第二十三話 先輩と部活体験 ①
中間考査最終日になると、間延びした空気が校内に蔓延していた。
それも仕方のないことだ。試験は全五日の日程。しかも午前の二、三限で部活は無し。よほど真面目な生徒でなければ、気も抜けていく。
普段から勉強の習慣を身につけていない生徒ほど、それは顕著であった。
「優斗ー、あと試験って何が残ってる?」
俺が所属する1-Dの教室では、沖田誠が筆頭格であった。
誠は試験の中身すら無頓着なようで、近くの席で勉強していた俺に訊ねてくる。
「残りは保健体育と家庭科だな」
「っし。残りは雑魚だな。勉強の必要なし」
誠は残りの教科が受験と関係ない教科と知るやいなや、勉強を放棄した。
受験必須の科目以外は軽視される。進学校では当たり前の光景であるが、試験は試験だ。当然、赤点は存在する。
「おまえ。それで赤点取ったら学校の恥だぞ」
横にいた菱川辰巳がそう嘆息する。
彼はそれなりに真面目さを保っており、一応は教科書を開いていた。
だが、目線は教科書ではなく、ズボンの上に乗せた携帯に注がれている。
「赤点なんか取るわけなくね? 先生も簡単だって言ってたし」
「バカか。出る問題が決まってるだけで簡単とは言われてない。むしろ、出題が決まってる問題に目を通しとかないときついぞ」
眼鏡をクイと上げて言ったのは、三谷隼也である。
彼は辰巳よりも真面目であり、授業で配られたプリントをしっかりとファイルに挟んで保管してあり、それを確認している。
保健体育と家庭科の試験は、あらかじめ出題が決まった問題が全部で三十点分ある。つまり、そこさえ完璧ならば赤点はまずない。
しかし逆を言えば、そこすらも出来ていないようであれば、赤点は確実と言えよう。
「ま、まじか……」
「隼也が正しいよ」
俺も隼也に同意する。
試験は試験。俺の考えは一貫している。
「家庭科も大事な授業だし、赤点回避するくらいには真面目に勉強したらどう?」
「そりゃ、お前は家庭科得意だから言えることだが、俺ら高校男子には家庭科なんて縁がないからな」
「そうだぞ! よっ将来の家庭科部部長!」
お調子者の誠は口笛を吹いて囃し立てる。
「しかし、優斗はわかるけど、三谷も家庭科部に入るのかよ」
辰巳は隼也と中学が同じである。
気心の知れた辰巳は、隼也が家庭科部に入ったことに意外感を露わにしていた。
「中学の時はバスケ部のエースだったじゃん」
「朝川高校はバスケ弱いしな。やっててもつまらん」
「だからって、才能腐らすのはもったいないぞ」
隼也が入って辞めた部活というのは、男子バスケットボール部だったのか。
合わなくて、というのは本気でやりたい隼也との熱量が合わなかったということだろうか。
弱小部は部活にもよるだろうが、「勝つのは二の次で楽しめればいい」という意識が浸透しているところが多い。
だからって、辞めることはないのにな。
そんなことを考えていると、
「試験始まるぞ。席につけ」
試験監督が教室に入ってきて、間延びした空気を一喝した。
そうして最終日の試験が始まったのだが、俺の頭は目の前の白紙よりも別のことを考えていた。
紫奈先輩に告白する。人生で初めての告白だ。
試験に集中しなければならないのに、俺の頭はそのことばかりだった。
◇◇◇
試験最終日も午前だけの授業だったこの日は部活体験にうってつけだった。
料理は手間暇が掛かる。簡単なものでも後片付けの時間を含めれば、一、二時間は要するだろう。
だから放課後にできる家庭科部の活動と言えば、もっぱらバイトだったり、誰かの家で料理を作ったりだ。
しかし、繰り返すようにはなるが、今日は午前でカリキュラムが終了する。
しかも前日までとは違い、テスト期間が終了したため、部活動も解禁される。
そうして家庭科室では部員候補生が集められた。
「あんた誰?」
「そっちこそ、どちらさん?」
