第9話 ネズミのしわざ
「よし。逃げよう」
酒飲みの男マックが小瓶をなくしたと聞いた私は即決した。
『永遠の命の妙薬』をなくしたのはマックだ。もし、この都市が、国が、滅んだとしてもこの男のせいだ。私は悪くない。
さて、どこに逃げようか。
あの化け物は何十年も帝都に留まっているのだ。遠くに逃げれば追ってこないに違いない。
目についた餌を取り込むことには貪欲だが、それ以外にはあまり移動しないのかもしれない。あるいは、あの巨体では山や河を越えるのが難しいのかも。
「……大河を下って海に出ましょう。たしか旅客船が出ていたはず」
ここ西の都は、北の帝国と南の海をつなぐ大河を行き交う水運の要所として発展した都市だ。
帝国がなくなってしまったのでかつてほどではないが、各地の材木や鉱石などがここを通ることは変わらないし、陸路と水路の中継地としての重要性は健在である。
「お嬢ちゃん、船に乗るのか。悪かったな。土産物なくしちまって」
神秘の秘宝を紛失した男、マックはまだ私の前にいる。
「行っちまうんなら、あの丸薬、余ってたらもう少し分けてくれないか?
あれ飲んでからすこぶる調子がいいんだ。ただとは言わねえ。代金なら払う」
西の都を滅ぼそうとしている男、マックは図々しくもそんなことを言った。
丸薬に価値があるとみて、さらにせしめようというのか。
さすがは都市一つ、国一つを滅ぼさんという男だ。その欲に果てはないのか。
「丸薬は……ないことはなくまだあるのですが……」
「どっちだよ」
適当に作った草の塊はまだ残ってはいるが、あれは私の目の前で飲んでもらわなければなんの効能もない。
別にただのゴミなので何食わぬ顔で渡してしまっても良いが、この男が後々あれを飲んで「なんだよ、なんの効果もないじゃねえか。騙された」などと言っている姿を想像するだけで許せない。
私には治癒魔術士としての矜持がある。
「二日酔いに効く丸薬」を用意することは可能だ。
薬に魔術を込める理論は『永遠の命の妙薬』のときに世界最高の技術が実行されるのを一番近くで見たのだ。
深いところまでは理解していないが、魔術を物に刻み込む方法はわかる。
簡単な治癒魔術を薬に載せてやれば、二日酔いの薬くらいならできそうな気がする。
やったことはないが、この私なのだ。たぶんできるだろう。おそらく。きっと。
しかし、今から魔術を込めた薬を用意するにはそれなりの時間がかかる。魔法触媒やらなんやら必要なものも多い。揃えるのも一苦労だ。
そんなことをやっている時間はない。私は今すぐにでもこの危険な都市から全力で離れなくてはならないのだ。手持ちの物でなにか…。
「そうだ。これはどうでしょう。ちょっと別の薬ですが、効能は似たようなものです」
私はカバンの奥から薬を取り出す。奥には特に大事なものがしまってある。
「これは、人体の恒常性に極限まで高めるために作られた薬です。
『永遠の命の妙薬』の研究の過程で生み出されたこの薬は、人体にもともと備わっている健康な状態に回帰する力を高めて、病を治し不老へと至る……」
「あーわかったわかった。よくわかんねえが、それも二日酔いが治る薬なんだろ。じゃあそれでいいよ。
いくらだ?」
なんだ。まだ説明の途中なのに。まあ良い。私も急いでいる。
「別にお金は……そうですね。今度会ったときにお酒でも奢ってください」
「がはは。酒好きなお嬢ちゃんだ。
次は成人してから来いよ。いくらでも奢ってやる」
「そうですね。また半世紀後くらいに」
何十年か後、すべてが風化した頃にこの男に会いに来るのもいいだろう。
第二の不死の皇帝が発生して、マックは取り込まれてしまうかもしれないし、運良く生き残れるかもしれない。そこは彼の運次第。
「社交辞令にしても半世紀は遠すぎねえか」
「そこは大丈夫です。その薬を飲めば数世紀はピンピンしてますから」
だが、いま渡した不老化薬があれば再会の可能性は多少は上がるだろう。
個人的には事件の元凶として、語り部として生き残って欲しい。私が逃げた後の顛末も聞きたいし。
「そういえばお嬢ちゃんの名前を聞いてなかったな」
「クリスです」
「クリスは薬の行商だったんだな。胡散臭い薬の口上が上手い。きっとどこ行っても売れるぜ」
失敬な。私は治癒魔術士だ。
◇◇◇◇
――話は少し前に遡る。
「ん、何かすごいお宝の気配を感じたような」
俺はその日暮らしの貧民だ。
この辺に住んでる奴はみんなそうだ。名前? そんなもんどうでもいいじゃねえか。残飯をあさるネズミの名前を気にする奴なんかいねえだろ。
そうさ、俺はこの街のドブネズミだ。
このあたりの連中は、みんな軽犯罪の常習者だ。
スリや万引き、観光客の荷物のかっぱらい。食うに困って目先のものを懐に入れる。
とはいえ強盗まではやらねえ。そんな度胸はない。手癖が悪いだけのチンケな貧乏人。それが俺たちだ。
俺たちは今日の飯にも困ってるんだ。困ってない奴からほんのちょっと恵んでもらうくらい良いだろう?
