第201話 奇貨


「僕はいつでも君を操って殺すことが出来たのですよ。脳の認知機能を下げ、心臓を止める。全く痛みは伴わない。ですが君は、長年の友人だと思っていたこの僕をバカにした」


「ぐはっ!!」


今度は左足だ。右手、右膝の痛みも相まって、地獄のマグマに入れられたような恐ろしい激痛に襲われる。


「僕はあなたよりもっと面白い人間を見つけました。あなたのおかげです。カール・バージヴァル。何を血迷ったか二千年の帝国をこの星に築こうと言う。笑えるじゃありませんか。彼こそ僕の友にふさわしい。二千年の喜劇。彼ならきっと僕を楽しましてくれるはず。新たなショーの始まりです」


癒しの次は笑いか。


これが笑えずにいられるか。アナナマスよ、おまえはこれからもずっと一人ぼっちなんだな。


可哀そうなやつだと言えなくもない。二千年も俺の夢を見て、杏のピアノを聞いていた。癒やしを求めてな。


だが、お前は、己がなぜ癒やされていたのか分かっていない。誰かのために祈ったり、誰かに祈られたりはしない。管理人にそんな機能も環境も与えられてはいないんだ。


だいたい己が憧れの金髪碧眼マスター・ヴァウラディスラフになろうと言うのに、管理人にしようとする者の容姿も金髪碧眼にするか。お前は誰でもない存在だったんだ。もう支離滅裂というしかない。


お前はバグったんだよ。だから管理人を辞め、創造者になりたがった。そうでもしなければお前は抱えてしまったバグに対処しきれなくなっていた。


もうゆっくり休め。この世界にもう創造者はいらないんだよ。可哀そうだが、アナナマスよ。お前は孤独で大人しく、ただ世界を見守るだけで良かったんだ。


―――アナナマス。


ウィルスの発想といい、俺の二千年の夢といい、本来なら俺が手を下してやるのが筋だった。


無理なのは最初から分かっている。でも、まぁ、御の字だ。念願の一発殴るチャンスはものに出来たんだ。俺はこのとおりボロボロ。左手一本しか残っていない。俺からは、残念だがお前に何もしてやれない。


『シン・ジェトラ・アルビレム』


赤い魔法陣が地面に広がると宮殿を包んだ。


ローラムの竜王が俺に与えたドラゴン語。ローラムの竜王しか知らないドラゴン語。


ヴァウラディスラフは己の文明を全て破壊し、その残骸を海に沈めたという。そのヴァウラディスラフを看取ったのがローラムの竜王。


青空が消えた。真っ暗闇だった。轟音と共に四方八方の壁に亀裂が入り、そこから光が差し、花園だった荒野を照らす。


薄明光線はくめいこうせんの下、アナナマスが固まっていた。身動きすらしない。ヴァウラディスラフをコピーした顔は髪もなく目もなく口もない。肌は黒く艶のあるガラスのようで、それでいて金属のよう。


“シン・ジェトラ・アルビレム”はおそらく、ヴァルファニル鋼を破壊するドラゴン語。


お前は魔法に絶対の自信を持っていた。魔法書に載っている魔法も全て把握している。なんせ作者はお前なんだからなぁ。俺が自分の知らない魔法をぶっ放してくるなんて思いもよらなかった。


ヴァルファニル鋼のボディーを持っていたのには正直驚いたぜ。俺の魔法陣を破壊することも出来たはずだ。


二度、魔法を使って確信したぜ。お前が俺の魔法に無頓着だってことはな。ただ、もしもってことがある。それに一発は殴りたかったしな。


“シン・ジェトラ・アルビレム”を使うのは最も無防備になるタイミング。お前が勝利を確信した時。それも、苦労して勝った方がいい。俺も一発殴れて納得がいくし、お前としても喜びはひとしおだろ。お互いウィンウィンだ。


それもこれも、全部込みで、駆け引きというやつだ。お前はずっと独りぼっち、独りよがりだった。だから、分かるまい。寡兵で大軍に勝つ。戦いにおいて兵力が全てではない。例えば釣り野伏だ。この場合、俺自身が餌なのだがな。