家庭科室に集まったはいいものの、さっそく部員候補生二人の間に摩擦が生まれていた。
二人共と面識があるので失念していたが、胡春先輩と隼也は初対面だったのだ。
いきなりの顔合わせはハードルが高い。
「あー、えーっと……俺のクラスメイトの三谷隼也です。隼也、相手は生徒会書記の白川胡春先輩だよ」
俺は胡春先輩に隼也を、隼也に胡春先輩を紹介する。
隼也が俺と同学年だと知ると、胡春先輩は鼻を鳴らした。
「後輩じゃん。敬語も使えないの?」
「初対面だよな? 僕たち」
隼也は胡春の上から目線な態度に眉を顰める。
「初対面だから第一印象が大事じゃない? 少なくとも、あんたは可愛がりたくないタイプの後輩」
「性格悪りぃな。本当に書記か?」
「第三十四回生徒会選挙で選ばれたれっきとした書記。文句あるなら、生徒会までどうぞ」
頑として態度を軟化させない胡春先輩に思わず隼也は苦笑する。
なんなら、本当に生徒会に掛け合ってやろうかと言う始末だ。お互いに芯がある性格故の軋轢だった。
「二人ともいい雰囲気だね。優斗、ナイス人選だよ」
紫奈先輩は伸びやかな声で言う。
小学生の時に作ったのであろう、ところどころ糸がほつれた自作エプロンを恥ずかしげもなく身に着け、三角巾を頭にかぶっている。
「え? 本気で言ってます?」
「胡春ちゃんとあそこまで言い合える男子って貴重なんだよ。実は」
紫奈先輩は家庭科室の窓台の上に座って、机を囲む二人を保護者目線で眺めていた。
胡春先輩と距離を縮めるのに苦労した紫奈先輩だからこその達観みたいなものがあるようだ。
「それは、誰にも物怖じしない隼也が適任なわけですね。ピッタリだ」
俺も二人に目を向ける。
二人は俺たちをのけ者にして、尚も言い争いを続けていた。
「もうちょっと笑顔増量したらどうだ?」
「なんであんたなんかに笑顔を振りまかないといけないわけ?」
「来年の投票に向けて。一人でも投票者増やしたいだろ?」
「別に。友達に言われてやってただけだし」
紫奈先輩が言うように相性は悪くないのかもしれない。
胡春先輩に委縮しない男子は貴重だし、隼也に噛みつく女子も珍しい。
「というか、本当に白川先輩もいるんだな」
「白川って、私もなんだけど?」
「いや、そっちじゃねえ。人気な方の白川先輩だ」
「はあ? なにその分け方?」
「事実ですが、なにか」
「うざ」
このまま二人の小競り合いを傍観していても面白そうではあるが、部活の趣旨がずれてしまう。
俺は咳ばらいをして、場の空気を収めた。
「あー、そろそろいい?」
「っと、すまん。続けてくれ」
「知らない顔がいたから、つい……」
声を掛けると、二人ともぱっと前を向いた。
ここら辺は二人が持つ生来の生真面目さのおかげだった。
「さて、優斗君。今日は何を作るのかな?」
ホワイトボードの前に立つ俺に手を挙げて発言をする。
「今日は色々考えた結果、クッキーを作ろうと思うよ」
俺はホワイトボードに簡単な作り方を書いていく。
お菓子作りは小さい頃に何度かやったきりでうろ覚えではあるが、こういう機会なので、ぜひやってみたい。
一人だと、どうしても作らないからな。
「道具はいいとして、材料はどうすんの?」
隼也は建設的な質問を投げかける。
クッキー作りに必要なボウルや泡だて器などは一通り揃っている。
しかし、材料ばかりはこちらで準備する必要がある。
「材料はすぐ近くのイオンで買いに行こう」
「即興かよ」
あまりの無計画さに隼也が声を上げる。
「文句あるなら帰れば?」
隼也がなにかを喋るたびに不機嫌になる胡春先輩。
「誰も文句は言ってないですけど?」
「だったら黙ってて。あんたのツバが入ると嫌だから」
「怒りっぽい書記さんだな」
「書記書記って、役職で呼ぶの鬱陶しいからやめてくんない?」
「書記って良い役職ですけどね。下っ端みたいで」
「喧嘩売ってるの?」
「買ってるだけだ」
