リベラメンテ
「ファ」の鐘の音が鳴り、昼休みになった。給食も弁当もない僕は、いつもの通りに近くのカフェ「レープハウト」へと向かう。
街の全員が昼休みだから、早く行かなければ席が埋まってしまう。でも案の定、今日はすでに満席だった。正確に言うと、満席に近かった。
「申し訳ございません。今、
僕が座れば割り切れない11人になってしまう。赤色を基調としてあちらこちらに演奏で使われなくなった弦楽器や管楽器が配置された店内を見回せば、グランドピアノの側にある2人掛けの席しか空いていなかった。
2人いればたいていのことは上手くいく。だけど一人では──。今から別のレストランを探してもきっと午後の授業に間に合わない。帰って何か簡単なものでも口に入れるしかないか。
「席、空いてるじゃん。なんで入れないの?」
見知らぬ声が後ろから聞こえた。スタッカートのように楽しそうに跳ねたソプラノの声。
「お嬢さん。見ての通り、2席しか空いてないんだ。
「相変わらずの街。そして、私はお嬢さんじゃないわ! なに? 2人一緒なら文句はないでしょ」
「そ、それはまあ……」
迫力に後ずさるウェイターを尻目にスタッカートのソプラノのその人は軽やかなステップで奥のテーブルへと向かう。
「どうしたんだ?」
振り返れば、後ろで無造作にまとめたベージュの髪が踊った。微笑んでいるけど、挑発しているようなブルーの瞳が少し怖くて、僕は何も言うことができなかった。
「ランチの時間は大事な休息。お昼を食べそこねることだけは勘弁したいんだけど」
「あっ……うん」
椅子に腰かけるとその人はメニューを開いた。12種類のランチセットを真剣な眼差しで吟味する。僕はと言えば、いつものサンドウィッチセットだ。
「例えばの話。13個目のメニューが食べたくなったとしたらどうする?」
「13? でも、メニューは12個までしかないって決まってるから」
「だから例え話。ここには載ってない13個目のメニューがシェフの頭の中にはあってそれを食べたくなったら、どうするかって」
何が何だかわからない。だけど答えなければ注文してくれなさそうだったから。
「1個を減らして12個にする」と答えた。
「違う」
鮮やかな即答だ。
「1を増やして13にすればいい」
思わず手に持っていたメニュー表を床に落としてしまった。近くに来たウェイターがわざわざ拾ってくれる。
「はい、注文。このパスタランチ。とびきり美味しく」
「サ、サンドウィッチセットで」
ウェイターがいなくなるまで、目の前ではずっとニヤニヤとした顔があった。冗談で言ったつもりでも冗談では済まない。12を13にするのは危険な考え方だ。
「
「え?」
「自由がないじゃん。この街。だから、自由にしたいと思って盗んだの。12の楽器」
「……え?」
今、なにを言って……。
「13にしちゃうアイディアもあったんだけど。やめた。面白いのはやっぱり12を全部盗んじゃうってこと」
なにを聞かされて……。
「ここからが本番。スミスの鍛冶屋じゃ小さい事件。12の旋律から自由になるためにはやっぱり──」
「ま、待って! 一体何を!」
店中の視線が一斉にこっちを見た。あの自分は間違えるはずがないと、自信満々な
「
ソプラノの声は美しかった。小鳥がさえずるように。でも、その内容はとても恐ろしい。
「……なんでそんなことを僕に?」
「それは君がソロだったから。私の名前はソルダ・カンタービレ。君は?」
ソルダは頬杖をついて、なかなか名乗らない僕にウインクした。
「アド。アド・リビトゥム」
「アド・リビトゥム! それこそ自由に、ね! 素敵な名前だね」
間もなく食事が運ばれてきて、僕らは何も言わずに平らげた。サンドウィッチもコーヒーも、味を感じている余裕はなかったけれど、誰かと二人で食事をするなんて記憶にないくらい久しぶりのことだった。
コーヒーを飲み干してからソルダはやっと口を開いた。
「今日の2回目の『ファ』が鳴る頃、またここで待ってる。それじゃあ」
その所作は素晴らしかった。音を立てずに椅子から立ち上がると、華麗な足取りでいくつかの席を抜け店を出ていった。
僕は納得した。ソルダは確かに泥棒だ。自然と僕にカフェの支払いを押し付けたのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます