立てば芍薬、座れば牡丹、歩けば百合の花、話す姿は薔薇の花

華乃国ノ有栖

第1話:人込み、帰省、凛として

  人の足音、キャリーケースの転がる音、子どもの騒ぐ金切り声、外国人観光客の外国語、ひっきりなしに発着する電車のアナウンス。雑踏という状況を形成する一つ一つの音は決して大きいわけではないのに、こうも沢山集まると絶妙に人の神経を逆なでするのはどうしてなのだろうか。

 そんなことを言う私だってその雑踏の構成要素のほんの一部でしかない。ガラゴロとスーツケースを引いて、ファンデーションが崩れるのもお構いなしにハンカチで汗を抑え、スマホで乗り換えを確認しながら歩いている。きっと、というか確実に誰かを苛立たせる要因になっている。


 新幹線に乗り換えるためのホームが一体どこなのか、帰省ラッシュで込み合った構内では何番線かを表す看板を確認することすら私の身長では難しく、舌打ちしたくなる気持ちをぐっと堪えて背伸びをする。ヒールの高いサンダルでは踵を少し持ち上げるだけでも大きくバランスを崩しかけ、意識しなくても背筋が伸びた。


 あたりを何度も見渡し、ようやく探していたホームへ続くエスカレーターを見つけて歩き出す。

 いつもなら何も考えなくたって歩ける人込みだけれど、普段人込みになれていないような家族連れが多いからだろうか、注意を払っていないと向かってくる人たちにぶつかりそうになって、焦る。そのたびに相手に聞こえてないだろうな、と自分でもわかるくらいに小さくて低い声ですみません、と呟く。悪いの、私だけじゃなくない?なんて思いながら。


 もっともぶつかってきそうな危なっかしい人は顔を見たら何となく雰囲気で分かる。そういう人たちを避けていけばそんな面倒は避けられるはず、と人の顔を中心に見ながら歩いていると、凛と背筋が伸びた女の子が目に留まる。

 引き寄せられるように視線を上に持ち上げると、さらりと流れる茶髪が目に入る。追って、目元に光るラメと真っ白な肌。高校生くらいだろうか、大して年は変わらないはずなのに肌の張りだとかオーラみたいなものが大違い。

 左右非対称な瞳は何にも流されない強い意志を発していて、唇は言いたいことを堪えるようにぐっときつく結ばれている。何か今から決戦にでも行くのかというくらい覚悟の決まった表情が、楽しそうで浮かれきったオーラの東京駅の構内と酷くアンバランス。でも、同時にそれがとても美しかった。

 肩にかかるバッグとボストンバッグの組み合わせは彼女も帰省客だということを告げている。田舎から出てきてこんな人込みに慣れていないのか、それとも楽しいことが待っていない、ただただ憂鬱な帰省でしかないのか。

 どちらかは分からないしどうでもいい。ただ一つ、大切なのは目の前の年下の彼女の醸し出す雰囲気が格好良く、美しく、目を奪われるということだけ。


 不慣れさの滲むメイクも、整いきっていない眉も、プチプラと一目でわかる服も、汚れの目立つ靴も、彼女が年下だということを暗に示しているし、顔立ちだってインスタで見るほど可愛いわけでもなく、平凡的な年相応な可愛さでしかない。でもどうしてこんなに目を奪われるのか。

 たぶんそれは、その姿勢。不慣れで気が進まないだろう帰省なんだろうに、胸を張って大人たちに紛れて。波に流されないように気を張って歩いている姿が、この上ないくらいに健気なのだ。それこそ、何か大きな使命を果たすくらいの気合を持って。

 

 彼女が私より早く曲がり、エスカレーターを上がっていってしまう。あのホームはどこに着く電車のものなのか分からないし、彼女がどこに行くのかもしれない。何なら、帰省なんかじゃなくて家出だったりするのかもしれない。

 でもそんなことはどうでもいい。私とあの子の物語が交わることは絶対にない。ただただ、他の人より少し長く視界に入れていたとういだけ。


 どんどん上がっていく彼女の姿を最後に三秒だけ収めて、私はまた前を向く。キャリーケースを転がして、私の腰までの身長も無い小さな子を避けながら、実際の身長より低く見られがちな背中をしゃんと伸ばして、まっすぐ前を見つめながら。

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