第3話
健一が目を覚ますと、体がブルリと震えた。
いつの間にやらうたた寝していたようで体はすっかり冷えていた。壁に掛けてある時計を見てみれば針は十五分ほど進んでいる。
外からかすかなエンジン音と、チェーンを巻いたタイヤが雪を踏みしめる音が聞こえた。
外に出てみると、家の前に止まった黒い小型車から見知った顔が乗り出してくる。
「久しぶり、元気そうだね」
「おかげさまでな」
「車、どうすればいい?」
俊介が聞いてきたので、例の小屋の方へやるように指示を出す。
動線はキッチリ朝からの雪かきで確保してあったので、車は問題なく小屋へとたどり着いた。
車を停め俊介が車を降りたところで、ようやく気が付く。
助手席に見知らぬ女性が一人座っている。
最初は俊介の姉かと思ったが、すぐに違うと分かった。
その人は髪を短めに切り、細身でスラリとしていて全体的にキリッとしている印象を受け、かわいいよりもかっこいいと言った方が似合うタイプだ。
見知らぬ女性は、俊介と一緒に車から降りてくるなり健一に向かって頭を下げた。
「宮原真奈美です、初めまして」
ご丁寧に挨拶してくれたはいいが、状況の飲み込めない健一からしたら「はぁ、どうも菅山です」と、曖昧な返事をするしかない。
微妙な反応に、真奈美と名乗った女性は怪訝な表情を浮かべたが、健一としてもそれは同じである。
そんな様子を素知らぬ顔で、眺めていた俊介の首に腕を回して引き寄せる。
「おい、あれ誰だ? お前の親戚か? 聞いてねぇぞ」
瞬間、俊介が吹き出した。何が可笑しかったのかクックッと忍び笑うが、健一は困惑が益々加速するだけだ。
「俊介君、まさか話してなかったの?」
健一が首を捻っていると、真奈美が咎めるような声でそう言った。
「ごめん、ビックリさせたかったからさ」
笑いを堪えながら、俊介がそう返し。
「紹介するよ。こちら宮原真奈美さん、ちなみに旧姓は久野空だった」
旧姓という単語にピンときた。その事を察してか、俊介もニヤリとイタズラ気な笑みを浮かべて。
「実は俺、先日、結婚いたしまして」
さらりと衝撃的な一言を口にした。
「いらっしゃいシュンちゃん!」
「やぁ春ちゃん久しぶり!」
母屋の玄関で明るく出迎える春に、俊介は同じく明るく答えてから「でも」と困ったような顔をする。
「シュンちゃんは止めてくれよ。もう俺、二十五だぜ」
「いいの。シュンちゃんはシュンちゃんじゃない」
やんわりと苦言を口にする俊介だが、春はそれを無邪気に却下する。
「いや、でも……」と食い下がろうとする俊介の肩に、健一は黙って手を置いて首を左右に振った。
「諦めろ。俺は諦めた」
そう言ってやると何かを察したのか俊介は苦笑いを浮かべ、それ以上は何も言わなかった。
流石付き合いの長い友人なだけあって、飲み込みが早い。いや、この場合は見切りが早いと言うべきか?
