第9話 厩舎にて
ーーー征服歴1500年7月 スペイサイド州カルメリア基地ーーー
「♪〜♪♪〜」
基地内に併設された厩舎で、エリカは鼻歌を機嫌よく鼻歌を唄いながら自らの愛馬にブラッシングをしている。
「♪♪〜」
アレクに捕獲され、基地長室で3人仲良くお説教を食らった後、予定通り部隊の引き継ぎや以降の任務予定についての確認を終えた彼女は、不味い夕食(大麦のお粥)を食べた後、愛馬の世話をするために厩舎を訪れていた。
士官である彼女は本来馬の世話などは専門の従卒に任せるものなのだが、大貴族の令嬢ではあるが騎馬民族の末裔であり、物心がつく前から馬に乗っていた彼女にとっては、愛馬の世話を他人に任せる事の方が違和感がある為、軍人となった今もこうして時間がある時はいつも愛馬の世話をしている。
「ふふ、まさかこっちに来た初日に目的の彼に出会えるとは思わなかったわね…」
エリカは今日、自分が引き起こした騒動を回想しながらクスクスと笑う。
アレクサンダー・ウォーカー。2年前のスペイサイド州州都アベラワー攻防戦の終盤、撤退する連合王国軍を追撃した獣国と青麟帝国の合同軍に対して、落伍兵を纏め上げて合同軍の本陣に特攻し、連合王国軍の撤退を成功させる一助となった英雄。
特攻により、連合王国を裏切り獣国のスペイサイド州進攻を招いた元凶でもあるソレム伯爵と彼の護衛は全滅、彼らと共にいた帝国軍の将軍にして帝国の第7皇子“藍劉貭”は重症を負い、獣国と帝国の連合王国軍への追撃は頓挫した。
当時は“ベル”と名乗り、一兵卒でありながら落伍兵の指揮を取った彼は、重症を負いながらも生還を果たした。その際に彼の王立学園のルームメイトだった人物の証言から彼が、獣国軍侵攻当初、裏切り者のソレム伯爵軍と獣国軍によって滅ぼされた貴族領の一つ、ウォーカー男爵領の領主“イースレイ・ウォーカー男爵”の弟であることが判明した。
連合王国は彼に勲章と王立学園の卒業資格、そして少尉の地位を与えた。本来なら近衛師団へ配属されるはずだった彼はとある不祥事から勲章と近衛師団への配属辞令を剥奪され、再びスペイサイド州の最前線へ送られることとなる。
詳細は軍機により不明ではあるが、不良兵や野盗崩れの徴集兵を寄せ集めた懲罰部隊の指揮官として最前線で死ぬ筈だった彼は生き残り、彼らのボスとして血みどろの最前線に“
「もっと血に飢えた獣みたいな奴かと思ったら、思ったよりもずっとお固い奴だったわね…わざと煽ったのにあんな鮮やかに無傷で相手を負かすなんて、私どころかゴードン兄様でもできるかしら?」
エリカがアレクの鮮やか過ぎる勝利を思い出しながら、彼の剣技を分析する。それなりに腕のあるサレを完全に子供扱い出来る彼の本来の実力はいかほどなのか、幼い頃から馬術だけでなく武術の英才教育も受けた彼女ですらはっきりとは分からない。
愛馬のブラッシングを終え、道具を片付けようと物置に向かった彼女は、先程まで色々と考察を巡らせていた張本人に遭遇した。
「あら…?」
「……」
おそらくこれから自分の馬の世話をしに行く予定なのだろう、道具を抱えたアレクが、包帯で隠されていても分かる位に物凄く嫌そうな顔をして物置の前に佇んでいた。
ニヤニヤ笑いながら自分を見つめるエリカを無視して、アレクは道具を持ち直し、スタスタと彼女の横を通り抜けて自らの馬の元へ向う。
「…」
「……」
「………」
「………何故ついてくる」
そんなアレクの後を無言でついてくるエリカに、根負けしたアレクが声をかける。
「折角だし貴方の馬を見ようと思ってね♪」
「…見て面白い物では無いだろう?」
「それを決めるのは私よ?」
「……」
“どや顔”で豊かな胸を張るエリカにうんざりした様子で、アレクは何も言い返さず歩を進める。
そしてアレクが一頭の馬の前で立ち止まりる。
「ふぅん、この子が貴方の馬なのね。名前は?」
「……ベルガだ」
下手にはぐらかしても五月蝿いだけだと悟ったアレクは、自らの愛馬の名前を伝える。
アレクの騎馬“ベルガ”は自らの名前を呼ばれた事に反応したのか、自らの主人とその隣で目を輝かせている人間に目を向ける。
「いい名前ね!