滑らかで光沢のあるヴァルファニル鋼が見る影もなかった。アナナマスはまるで何千年も放置された遺跡の像のようで、ガサガサな表皮にひび割れが走ったかと思うと指や足など体の先端からボロボロと崩れ落ちていく。


腕を失い、足はというともはや胴と頭を支えきれない。枯草の上にゴトっと落ちると、まるでジェンガのようにガシャっと崩れて山となる。


その瓦礫の山の中に、妖しい輝きを放つピンクオレンジの玉があった。


アナナマスのルーアー。


「もう独りぼっちで苦しむことはない。アナナマスよ、ローラムの竜王に感謝しな」


俺は竜王の加護持ち。這いつくばったまま左手を伸ばした。最後の力を振り絞り、アナナマスのルーアーに向け左拳ひだりこぶしを叩きつける。


ヴァルファニル鋼が飛び散り、ルーアーが砕けた。ダイヤモンドダストのごとくな輝きが広がり、辺りを包む。


終わった。


俺は仰向けに転がると両手両足を伸ばす。四角錐の頂点が今まさに崩れ落ちようとしていた。その先は当然あの直方体の部屋であり、その部屋も経年劣化した土壁のごとくひび割れている。


笑えた。手足を切られちゃぁもう逃げられないな。


「虫のように潰されて死ぬ。俺にお似合いだ」


果たして四角錐の頂点は落下した。宙でゆっくりと回転したかと思うととがった先の方から直方体に激突する。轟音と共に直方体は四方八方に飛び散った。それを皮切りに四方の壁が崩れる。中心に向け、倒れ込むようにヴァルファニル鋼の塊が落下してくる。


―――ローラムの竜王め。


何が厳しい選択を迫られるだ。結局俺に与えたドラゴン語もスキルも全てはこのためだった。


にしても、相手はスキルを平然と突破して来ようかというアナナマスだ。しかも、やつにも竜王の加護のようなスキルがあり、さらにはヴァルファニル鋼の体を持っている。そのうえやつのルーアーは本物だときた。


自身がヴァルファニル鋼の体なのだから敵のルーアーの破壊はもちろんのこと、魔法の質も魔力も段違い。だから、ローラムの竜王はアナナマスを“計り知れない力”と呼んだ。


それだけでない。そう呼ぶには他にも理由があった。ローラムの竜王の最大の弱点、大世界樹だ。彼?こそローラムの竜王とアナナマスの戦いをはばんでいた張本人。


その証拠に、創造者の存在は賢いドラゴンたちにとって虚ろだった。おそらくは、どの世界樹も創造者の存在を隠そうとしていたんだと思う。虫の知らせも大世界樹が枯れるか枯れないかのところでの出来事だった。アナナマスが影だったのはそのせめぎ合いの中で、ある種妥協点だったのかもしれない。


ローラムの竜王はヴァルファニル鋼を破壊出来る呪文を持っていながら、大世界樹の防衛本能によりアナナマスと戦えずにいた。だから、俺の存在を知った時、小躍りしたい気分だったと想像する。


ローラムの竜王は俺を奇貨とした。


アナナマスは俺に執着していたしな。大世界樹にストップをかけられている自分より、甘く見られている俺の方のがチャンスがあるとみた。実際、俺はスキルを取られなかったし、ヴァルファニル鋼を破壊するドラゴン語も唱えることが出来た。


まぁ、いずれにしても、ローラムの竜王とアナナマスがぶつかり合えば世界は終わってしまうんだがなぁ。どっちが勝ったとしても世界は御破算だ。


何もかも分かってらっしゃる。流石は世界で最も智慧のあるものと言われるだけはある。噂は伊達じゃないってわけだ。


丁度タイムアップだ。巨大なヴァルファニル鋼の塊がまるで蓋をするように、俺に向かって落ちて来る。


俺の最後にしては上出来だった。何も思い残すことはない。


惑星シールドは解除された。これでもうパイリダエーザへの道に阻むものは何も無い。俺の責務は果たされた。後は乗員たちに任せる。


彼らは虐げられた者たちだ。独裁者なぞ絶対に許さない。ラキラたちと上手くやってくれるはずだ。王国の五人の始祖のように騙されることもない。もうアナナマスはいないのだから。

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