきれいな紅子像を思い描きすぎてるだけだ。あんたが紅子を置いて出て行ってごらん。紅子はその日から身体を売りだすよ。」

 「そんなこと……、」

 「あるね。おおありだよ。」

 きれいな紅子像。

 自覚がないわけではなかった。

 私の中にはいつも、私の理想によって形を歪められた紅子がいる。認めたくなかった。これまで一度も認めたことはなかった。それを正面から叩きつけられた衝撃は大きかった。

 黙り込む私に、蝉はひょいひょいと煙管の先を振って見せた。

 「どっちにしろ。あんたがいなくなってからも紅子をここに置くことはできるよ。ただ、その時には紅子に身体を売ってもらう。例外なんて作れないよ。ここに住むからには、働いてもらう。」

 いつもの飄々とした態度を崩すことなく、蝉はそう言い切った。

 私は黙った。蝉の言うことが正しいのだと分かっていた。ただ、認めたくないだけで。

 紅子は、私がいなくても生きていける。

 それを認めたくないだけで。

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