毛並みもいいし、よく手入れされてるわ!」
「…リガール家の人間に褒めてもらえるとは光栄だ」
我が物顔でベルガの頭をエリカが撫でる。ベルガも気持ちよさそうに撫でられている事に、アレクは何か言いたそうな顔をしたが、面倒臭くなりそうなので諦め、ベルガの寝床の掃除を始める。
テキパキと掃除を行うアレクを、エリカは少し意外そうな顔で眺める。
「慣れてるわね」
「前は馬の世話も仕事の一つだったからな」
「ああ、そうだったわね」
律儀に答えるアレクに、エリカも納得した様子で頷く。2年前まで一兵卒だったアレクは、かつては厩番のような雑用も任されていた。それに元は下級とはいえ領地貴族の次男だったアレクは、馬の扱いも相応に慣れていたため、当時は重宝されていた。
そんなアレクを見つめていたエリカもまた、アレクの作業を手伝い始めた。
「…おい」
「折角だから手伝うわ。一人より二人の方が早く終わるわよ?」
「……そうか」
「そうよ♪」
“♪〜♪〜”と機嫌よく鼻歌を歌いながら、アレクと同じく手際よく寝床の掃除を行うエリカを、初めは訝しそうに見ていたアレクは溜息一つで受け入れ、掃除を継続する。
暫くの間、厩舎には馬の嘶きとエリカのご機嫌な鼻唄だけが響く。
「…随分機嫌が良さそうだな」
「貴方はご機嫌斜めみたいね」
「ああ、そうだな」
「むぅ、そこは否定しなさいよ。
こんな美人が一緒に馬の世話をしてくれるなんて、どんな大金を積んでもまずありえないわよ」
「…そういうことを真顔で言う相手だから不機嫌なんだが?」
アレクの反応がツボに入ったのか、クスクスと楽しそうに笑いながらエリカはベルガへのブラッシングを続ける。
「酷い言われようね。貴方の馬はこんなに可愛くて素直なのに、飼い主は冷たいのね…」
「……」
憮然としたアレクは無言でベルガのブラッシングを再開した。
「ねえねえ、貴方の剣、誰に学んだの?
有名な剣術家だったりする?」
「…聞いてどうする?」
「折角だから会ってみたいわ。貴方ほどの剣士を教えた人よ?
きっとすごく強いわよね!?」
「…さてな。確かに強かったとは思うが、残念だがもう会えないぞ」
「…? 別の国にでも行ったの?」
「……ウォーカー家の執事だったからな。四年前に兄と一緒に戦死している」
「………ゴメンナサイ」
気まずい沈黙が流れる。アレクは黙々と自らの騎馬の世話を続けているが、エリカはその沈黙に耐えられず、思わず問を重ねてしまう。
「えーっと…その……怒っていらっしゃる…?」
「別に」
「いや、そのぉ…」
「……」
何か言おうとする毎に空気の重みが増していく事に、エリカは彼女としては非常に珍しく焦る。言葉を重ねようとするが何を言っていいのか分からなくなり、結果として沈黙してしまった。
重苦しい雰囲気の中で、一通りベルガのブラッシングも終わり、道具を片付け終える。
アレクは道具を抱えると、エリカを振り向く。
「ありがとう、助かった」
「…え?」
「思った以上に早く終われた。手伝ってくれたお前のお陰だ。」
そう言ってアレクは踵を返し、物置へと荷物を返しに行こうとする。
エリカはパチクリと目を瞬かせる。
目の前のこの傷だらけの男は、自らの不用意な発言を気にしていないと、言外に自分に伝えてくれたのだと、エリカは悟る。
「…ふ、ふん! 当たり前じゃない!
