第4話 愛すべき庭園

  本邸。グルーベ侯爵領ハーモニアにある屋敷は、口を閉じるのを忘れるほどに大きかった。

 王都で旦那様とお会いした邸宅も十分大きなものであったけれど、こちらは広大な領地を治める貴族の持つ城と言って過言ではない。


「さぁ、こちらでございます」


 王都からここまで来る間、身の回りの世話をしてくれたハープは、短くそうとだけ言うと屋敷の中へ入っていく。

 旦那様の乳母を務めた女性の娘であるハープは、元々この屋敷で働いていたという。

 

 道中の対応に不備など一切なかったけれど、態度の端々にどこか私に対する冷たさを感じていた。

 それでも直に使用人にすら冷遇されていた、実家での待遇に比べれば天国だけれど。


「お伝えした通り、オルガン様が王都での責務を果たされ、こちらにお戻りになられるのはひと月後の予定です」

「ええ。それまでに屋敷のことや私の仕事など、必要なことは覚えておかないと」

「いえ。奥方様には特にやっていただくことはございません。ただ、侯爵夫人としてふさわしい落ち着いた日々を過ごしていただければ」


 ハープの言い方に若干引っ掛かりがあったものの、確かに領地を持たない法服貴族の男爵家令嬢の私が、知らずに余計なことをして旦那様に迷惑をかけることもあるのかもしれない。

 ひとまず、何かをする時はハープに確認してからやることにしよう。

 それはそれとして、私の気持ちはすでに別のものに移り惹きつけられていた。


「ねぇ。このお屋敷の庭園は凄いわね! こんなにも多種多様な草花が咲き乱れているなんて。見て! あれはモレンドよ。とても繊細な花なはずなのに、あんなに群生しているのは、よほど庭師の腕がいいのかしら!」

「……そういえば奥方様はご自分の庭園をご所望されていましたね。この庭園をご覧になられた今でしたら、もう必要ございませんでしょうか?」

 

「いえ。この庭園は素晴らしいと思うけれど、私が作りたいものは少し特殊だから」

「さようでございますか。それでは具体的にどの程度の大きさや位置がいいのかなどは、庭師のシンバルと直接お話しいただければ」


 ハープは話が終わったとばかりに屋敷の中へと進んでいく。

 私も遅れないように歩きながら、咲き誇る草花を眺めていた。

 

 屋敷に入ると多くの人たちが働いていることに圧倒された。

 使用人全員の名前と顔を覚えられるかしら。

 すでに私のことは屋敷の使用人たちにも伝わっていたらしく、すれ違う度に使用人たちから従者としての礼を受けた。

 

 ただ、ハープにも感じた、どこかぎこちなさというのか、私に対する穏やかではない感情が見え隠れしているようにも見える。

 やっぱり、有力侯爵家に男爵家の令嬢が嫁ぐなど面白くないのかもしれない。


「奥方様にはこちらの居室と、寝室を使うようオルガン様から申し伝えられております。何か足りないものなどがございましたら、おっしゃってください」

「まぁ! ここが私の居室!? 寝室は別にあるのね!? 足りないもの? ううん。多すぎるくらいよ!」

 

「は、はぁ……ひとまず、問題ないようでしたらようございました。では、旅の疲れや汚れもあるでしょうから、まずは湯あみを……」

「その前に! 庭を見に行きたいのだけれど。庭師のシンバルとお話もしたいわ! どうせ土で汚れるでしょうから、湯あみはその後でいいと思うの。ただ、このドレスじゃ動きにくいから、着替えさせてね」


