第7話 薬作りが好きだから

「湯加減いかがですか?」

「とても気持ちいいわ。天国にいるみたい」


 ハープに湯浴みをしてもらいながら、私は本当に天国にでもいるような気分になっていた。

 シンバルが作った素晴らしい薬草園ともいうべき庭園、その一部を使って軟膏を作ったこと。

 どちらも気持ちを昂らせてくれた。

 そして今は、実家では味わえなかった本当の意味での浴みだもの。

 これで気持ち良くならない訳がないわ。


 私はもう一度浴槽を見渡す。

 道中でも立派な宿に宿泊させてもらい、そこの湯浴み場も十分豪華だったけれど、旦那様の本邸であるここは別格と言っていい。

 規則的に敷き詰められたタイルには汚れひとつなく、温かなお湯はふんだんに用意されている。

 何よりとても広く、開放感があるわ。

 湯浴み場に彫刻などが置かれているのは、貴族なら普通なのかしら。

 実家の湯浴み場は使用人用のしか使ったことが無いから分からないけれど。


「ねぇ、天国にはどんな病でも治すことのできる、特別な実があるっていうけど本当かしら?」


 私の黒い髪を洗い流してくれているハープに声をかける。


「天国にあるどんな病も治す……ですか? 申し訳ありません。存じ上げず……」

「あら。いいのよ。私もどこかで読んだだけの空想ですもの。真っ赤な実でとっても甘いんですって」

「奥方様はその実を手に入れてみたいのですか?」


 ハープの言葉に、私は少し考えた後、小さく首を横に振った。

 どんな病も治す実、普通に考えれば誰でも喉から手が出るほど欲しいだろうけれど。


「いいえ。私は要らないわ。だって、それがあればどんな病も治すのなら、他の薬を作る意味がなくなるでしょう?」

「その実が潤沢にあればそうですね。ですが、薬がなくなっても実があれば良いのでは?」

「実があるうちはね。でももし、その実が突然取れなくなったら? その頃に薬の作り方を誰も覚えてなかったとしたらどう?」

「まぁ! そうなると実も薬もなく、途方に暮れてしまいますね」


 私の話に驚きの声をあげたハープを見るように、体ごと首を向ける。

 少しいたずらっぽく笑みを浮かべ、本音を付け加える。


「本当のこと言うとね。私は薬作りもその薬を使って喜んでくれる人も大好きだから、それが意味がなくなっちゃうのは悲しいと思うの」

「まぁ! 奥方様は本当に薬作りがお好きなんですね。まだまだ知らないことは多いですが、そればっかりは、今日一日で十分分かりました」

「うふふ。そうなの」


 そうこうしているうちに湯浴みが終わり、ふわふわの柔らかな布で体を拭いてもらう。

 自分でやらずに人にやってもらうのに初めは慣れなかったけれど、ハープが頑なに手伝いを申し入れてきていたので、今やなすがままだ。


「さて! 出来ましたよ! 奥方様は本当に綺麗な御髪おぐしでいつみても羨ましいですね」

「あら、そう? ありがとう。母譲りの色なの。お母様を褒められたようで、なんだか嬉しいわ」


 なんだか今日はやたらとハープと会話が弾む気がするわ。

 前までは湯浴みの時も熱くないか、冷たくないか、痒いところはないか、なんて事務的な対話がいくつかあるくらいで終わっていたのに。

 あ! きっと元の屋敷に帰ることができて、安堵したのね!