言ったでしょ、一人より二人のほうがいいって!」
「ああ…そうだな」
アレクは振り向くことなくスタスタと歩き去ってゆく。
エリカはそんなアレクの正面に回り込み、アレクの包帯に覆われた顔を覗き込む。
「……何のつもりだ?」
「いやぁ、折角だし、貴方の顔を見ておきたいなって思ってね♪」
「…見て楽しいものじゃないだろう」
「そうね、その包帯の下、刀傷と火傷でボロボロなんでしょ?」
「…ウーサーか」
「うん、そうよ」
エリカがアレクの友人であるウーサーから聞き出したアレクの過去。四年前の獣国の侵攻時、故郷を守るために戦い、家族も故郷も守ることが出来ず一人だけ生き残ったこと。その際に顔に重症を負い、最早過去の面影の殆どを失ってしまったこと。
顔を失い、名前を捨て、復讐の為に最前線で一兵卒として戦い続け、仇の一角をその剣で討ち取った復讐鬼。友であるウーサーですら、間近で彼に会い声を聞くまで“ベル”と名乗っていた男がかつてのルームメイトだと気づかなかった程に変わり果てた、かつてはただの穏やかな田舎貴族の次男坊だった男。
『出来れば、あんまりあいつにちょっかいを出さないでやってくれませんかね…忙しいのもそうですけど、正直あいつ、見た目以上に余裕が無いんですよ…』
決闘が終わったあと、エリカに萎縮しながらも友のために自身に忠告してくれた恰幅のいい兵站幕僚の言葉を思い出す。
正直、忠告を無視して興味本位でアレクにちょっかいをかけたことは後悔している。もしも彼がもっと野卑な、強さだけの男ならからかって彼の“底”を確認できれば良いと思っていた。
だが、自らの騎馬を大切に扱い、エリカが不用意な発言をしても逆に彼女を気遣う様な態度を取れるアレクに、エリカは申し訳無さと共に、一人の人間としてアレクに敬意を抱いた。
エリカの白い、だが軍人として鍛えられて剣だこの浮いた手がアレクの顔を覆う包帯に伸びる。
「…おい」
「いいから、ちょっと動かないで」
掃除道具で手が塞がっているアレクは、抵抗できず真剣な目をしたエリカの奇行を遮ることが出来なかった。
エリカの手で包帯が解かれ、包帯に隠されていたアレクの顔が露わになる。
左のこめかみから右頬まで斜めに走る刀傷。そしてその傷に重なるように、彼の顔の大半を覆う痛々しい火傷。それ以外にも大小の刀や弓による傷が、元は比較的整っていたであろう彼の顔の面影を塗りつぶすように覆っている。
目や鼻、唇や耳など顔を構成するパーツ自体は無事な事が、逆にその傷の悍ましさを助長し、気の弱い女子供どころか、歴戦の兵士達ですら怯むほどの異貌となっている。
エリカの女性としてはゴツゴツした手が、アレクのボロボロの頬に触れる。
「なんだ、結構いい顔してるじゃない」
「……この顔を見てそんな反応をされるのは初めてだな」
感心したようにアレクの顔を見つめるエリカに、アレクは彼としては珍しく困惑したように目を顰める。
そんなアレクの反応に“してやったり”とニヤリと笑ったエリカは、アレクの顔から手を離す。
「あら、私は“リガール”の娘よ? 傷だらけでポロボロになった顔なんて見慣れてるわよ」
「…?」
“何言ってるんだコイツ”という顔で、アレクは怪訝な目をエリカに向ける。
「私の実家は代々最前線のウィルムス盆地を守ってきたのよ?