 ハープの返事を待つ前に、私は実家から持ち込んだ数少ない荷物の中から、庭いじり用の服を取り出し、着替え始めた。

 初めは驚いた顔のまま身動きをとらずに見ていたハープは、私がしたいことを察してくれたらしく、着替えを途中から手伝ってくれる。


「失礼ですが……このお召し物は?」


 着替えの手伝いをしながら、ハープは少し困惑した声で聞いてきた。


「庭いじり用のドレスよ。土が付いてもはたけばあらかた取れるし、動きやすいの。あ! 安心して。屋敷の中に戻る前にはきちんと土は落とすから」

「庭いじり用と言いますのは……奥方様自身が、庭造りをされるということですか!?」

「ええ! さぁ、さっそく庭へ案内してちょうだい!!」


 私に押されるようにハープは私を庭へと案内してくれた。

 門から本邸へと続く大通りから見るよりも、ずっと手入れが行き届いた庭だということに気が付く。


「素敵ね! こんなに立派な葉を沢山たくわえたフォルテの木は見たことがないわ!」

「フォルテの木……でございますか?」


 ハープは私がどの木を指して感嘆しているのか分からない様子だ。

 興味のない人にとっては、木はどれも似たような見た目に見えるのだろうか。

 それとも一般的なフォルテは木ではなく草のようだから、目の前のものがフォルテだと分からないかもしれない。

 

「どうやって育てるのかしら……土? それとも日当たりかしら? 流石にここの木から葉をもらうのはダメよね――」

「あんたが噂のオルガン様の奥方様かい?」

「きゃあ!?」


 考え事をしていたところに、突然下の方から声をかけられ、私は思わず声を上げてしまった。

 フォルテの木の葉を眺めていた視線を下に向けると、私より頭ひとつ分ほど背の低い初老の男性が私を見上げている。

 

「ドラムから聞いてるぜ? 庭師を置いて屋敷に庭を作りてぇって言ったんだってな? 跳ねっ返りが、おもしれぇこと抜かすじゃねぇかと思っていたが」

「え? え? いえ……私、そんなつもりじゃ……」


「それにしてもなんだ、あんた。噂に聞いてたのとはえらく見た目が違うな? まぁ、そっちの方がだ」

「シンバル! 流石に口を慎みなさい!! 仮にもオルガン様の奥方様ですよ!!」


 ハープが初老の男性をを叱りつけた。

 どうやら彼が庭師のシンバルらしい。

 ハープの咎めに対して、シンバルは両肩をすくめてみせた。


「まぁ! あなたがシンバルね! このフォルテの木! 立派だなぁと思って眺めていたところよ! もしよければ、ここまで大きく育てるコツを教えて欲しいの!」

「あん? フォルテの木だと……? あんた、フォルテの木を知ってんのかい?」


「ええ! こんなに立派で分厚い葉を付けたフォルテは初めて見たわ!」


 そう言いながら私は多肉植物であるフォルテの木を指さした。

 このフォルテの葉は、硬い外皮の中に半透明のゼリー状の物が詰まっている。

 そのまま食べることも出来るし、火傷の薬の原料にもなる。


「あの……奥方様? フォルテとはもっとこう……背の低い草のようなものではないですか?」

「いいや。ハープ。奥方様の言う通り、目の前の木は間違いなくフォルテの木だ。もっとも、もっと南方に生える物で、この国でフォルテといえばハープの言ってるやつが一般的だが」


 シンバルはフォルテの木と私を交互に見てから、あいかわらずの仏頂面で話を続けた。


「奥方様は、なんでフォルテの木の育て方なんかに興味があるんだ?」

「だって、フォルテは草でも木でも、葉が分厚く大きいほど薬効が高いって話でしょう? こんなに分厚い葉なら、きっと素敵な薬が出来ると思うわ。ここの葉をもらうのは難しいでしょうから、自分で育てる時の参考にしようと思って!」


「なんだか、聞いてた話と随分違うな……ハープ。本当にこの人が奥方様で間違いないんだな?」

「え……? え、ええ! 間違いなく! ドラム様から直接伺ったんですもの」


 素敵な庭師の話を聞けるとウキウキの私とは裏腹に、侍女のハープと庭師のシンバルは戸惑った顔を互いに見せ合っていた。

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