「あの……」
その時、級友との再会のノリについて行けず、所在を無くしていた真奈美がしびれを切らして声を上げた。
春はそこでようやく、彼女の存在に気が付いたようで「あっ!」と驚きと後悔の声を上げる。
「ごめんなさい。私、気が付かなくて」
春が頭を下げて謝罪するが、真奈美は春の非礼を気にする様子も見せず、笑みすら浮かべて。
「いいんです。お気になさらないで下さい」
と大人の対応だ。
そうして真奈実は健一にもしたような、綺麗なお辞儀をして。
「初めまして、この度、俊介君と結婚することになりました宮原真奈美です。お二人の話は俊介君からよく聞かされていました」
さっきの事があったからか、わざわざ結婚することになったと付け足された、その自己紹介を聞いて、春の目が点になる。
「え? 結婚って?」
「うん、そういうことになりまして」
春の質問に俊介がさらっとそう答える。
春は目をパチクリ瞬きしてから、おもむろに真奈美の手を取り、
「初めまして私、春って言います! シュンちゃんとは中学から友達で――」
いきなりテンション跳ね上げ、目をキラキラさせる春のあまりの勢いに真奈美の方が面を喰らっている。
困惑し、助けを求める様に真奈実は俊介の方を見るが、その俊介はと言えば懐かしむような顔をして。
「変わらないなぁ」
としみじみと呟いている。どうやら助けるつもりはないらしい。
しょうがないので、助け船は健一の方から出すことにする。
「あー盛り上がってるとこ水差して悪ぃが、いつまで客を玄関に立たせておくつもりなんだお前は」
「あっ! ごめんなさい、つい」
我に返った春は握っていた真奈実の手を解放すると、またぺこりと頭を下げ、ようやく俊介達を居間へと案内し始めた。
「申し訳ない、あいつはイマイチマイペースというか……とにかく、あれでも悪気はないんだ。許してやってください」
健一が謝罪をすると、真奈実は慌てて首を左右に振って答える。
「いいえそんな、私は別に。ただ……」
そこで言葉が一回途切れる、どうにも色々と言葉を選んでくれている気配がする。
「……明るくて、元気な奥様なんですね」
油断していた時に、脇腹を刺されたような気分だった。
さりげない言葉を痛いと思って、そう思っている内にそれを自然と流すタイミングを逃した。
健一の反応に、真奈実が怪訝な表情を浮かべる。
不自然に開いた間を、どうやって取り繕うかと考えている内に。
「二人は結婚してないよ」
と俊介からフォローが入った。
「えっ、そうなの?」
真奈実の問いに、俊介は黙って頷く。
「すみません、私てっきり……」
「いやいいですって、状況的にそう考えてもおかしくないし」
精々さわやかにそう言ってやるが、内心さっさと話を畳む事ができてホッとした。
正直あまり長く、この話題は続けたくない。
居間に入り俊介達が炬燵に入ったところを見計らって、春が全員分のお茶を入れ一息入れる。
「それじゃ私、お料理を仕上げてきますね」
「あ、それなら私も手伝います」
そう言って真奈実も春に続こうとするが。
「止めといた方がいいと思うよ」
俊介がそう言って、待ったを掛けた。
腰を浮かせ欠けていた真奈美は「どういう意味?」と俊介のことを半眼で睨む。
「春ちゃん料理上手だし、真奈美が言ったところで邪魔にしかならないよ」
「邪魔って何よ、邪魔って! そこまで言うことないじゃない大袈裟な」
「いいや、大袈裟じゃない。うどんっていいながら、そうめん茹でてきた挙げ句『同じ小麦粉で出来てるんだから、似たようなもんでしょ』って宣った人間が何言うか。そのそうめんにしたって、茹ですぎてクタクタだったし」
「そ、その時はたまたま上手くいかなかったの! と言うかそれ学生時代の話じゃない、いつまで引っ張んのよこの粘着質!」
おいおい、人の家来てまで夫婦げんかは止めてくれよ。なんて冗談半分で思うが。
その事態は、俊介がしれっと言い放った言葉で鎮火することになる。
「だってあの時のムキになった、真奈美がかわいかったからさぁ」
うわぁコイツ、さらっとかわいいとか言いやがった!
健一からすれば、同じ人間が言えるとはとても思えない台詞。
しかし効果は抜群だったようで、その言葉を受けて、真奈実は俯いて黙り込んでしまった。よく見ると耳が赤くなっている。
ちなみにそれを見ていた春は「わぁお」と、なんだかおばさん臭いリアクションをしている。
「こ、こんな所で、恥ずかしい事いわないでよ!」
「別に俺は、恥ずかしいことだなんて思わないけどなぁ、事実を言ってるだけだし。あの時は、間違えて恥ずかしいのを誤魔化そうとして、顔真っ赤にしちゃってさぁ」
聞いてる方が恥ずかしくなるような惚気を垂れ流す俊介の言葉を掻き消すように真奈美がわー! わー! 叫ぶ。
「もう知らないッ、早く行きましょう春さん!」
わざとらしいほど肩を怒らせながら立ち上がった真奈美を、孫を見るおばあちゃんみたいな表情をした春が台所へと案内していく。
その様子を見送り、二人の姿が見えなくなったタイミングで。
「どう? かわいいでしょ俺の奥さん」
この男はまたそんなこと口にする。
「まっ、仲がよろしいのは、よーく分かったよ」
健一は呆れたような苦笑いを浮かべ、俊介はへへっと子供っぽく笑った。
変わんねえなぁコイツも。
昔から変わらないその笑い方に、健一は少し懐かしくなった。
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