第20話 フルートとお父様

「じょ、冗談じゃないわ!! 何するのよ! いきなり!! ビオラ、頭おかしいんじゃない!?」


 ようやく我に返ったのか、フルートはいまだに頬を庇いながら叫んだ。

 そんなに強く叩いたつもりはなかったけれど、普段慣れてないことをされたら、こんなもんかしら。

 私がお父様に叩かれたのを見ていた時は、痛む頬をさすっていた私を見て、大袈裟だと笑っていたけれど。


「おかしくなんかないわ。根も葉もないことで夫を馬鹿にされたら、当然の行いでしょう?」

「こ……のっ! ビオラのくせにふざけないで!! 仮面侯爵のことを悪く言ったって誰が構うって言うの!?」

「なんの騒ぎだ、フルート? お前は……ビオラか?」


 フルートが騒ぐせいですでに周囲には人だかりができていた。

 その騒ぎに気付き、お父様が駆け寄ってきた。

 味方が来たのが嬉しかったのか、ビオラは勝ち誇ったような顔で叫ぶ。


「お父様! 聞いて! ビオラったら私の頬をいきなり叩いたのよ! 私、何もしていないのに!」

「なんだと……? ビオラ貴様……っ!」


 お父様は私が実家にいた時と同じつもりで大きく右手を振り上げた。

 私は反射的に目を瞑り身体に力を入れる。

 その身体は抱き寄せられ、衝撃が来なかったためゆっくりと目を開ける。

 すると、お父様の振り上げた腕は、振り上げたままの形で掴まれていた。


「痛たたたっ!! な、なんだね君は!」

「あなたこそ、なんのつもりですか? その振り上げた手をどうするつもりで?」

「私はこの娘の父親だ! 馬鹿な娘に躾をして何が悪い! 分かったらその手を早く放したまえ」

「悪いことこの上ないですね。少し外へでも出て頭を冷やされたらどうです? デミヌエ男爵殿」

「何をぉ……? うぅ……!!」

「待って! お父様!」


 突然フルートが声色を変えて、腕を強く掴まれ苦痛の表情のお父様を制止した。

 どういうつもりかと思っていたら、身だしなみを整えて甘い声を作って、お父様の手を掴んだ男性、つまりオルガン様に擦り寄ってきた。

 飲み物を取りに一瞬だけそばを離れていたオルガン様は、フルートの頬を私が叩いてからずっと隣に立っていたのに。

 いまさら声を変えたって、さっきまでの罵声は全部聞かれているわよ?

 そんなことは気にしないのか、それも気付きもしないのか、フルートは猫撫で声で話しかける。


「初めまして。お美しい方。デミヌエ男爵が娘のフルートと申します。父がお見苦しいところを。素敵なお召し物ですね。さぞ格式のあるお家の出なのでしょうね。どうでしょう? この後私と踊ってくださらないかしら? それ以上のことも。貴方様が望むなら」

「お初にお目にかかる。フルート嬢。噂は

「まぁ! 私のことをご存知でしたの? 嬉しいわぁ。どんなリズムがお好みかしら? 私、どんなリズムでも得意ですのよ」

「踊りより。勘違いでなければ先ほどビオラに何か言っていたように聞こえていたが?」


 オルガン様に名前を出された私はこっそりとオルガン様の顔を見た。

 今まで見たこともないような冷ややかな目線をフルートに向けるオルガン様に、私まで怖くなってしまった。

 そんな目線を向けられているというのに、フルートは全く気付く素振りもせず、会話を続ける。


「あら、恥ずかしいですわ。不肖の姉が、自分の立場も弁えずにこんな場所に姿を見せたから、妹として注意してあげたんですの。ほんと、どちらが姉か分かりませんわ」

「自分の立場を弁えずとは?」

「実は姉は仮面侯爵に嫁ぎましたの。そんな人が舞踏会なんかに参加するなんて、正気の沙汰ではないでしょう? いいえ。姉は前から頭がおかしかったんですのよ。だから、今まで社交界に一度も顔を出したこともなくて」

「もういい。君がどれだけ俺の心を逆撫でするか、よく分かった」

「え? 何を……?」


 オルガン様は周囲にいる今日の舞踏会の参加者を見渡しながら、よく通る声で話す。


「このフルート嬢の考えに少しでも賛同できる者はこの場に残り、そうでない者は離れたまえ。今すぐにだ」

「何を突然おっしゃってるんです?」


 何が起こったのか分からないフルートとお父様以外、その場にいた人たち全員が一斉に後ろに退いていった。

 今日は仮面をしていないとはいえ、声が変わったわけでない。

 おそらく普段から王族の開催する夜会に参加していた人には、フルートが誰に物を言っているのか気付いているのだろう。

 どちらに分があるのかも。


「見たまえ。誰も君の考えに賛同できる者はいないようだ。君の無礼な父親以外を除いてな」

「なんですって!? 一体あなた誰なのよ! 何様のつもり!?」

「おい! フルート! やめなさい!!」

「きゃあ!!」


 こんな状態になっても状況が分かっていないフルートを、お父様が慌てて頬を叩き黙らせる。

 叩かれたフルートだけじゃなく、私も驚いてしまったわ。

 だって、今までフルートがどんなに馬鹿なことをやっても手を出したことなんてなかったのに。


「何するの!? お父様!」

「お前はいいから黙ってろ! 申し訳ありません。きちんと言い聞かせますから。ここはなんとか穏便に……グラーベ侯爵閣下……」

「デミヌエ男爵殿。貴殿の娘には頭がおかしい者がいるというを聞いたことがあるが、真実だったようだな?」

「は……はい? それはどういう……?」


 お父様は顔面蒼白で額中から吹き出した汗を拭くこともできず、震えている。

 オルガン様はフルートを一瞥してから、再びお父様に視線を戻し話を続ける。


「男爵家の令嬢が、陛下の開いた舞踏会の主賓に対し罵詈雑言を言い放つ。これを頭がおかしいと言わずになんと言う?」

「グラーベ侯爵閣下のことを悪く言ったつもりは、決して……いえ。馬鹿な娘の言ったことです。きちんと躾を……」

「勘違いしているようだな? 俺のことじゃない。今回の主賓はビオラだ。そういえば、貴殿はビオラに手を出そうとしていたな? 躾がどうだのと」

「いえ……あの……その……」


 そういえばすっかり忘れていたけれど、陛下からの招待状は私宛だったわね。

 そうなるとオルガン様の言う通り、主賓は私になる訳ね……え!?

 私が主賓なの!?


「娘だけでなく、貴殿も頭がどこかおかしいようだな? 我がグラーベ侯爵家に嫁いだビオラは、グラーベ侯爵夫人という立場だ。男爵である貴殿が侯爵夫人に手を上げていいと?」

「いえ……そんなことは……」

「ああ、そうだ。頭がおかしい者は社交界に顔を出してはいけない、というのが貴殿の信条だったな? であれば、さっさとこの馬鹿な娘を連れて、ここから今すぐ立ち去れ! 目障りだ!」

「は……はい!!」


 オルガン様のあまりの迫力に、何も言い返すこともできずに、お父様はフルートを連れてそそくさとその場から去っていった。

 ポカンと一部始終を見つめていた私に、オルガン様は満面の笑みを向けたので、思わず笑ってしまった。

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