サチ
私がぼんやりと目を覚ました昼下がり、やはり紅子は眠っていた。こちらに白い横顔を向けて、すやすやと、それは安らかに。
私はそれを当たり前のことと思って身を起こす。
当たり前だ。紅子は疲れている。疲れさせたのは、この私だ。
銀子ちゃん、と、今日も襖の外からサチさんの声がかかる。私は風呂道具を抱えて部屋を飛び出した。
けれど、襖の前に立つ背の高い人は、風呂道具を持ってはいなかった。あれ、と首を傾げる私を見て、彼女は少し笑った。
「ごめんね、起こして。……ちょっと、外でない? 氷でも食べようよ。」
サチさんらしくない、はっきりしないもの言いだった。
だから私は気になって、すぐに頷いた。風呂道具を畳に放り出し、浴衣の衿と裾を直す。
サチさんは、どことなくぼうっとしたような表情をしていた。
行きましょう、と彼女の様子をうかがいながら、恐る恐る声をかけてみると、操り人形みたいにぎこちなく歩き出す。
氷屋は、宿を出てすぐ左だ。夏は氷を、冬は汁粉を売って、女郎たちの息抜きの場になっている、ごく小さな店。
店内は、空いていた。今日はあまり暑くはないし、そろそろ風呂に入って身支度を整えなくてはいけない時間だからだろう。
サチさんは、大きな窓から一番離れた、目立たない席を選んで座った。その姿勢は、いつもきりりとしたサチさんらしくなく、もう二度と立ち上がれないんじゃないかと思うくらい、だらりと疲れ切ったようなそれだった。
「……サチさん?」
本気で心配になってきて、ためらいがちに名前を呼ぶと、彼女はすっと視線を上げて私を見、細く笑った。それは、余計に心配になる表情だった。
「……ごめん。」
サチさんは。また私に詫びた。そして、近寄ってきた店の年老いた女主人に、いちご味の氷を2つ注文すると、長く細い息を吐いた。
「……身請けのね、話が来てるの。」
そう、サチさんが言ったとき、馬鹿な私は嬉しくなって、普通に手を叩いて祝福してしまった。
身請け。
それは、この町に住む女にとっては、手放しで喜ぶべき単語のはずだった。
もう、病気や妊娠や発狂に怯えながら客を取る必要なんかなくなる。正妻か妾かで多少身の上に差は出てくるけれど、それでもとにかく、もう見ず知らずの男たちに20分いくらで身体を売らなくて良くなるのだ。
けれども、サチさんの表情は冴えなかった。
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