剣呑な二人は言葉の端々に棘を含ませた会話を弾ませる。弾むと言うか、相手の顔面を狙ったシュートを撃ち合ってるイメージ。
俺は、後ろでわーぎゃー喋る二人を引き連れて、学校を出た。
学校前の横断歩道を渡り、イオンの一階にある大型スーパーまでやってきた。イオンは品揃えがいい。ただ品ぞろえが良すぎるせいで、パン屋にあるクッキーを見て、「もうそれでいいんじゃない?」となりかけた。
「クッキー作るのとか、小学生の頃ぶりだな」
買い物カートを四人で囲んで話す。
馴染みのある顔ぶれだが、こうして一堂に会してなにかをするなんてはじめてのことだ。
放課後の気だるげな空気もふっとんで、今は楽しい気持ちで一杯だった。
「バレンタインのお返しとか作った経験ないの? あ、ごめん。そもそも貰えてなかったか」
「お返しにクッキーとかないだろ」
「お返しにマカロンとか送りまくる男子のが無理なんだけど」
クッキーの意味は「ずっと友達でいよう」。
義理チョコに対するお返しによく使われるクッキーだが、隼也的には許せないらしい。
逆にマカロンの方は「大切な人」とかの意味があって本命に使われる。
「最上」
カートを押して、クッキー作りに必要な材料を集めていると、胡春先輩がパーティー用の2リットルジュースを買い物カゴに入れて耳打ちする。
「このチャンス逃してどうすんの?」
「チャンスって……」
「わかってんの? 紫奈さんはモテるんだから、他の男に盗られる前にアプローチしないと」
胡春先輩はそう小さく言って、紫奈先輩がいる前へ背中を押した。
アプローチ。それはつまり、好きだと告白する前段階だ。
人生で初めて、そういうことを意識して女子に話しかける。心臓が跳ね上がって、口から飛び出そうだった。
じわりと掌に汗が溜まっていく。
「先輩……」
「ん、どったの? 足りないものあった?」
「えーっと、あの……」
俺は途端に口ごもる。
何を話せばいいかわからなくなってしまった。普段はどんな会話をしていたかを思い出そうとする。
俯く俺を、紫奈先輩は「んー」と不思議そうな顔で覗き込んだ。
「……し、試験はどうでしたか?」
ようやく口から出たのは、日常会話にしては全く花がないものだった。
後ろで見ていた胡春先輩があまりの不甲斐なさに額を抑える。隼也も何やってるんだと呆れて頭を掻いている。
「試験かー、んーいつも通りかな。数Ⅱの公式覚えるのが面倒だったくらい?」
「そうですか」
「優斗はどうだったの?」
「俺も普通でした」
せっかく振られた話を無意に消費してしまった。
困り果てた俺に、紫奈先輩は続けて、
「……優斗、あのね。私、卒業したら専門学校に通って、資格をとろうかなって思ってるんだ」
「資格、ですか?」
「うん。介護士の」
想定よりも遥かに具体的な将来設計に、思わず目を見張った。
「……お母さんの影響ですよね?」
紫奈先輩は頷いた。
「知らなかったら、また別の道を選んでたと思う。……知ってしまったら、見て見ぬふりなんかできないよ」
「……忘れられるかもしれないのに、」
「忘れられるのは怖いよ。でもね、本当に怖いのはきっと忘れる方なんだよ」
「……俺もそう思います。考えるだけで怖いです」
本当に怖いのは、忘れる側である。
大切な人との記憶が泡沫のように、ふとした瞬間に無くなっている。どういう顔で生きていけばいいのか。その人にどう接すればいいのか。
「私も怖いんだ。私とお母さんは似てるでしょ? 私もいつかお母さんみたいになるんじゃないかって……不安なんだ」
紫奈先輩のことが、ちょっとわかった気がした。
最初は不思議な人だと思った。何を考えているのかわからない人とも。
でも、そうじゃないんだ。
この人は、俺たちとはもっと別なものを見ている。だけど、見ているものが違うだけで、俺たちと同じように悩んでいるんだ。
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