 今思えば長旅だったし、相手は見知らぬ私で、しかも主人の妻ですものね。

 緊張するな、というのが無理ってものだわ。


「ねぇ、ハープ? 王都からここまでの旅路で疲れたでしょう? 明日一日、休みを取ってはどう?」

「え!? いえ! そんな勝手なことは!」

「あら。旦那様が留守の間は、私があなたの主人でしょう? 明日は私は部屋にこもってさっきの薬作りでもしているから大丈夫よ」

「ですが……」

「長い間家を空けて、ゆっくり会いたい人でもいるんじゃない? いいのよ、本当に」

「本当ですか……? 奥方様のこと、私誤解していたみたいです! 今まですみませんでした!! それと、本当にありがとうございます!!」


 次の日、ハープは私の申し出の通り、休暇を取った。

 後で聞いたら、ハープの母親、私から見ると旦那様の乳母様の調子が悪く、寝込んでいるのだそう。

 以前高熱を出してから、熱はなんとか下がったものの咳が続き、特に夜間、寝る時になると咳が酷くなるため体力も落ちてきているらしい。

 そういえば湯浴みの時にハープが小さな声で「そんな実があるならぜひ欲しいですけどね……」と呟いていたのを思い出した。


「そっか! えーと……確かフィーネもあったわよね。この庭……」


 私は庭園へ向かい、シンバルを探す。

 道中、様々な立派に育てられた草花を目にして心がときめいたけれど、今はシンバルを見つけるのが先。

 フィーネの他に探していたいくつかのハーブも見つけた。

 でも、約束通りきちんとシンバルに許可を取ってからよね。


「奥方様。どうしたんです? こんなところに一人で」


 探していたら、向こうが先に私を見つけてくれたようだ。

 シンバルは剪定の途中だったのか、右手に切れ味の良さそうなハサミを手にしている。


「シンバル! あなたを探していたのよ。でも特に用がなくても、ここへはきっとくると思うわ。だって何度見ても素晴らしいんですもの」

「へへ……奥方様はお世辞もお上手なんですね。それで、俺になんの用です?」

「お世辞なんかじゃないわ。本当よ。用は、また薬草をいくつか欲しいの」

「薬草を? ああ。名前は知っているけど、見た目が分からないんですね。この庭にあるといいんですが」


 シンバルはハサミを腰にぶら下げたツールポケットに戻してから近づいてくる。


「ここに育っているのはシンバルを探している間に見つけたわ。昨日も見たから間違いないの。でも、取る前にあなたに聞かないと、と思って」

「俺に? 昨日、この庭のものは自由にしてください、と言ったはずですぜ。もし分かるなら取っていただいても」

「でも、シンバルの方が、草花のことには詳しいでしょう? 摘み方や摘んだ後の処理が合ってるか確認したくて」

「はっはっは! 奥方様は本当に草木が好きなようだ。摘み方を気にする貴族なんて会ったことがねぇ」


 嬉しそうに顔を綻ばせるシンバルを引き連れて、目的のフィーネが生えていた場所へと向かう。

 青紫色の小さな花が無数に咲いていて、それだけで華やかね。

 本来は涼しいところに咲く花なはずだけれど、ここの温暖な気候でどうやって育ててるのかしら。


「このフィーネの根が欲しいの。どれか引き抜いていい株はあるかしら?」

「根を? そうですねぇ。この辺りの株ならちょうど手頃じゃねぇですかね。どれ……よいしょ!」


 シンバルは端の方の株の根本を持って、根がちぎれてしまわないように、丁寧に引き抜いた。

 フィーネは根がまっすぐ伸びるので、土を掘り起こさなくても抜ける。

 シンバルもそのことを熟知しているようだ。

 やっぱり薬草作りはシンバルに任せて間違いないわね!


 ヒョロヒョロと長い根が土から外へと顔を出す。

 よく太って良さそうな根だわ。

 これなら十分な量が作れそう。

 

「これでいいですかい? 必要ならもう一株抜きやすが」

「ありがとう。フィーネはこれで十分よ。他にもいくつか、根と実が欲しいのがあるの。それもこの庭園にあるのは確認してるわ」

「へぇ。奥方様は凄いですね。俺の息子なんかは、まだどこにどんな草木を育ててるか頭に入ってねぇっていうのに」

「うふふ。きっと薬草以外はまだまだ覚えられていないわ。さぁ、お願い。次へ行きましょう!」


 楽しくて仕方がない私を見るシンバルの目尻に、深いシワができていた。

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