誰も傷ついてないし、裕福な連中や観光客は小銭程度なら盗られたことに気づきもしないことさえある。
あいつらにとっては無くなったって困りゃしない物なんだ。俺たちが使ったっていいじゃねえか。
俺たちはその小銭が手に入るかどうかで明日生きられるかが決まるのに。クソッタレ。
「あいつは、酒飲みのろくでなしマックじゃねえか」
俺にはどうも、生まれつきの魔法の才があるらしい。魔法の気配がわかるのだ。
魔法を使うには難しい勉強をしないといけないし、そのためには金もコネもいる。
だから、俺は魔法は使えないが、なんとなく感覚で、魔法の力の込められた品物はわかるのだ。
子供の頃は、誰もがみんなそうだと思っていたが、十数年生きてきて、魔法を感じられる人間はあまり多くはないと知った。
訳アリ品、盗品なんでもございのがらくた市で、一見安物の子供の玩具だけどすごい力の込められているネックレスと、それなりに見栄えがするだけのなんの力もないネックレス。力のない方が高く売られていたのを見たときは目を疑ったね。
魔法の品は、持っていくとこに持っていけば高く売れる。
魔女のババアがやってる故買屋に持ち込んだら、がらくた市で10シリカで買ったネックレスが800シリカになった。
ネックレスを見た魔女ババアの表情からすると、たぶんあれはもっと価値があるものなんだろう。
次に顔を出したとき、クソババアはめちゃくちゃ機嫌が良かった。また魔法の力が込められているものを見つけたらいくらでももってこい。買い取ってやる。そう言ったババアは上手いことやって、あのネックレスをきっと1万シリカとかで売り捌いたのだろう。クソッタレ。
クソッタレだが、仕方がない。ネックレスの本当の価値がわかるのも、それを高く売れるルートを持っているのもババアの力だ。
俺には魔法の力は感じられるがそれがなんの魔法かはわからないし売り捌くコネはない。がめつい魔女ババアが唯一の俺のコネなのだから。
ババアにピンハネされるとはいえ、魔法の品は高く売れる。俺は魔法の気配を気にするようになった。
いかにも高そうなアクセサリーは良くない。そういうのは魔法抜きにしても価値があることは馬鹿でもわかる。
そうではない、ガラクタみたいなのに、実は結構な魔法の品が紛れ込んでいる。
露天で売っているような玩具みたいなアクセサリーやどこかの民芸品。壊れた道具。そんなものに強大な力が込められていることに誰も気がついていない。
そういうのが狙い目だ。
しかし、魔法使いの考えることはわからない。馬鹿なのか。
なんでゴミみたいなものに強大な力を封じ込めてるんだよ。それとも、価値がわからないようにわざとそうしてるんだろうか。
まあ、とにかくだ。持っている本人もそれが魔法の品であることに気がついていないガラクタだと思ってるようなものであれば後腐れがない。
二束三文で売ってるなら買えばいいし、こっそり
マックは酒飲み友達となにか話している。
『永遠の命の妙薬』?
すげえお宝じゃねえか。マジかよ。
普通なら与太話だが、ポケットにしまった小瓶からはすごい力をビンビン感じる。もしかして本物なんじゃねえの?
たとえ、その話が与太だとしてもあの力は本物だ。あれがなにかすごい魔法薬であることは間違いない。
「あの、ろくでなしマックが酒以外に大金を払うとも思えねえ。価値に絶対気づいてねえな」
あれは、『狙い目 』だ。
俺は足音を殺してろくでなしマックの背後にそっと近づいていった。
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