親友と酒を飲む▢

第1話

 雪が深々と降り積もる十二月七日。

 その日の夕食を食べ終えた直後に、菅山健一すがやまけんいちの携帯が鳴り、微睡みの中に沈んでいた意識が引き上げられる。

 鳴り続けている携帯を手に取るとその相手は少し意外な人物だった。

「――俊介?」

 宮原俊介みやはらしゅんすけ。健一の中学時代からの同級生であり友人だったが、こうして向こうから連絡を取ってくるのはずいぶんと久しぶりの事だった。

 訝しがりながら健一は電話に出る。

「もしもし。どうしたよ、こんな時間に」

「久しぶり。夜遅くに迷惑だった?」

「いや、そんなこたぁねぇけど、こうして電話よこしてくるなんて随分久し振りだからよ。どうだ? 最近そっちは――」

 古い友人からの電話に思わず互いの近況やら、当時の思い出話やらに花が咲いた。

 高校卒業と同時に上京した俊介に健一が最後にあったのは、彼の母親の葬式以来になるが。それも、もう二年前になる。

 懐かしさに任せて散々話題が横滑りしたが、それもようやく落ち着いた頃、俊介は電話をしてきた理由をようやく口にした。

「実は明日そっちに帰ろうと思ってさ、健一の所に顔出しても良いかな?」

「あん? それは構わないが、また随分と急だな」

「ちょっとした野暮用でさ」

「ほーん」と適当に相槌を打ちながら思ったのは、それにしたってどうしてこんな時期に? という疑問だった。

 新潟県にあるこの町は、当然なことだが冬になればそれはもう、うんざりするほど雪が降る。

 その上この辺りにあるのは見渡す限りの田んぼと精々が神社くらいのもので、レジャーのレの字もないようなド田舎だ。

 はっきり言って、こんな時期にやってくるのは田舎マニアの物好きくらいのもので、好き好んでこの時期に里帰りしようなんてやつは少ない。

「……何かあったのか?」

 健一は深刻な声色でそう聞いた。

 真っ先に想像したのは身内の不幸だ。

 俊介の母親が、病気で亡くなったのもまだ記憶に新しい。

 しかし、電話口での俊介の声は能天気なもので。

「いやいや、なーんもないよ。ただ久しぶりに実家に帰ろうと思ってさ」

「……そうか」

 正直、健一の疑問は晴れたわけじゃない。

 ただ本人が何も無いと言うのであれば、何も無いという事にしてやるしかない。

「で、どう? そっちの都合もあるだろうし、無理にとは言わないけど」

「米の出荷も一段落ついたし、今が一番ヒマっちゃあヒマだが」

 何か特別な予定があるわけでもない。

 古い友人が訪ねてくる事を、拒まなければいけないような事情は何一つとしてない。

 それでも――

「……分かった。時間はいつ頃になる?」

「明日のー、昼頃には多分そっちにつくと思う」

「なら昼飯も家で食ってけよ、春が喜ぶ」

「おっ! 助かる。春ちゃんの料理、美味しいしね」

「じゃあ、明日に」俊介は最後にそう言い残して電話を切った。

 通話を終えて台所へと向かうと、そこでパタパタと夕食の後片付けをしていた小柄な背中に健一は声を掛けた。

「春、ちょっといいか」

「なあに? ケンちゃん」

 鮎川春あゆかわはるは、洗い物で濡れた手をエプロンで拭きながら振り返る。

「今、俊介から電話があって」

「えっ、シュンちゃんからっ! どぉして教えてくれなかったの」

 私もお話したかったのに! と不満そうな顔が語っている。

「別に変わってくれとも言われなかったしな、お前も洗い物とかで忙しそうだったし」

「それでも一声掛けてくれれば良かったのに、ケンちゃんだけでずるいよ」

 ケンちゃんとは、春が付けた健一のあだ名だ。

 恥ずかしいから止めてくれと、頼んでいたこともあったのだが幾ら言ったところで一向に改善する兆しがないので諦め、今となっては慣れてしまったのかなんとも思わなくなってしまった。

 むしろ春が健一のことを名前で呼ぶときは大体、何か怒っている時なので反射でぎくりとしてしむようになってしまっている。

「悪かったよ、すまん」

 拗ねて、唇を尖らせる春に拝んで謝る。

「もういいよ。それで? シュンちゃんはなんて?」

「明日こっちに帰ってくるから昼頃、顔出してももいいかって。大丈夫だって言っちまったたけど、問題ないよな?」

「うん、ぜーんぜん。そっかシュンちゃん帰ってくるんだ」

 そうはしゃいだ声を上げる春だったが、直ぐにその顔は不思議そうな表情になった。

「でもどうしたんだろう? こんな時期に」

 春も健一と、同じ事を疑問に思ったらしい。

 窓の外へと目を向ければ、今も大量の雪が降り続けている。

 夜の黒に雪の白はよく映えて、端から見れば中々に風情があるのだろうが見慣れた人間からしたら、朝の雪かきメンドクセェナァくらいの感想しか出てこない。

「シュンちゃん、予定通り来れるといいね」

 同じように、窓の外へと視線を向けていた春がそう呟いた。

 この程度の雪で交通網が麻痺するほど雪国はヤワじゃないが、それでもトラブルがないとは言えない。

「ま、大丈夫だろ。あいつだってここで育ったんだ」

 そう言ってやると「それもそうだね」と、春は健一の方へと向き直った。

「あ、そうだ! シュンちゃんお昼ご飯どうするか聞いてる?」

「ああ、うちで食ってくって」

「そっか。よーしそういうことなら、腕を振るっちゃおうかな」

 言って春が肩を回す。

 お客が来ると聞いて、春が張り切るのはいつもの事だ。

「どうしたの?」

 突然そう聞かれて、健一が「え? 何が?」と首を傾げると、春も「だって」と首を傾げて。

「あんまり、嬉しそうじゃないから」

 一瞬、体が強ばるのが自分でも分かったが、春にはその事に気が付かれないように、努めて笑顔を作る。

「……んなわけねぇだろ、久しぶりにあいつが帰ってくるって言ってるんだ、嬉しくない訳がない」

 上手く笑えたか心配だったが大丈夫がったらしい、春は納得したのかそれ以上は何も言わなかった。

 それをいいことに、健一は春がまた何かを言い出す前に、逃げるように居間へと戻っていった。

 俊介は親しい友人だ。久しぶりに会えることだって嬉しい。嘘じゃない。

「嘘ではないんだかなぁ」

 ただ俊介が帰って来ると言ったとき、古い傷がちくりと痛んだのは確かだった。

 その傷は誰かに付けられた物じゃ無い。

 自分で付けて、自分で勝手に痛がっているだけのものだ。

 しかしその傷は、どれだけ忘れようとしてもこうして、時折思い出したかのように痛んでその存在を主張してくる。

 俺って奴はどうしてこういつまでも――

「とっ、いかん、いかん」

 考えてもどうしようもないことを頭を振って追っ払う。

 明日は早いし、今日はこのまま風呂入ってさっさと寝よう。

 そう思い、健一は着替えを取りに寝室へと向かった。

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