寂しい私とわたし

遊園地を出た後、再び昨夜宿泊したラブホテルに戻ってきた私たちは、各々のんびりと寛いでいた。本当は、今日こそは普通の旅館に泊まりたいと思っていたのだが、改めて調べてみると、この近辺には宿泊施設自体がなかったらしい。

十愛が言うには「この辺は、あんまり観光とかに力入れていませんから」とのことだ。なぜ十愛が、この地域の観光事業について詳しいのかは分からなかったが、どうせ尋ねたところで謎の天使理論が返ってくるだけだろう。そう思った私は、そう、と軽く返事をして、前を歩く十愛の背中を追いかけた。

そうしてまたもお世話になることとなったラブホテルの一室で、私は道中のコンビニで購入した缶ビールを片手に、のんびりとした時間を過ごしている。昨日はバタバタしていてそんな余裕もなかったのだが、これは私の毎日のルーティーンのようなものだ。一日ぶりに飲む缶ビールの味は、いつもより美味しいように思えた。

このささやかな晩酌も、今日で終わりだと思うと、なんだか少し寂しくもある。

だって、私は、明日死ぬのだから。

明日死ぬというのに、私の心はひどく落ち着いていた。喜びもない、恐怖も感じない。穏やかに凪いだ心地で、私は明日を待っている。

だからむしろ、私よりも、目の前に座っている十愛の方が心配だった。コンビニでは調子よく私の持つカゴの中に酎ハイを入れたりなんてしていた(無論注意はしたが、謎天使理論でゴリ押しされた)十愛だったが、この部屋に来て、酎ハイを数口飲んでからは、なぜだかすっかり黙り込んでしまっている。

アルコールが回って具合が悪くなってしまったのだろうか。いよいよ不安になってきた私は、十愛に声をかけようとして、しかし投げかけようとした言葉は喉を震わせることもなく、ただの空気として吐き出されたのみだった。

それくらいに衝撃的な光景が、目の前にはあったからだ。


十愛は、静かに泣いていた。


「と、十愛……?」

予想外の光景に、私の口からは動揺した声が漏れる。泣いていても、彼女の美しい相貌は何一つ崩れることなんてなくて、なんだか作り物みたいだな、なんて、見当違いな思考が一瞬だけ脳裏を過った。

だけど、目の前で泣いているのは、作り物などではない。生身の、ちゃんと生きている女の子なのだ。

「どうしたの……?」

私は、十愛にそっと問いかけた。彼女のことなんて何一つ知らないが、彼女は、私のためにとここまで色々してくれたのだ。それに報いることくらいはしたかった。

何よりも。今、彼女が目の前で泣いているのは、もしかしたら私のせいかもしれないのだ。

彼女はこの見たところ、まだまだ子どもだ。おそらく高校生くらいだろう。そんな子どもに、私を殺してなんて残酷なお願いをしているのだから、その重圧に耐えられなくなってもおかしくない。

十愛はいつも「天使だから」なんて言うけれど。そんな訳がない。

この世界に天使なんて居るわけがないのだ。だからきっと目の前の少女も、天使を自称しているだけの、ごく普通の女の子だ。

そんな女の子に、私は、ずっと。

「……來海さん」

弱々しい声が、私の名前を呼んだ。そのまま立ち上がった十愛は、ふらふらと私のそばに近づいてきて、そして、縋り付くように私を抱きしめる。

「……本当に、死にたいですか」

ぎゅう、と私を抱きしめる腕に力がこもった。肩口に温かいものが染みる感触がする。

私の身体に必死で縋りつきながら、十愛は搾り出すような声で、言葉を続けた。

「やっぱり、十愛は、わたしは、嫌です。來海さんを殺したくない。來海さんに死んでほしくなんてない。だって、あなたは」


「……わたしの寂しさを、埋めてくれた人だから」


その言葉に、私はハッと目が覚めるような心地がした。まるで、ずっとどこに嵌めればいいのかが分からなかったジグソーパズルのピースが、ぴったりと嵌まるような感覚。ずっと抱えてきた感情の正体を、私は、彼女の言葉によって知ることができたのだ。

「……そっか」

「來海さん……?」

ぽつりと呟いた私に、十愛は不安そうに私の名前を呼んだ。

そんな十愛の細い身体を、今度は私の方から抱きしめる。少女の身体がびくりと震えたような気がしたけれど、それでも私は、腕の力を緩めようとは思わなかった。

この言葉は、彼女の心に近い場所で、言いたいと思ったからだ。


「私、ずっと、寂しかったのね」



思い返せば、私はずっと、誰にも見てもらえない人生を送ってきたように思う。

両親は多忙で、私のことなんて放ったらかしのような生活を送っていたし、人との接し方がよく分からなかったから、親しい友人も作れなかった。

だから私は、きっと、ずっと寂しくて。

寂しくて寂しくて堪らないから、死にたくなったのだ。

ああ、やっと分かった。漠然とした希死念慮めいた願望が、ようやくはっきりとした輪郭を描いて、私の中にストンと落ちてきたような、そんな心地がした。


「十愛」


私は、縋り付くようにして泣いている、少女の名前を呼んだ。少女が再び腕の中で身じろぐのを感じながら、私は、腕の中の少女に、語りかけるように囁いた。


「ごめんなさい。私はやっぱり、死ぬことを止めることはできないわ」


その言葉を聞いた十愛は、そうですか、と、落胆した声を溢した。

その声に、私の胸がずきりと痛む。私は十愛に、そんな悲しい思いをさせたくはない。

だって、きっと、十愛と私は「同じ」だから。きっと、ずっと、同じくらいの寂しさを抱えて、同じくらいの死にたいを抱えて、生きてきたはずだから。

きっと十愛も、全てを終わらせるためにここに居る。それがようやく分かったから。

だから私から十愛に言うべきは、この言葉だ。


「だけど、一人は寂しいから……ねえ、十愛?私と一緒に来てくれないかしら」


私の言葉に、十愛が弾かれたように、顔をあげたのが分かった。

私は、十愛を抱きしめていた腕をそっと離して、十愛と向き合う。目の淵に涙の雫を浮かべて、ひどく驚いたような顔をしている少女に、私はもう一度、言う。


「十愛。……お願い」


今度こそ、十愛の相貌がくしゃりと歪んだ。堪えきれないといった様子で、今度は勢いよく私の胸に飛び込んでくる少女を、私は慌てて受け止める。

「ありがとう、ございます……!!」

ぼろぼろと泣きながら、引き攣るような泣き声を上げながら、十愛はひたすら私の腕の中で泣いていた。ようやく見せた、否、ようやく見られたと言うべきな、十愛の歳相応な姿に、私は思わず笑みをこぼす。

やがて、ひとしきり泣いて、落ち着いてきた十愛が、ぽつりと言葉を溢した。


「來海さん。本当に、私と一緒に、死んでくれるんですか」


その言葉に、私はなんと返そうか一瞬考えた。そして、ふと頭に浮かんだとある言葉を、私たちのはじまりをなぞるように、努めて力強く言い放った。


「ええ、もちろんよ。アンタがそれを望むなら」

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