だからずっと、戦いで怪我をして戦えなくなった人達をお屋敷とか直轄の農場、牧場で優先して雇ってるの。だから小さい頃から、貴方みたいな顔の人達に遊んでもらったり、いろんな事を教えてもらってたわ」
「…なるほど」
「ま、だからそんな私からすれば、貴方の顔は全然綺麗な物よ?」
「…そうか」
「そうよ♪」
アレクの表情は変わらないが、エリカは上機嫌でニコニコと笑う。
そして満足したのか、エリカは少し背伸びをしながら、アレクの包帯を巻き直す。
「はい、これでよし!」
「……」
屈託なく笑うエリカに、振り回された文句を言うべきか迷ったアレクは結局何も言わず、彼女と並んで歩き出す。
「ねえ、今更だけどいつも自分の馬の世話をしてるの?」
「出来るだけな。自分の馬を他人に世話させてばかりだと、いざというとき馬の調子が分からずに不覚を取りかねん」
「それは同意見ね。それに馬と信頼関係があると、万が一戦場で意識を失っても、馬が自分の判断で主を乗せたまま逃げてくれるそうよ?」
「…そうなのか?」
「ええ、私のお祖父様の経験談よ」
「先代リガール辺境伯の話なら疑う余地はないな」
「でしょう? それにお祖父様が言ってたわ。“自分の意志で自分の馬の世話を出来る士官は信頼できる”って」
「そうか」
「そうよ。だから私、貴方の事は今日の事だけでも結構信頼出来ると思ってるわよ?」
「…俺は正直、ついさっきまでお前の事は信頼しないようにしようと思っていたがな」
「ちょっと、酷いわよ!?」
「自分がやった事をよく思い出せ」
「ゔ…決闘を煽ったのは悪かったわよ…」
「まあ、今は少なくとも信用は出来ると思っている」
「っ…ふーん、やっぱり私の美貌に絆されたかしら?」
「美人は苦手だと言っただろう…だがまあお前の人格は信用できると今は想っているよ」
お互い、先程までの余所余所しい雰囲気が嘘のように穏やかに会話を続ける。
そして物置に辿り着いた二人は、道具を元の場所へ片付ける。
「それじゃ、改めてこれから宜しくね、アレクサンダー・ウォーカー中尉♪」
「ああ、こちらこそ宜しく頼む、エリカ・リガール中尉」
二人共穏やかな顔で敬礼し、宿舎へと戻ろうと出口へ歩き出し…、
「な、何をしているんだ貴様ら!!?」
入り口で二人と同じように愛馬の世話に来たサレと一悶着を起こすこととなる。
因みにその結果、3人の罪人飯期間が5日間伸びた。
ーーーーーーー
数日後、所属する大隊の大隊長であるエスタ・ハワード少佐に呼び出されたアレクは、大隊長に割り当てられた執務室で、包帯の上からでも分かるほど嫌そうな顔をしていた。
執務室のデスクでは、大隊長のハワード少佐が“俺のせいじゃねぇ!”と言う顔で首を振っている。
アレクの両隣には、金色の瞳を輝かせ楽しそうに微笑むエリカと、頬を上気させ興奮した様子のサレが立っている。
ハワード少佐の隣に立つ、大隊の戦務幕僚である狐顔の大尉が書類を片手に語る。
「では改めて説明する。エリカ・リガール中尉およびサレ・クラディール中尉はそれぞれ麾下の中隊と共に第931独立遊撃大隊に配属された。
ウォーカー中尉、先任の中隊長として彼らを頼むぞ」
「了解しました…」
アレクはノロノロと、文句を言われない最低限に整った敬礼をして命令を受領する。
「ふふ、宜しくね♪ ウォーカー中尉♪」
「宜しくお願いします、ウォーカー中尉!!」
エリカが愉しそうに、サレは生真面目に、これから同僚となるアレクへ敬礼した。
アレクはこれから自分が背負うであろう苦労を想い、存在するかどうか分からない神を呪った。
こうして結成された新たな大隊が、後にスペイサイド州方面軍の危機を救うことになるのは、まだ先のお話…。
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これにて第一章は終了です。
ちょっと外伝を投稿してから、第二章も開始する予定です。
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