第197話 暗闘


這いつくばって下から見上げているからかアナナマスの笑いは一層不気味に映った。整った白い歯はこぼれるようであるが、口角は般若のように裂けている。目じりが下がっているが、眉間には幾つも強い皺が刻まれている。ぞぞっと背筋に悪寒が走った。


「ですが、残念です。君は僕よりリムディラディフィフの方を取った」


手の平の綿毛がしおれていったかと思うと瞬く間に干からび、灰となった。


「この世界から魔素を全て浄化すると決心なされたマスター・ヴァウラディスラフは、文明の遺物をここ以外全て破壊し、その残骸全てを海に沈めました」


虫の知らせの風景が永遠と続く草原だったのはそのため。全てヴァウラディスラフという男の仕業。そりゃぁ景色を見詰めるその表情が暗いっていうのも納得がいくぜ。


「ここに使われているヴァルファニル鋼は魔素結晶という人工鉱物が素材です。失われた文明の礎となった技術でもあるのですが、その製法を知る者はマスター・ヴァウラディスラフで最後となってしまいました。魔法を行使するのに大気の魔素を使用するよりも容易く、結晶というからには魔素の濃度も高い。ドラゴン語を知らぬ者でさえ望めばそこそこの魔法が体現できます。ドラゴン語を知っている者なら尚更」


バリー・レイズの神速はそういう理屈だった。ルーアーや魔法陣が切れるというのも納得できる。


「それを引っ張り出したのがリムディラディフィフ。こともあろうか眠っている場所とその使い方を人間に教えてしまいました」


『嘘つき勇者のアイザック』では、パトリック王の勘気に触れてヴァルファニル鋼の武器と装備は海に廃棄された。


しかも、この物語は王族に忌み嫌われているという。公には話せない。そこに恣意しいを感じるのは俺だけだろうか。その息子エリック・バージヴァルが賜姓降下したのもそうだ。王族はヴァルファニル鋼の存在を消したかったとしか思えない。息子エリックが得た領地も海に接しているという。まるで番人だ。


ヴァルファニル鋼は魔法に対抗しうる。王族にとって魔法は重要な権力基盤。言い換えれば、ローラムの竜王はそれを打破したかった。


俺が思うにロード・オブ・ザ・ロードは王族のためにあるのではない。全ての人間のためにある。


アナナマスがおこなった魔法書への対抗手段だったとしか言い様がない。そもそもローラムの竜王は一部の者に魔法を独占させるためにドラゴン語を教えたわけではない。ドラゴンと人との和解が目的だった。


なのにアナナマスは特定の者に敢えて魔法を教えることで、人とドラゴンの溝を造った。管理人のアナナマスとしては当時、人との融和なんてもっての外、と考えていた。


ヴァルファニル鋼は今も尚、エリノアの領地の海で大量に眠っている。それをカールとエリノアはローラムの竜王の思いとは裏腹に、ドラゴンとの戦いに利用しようとしている。


「きっと魔法書を人間に渡した僕への腹いせなんでしょうね。ですが、リムディラディフィフが悪いのです。ドラゴン語を教え、融和を図ろうなどと。僕は人間の各方面の主だった者に、彼らが信仰する預言者の幻覚を見せました。ガレム湾のダンジョンの奥に魔法書がある、ローラムの竜王に対峙する時、これが必要になるだろうとね」


大体事情は飲み込めてきた。両者が対立しているのは間違いない。原因はきっとこうだ。


この星を生きとし生きるもの全てに返さなければならない。ヴァウラディスラフのその言葉をローラムの竜王は忠実に守ろうとしていた。虫の知らせで見たローラムの竜王の悲しみに嘘はない。


アナナマスはそんなの関係ない。ただただ魔素を浄化するのみにまい進する。ヴァウラディスラフがローラムの竜王を生み出すまでの感情がアナナマスに影響しているとみていい。


「僕は一生懸命管理しようとしていたのです。ですが、もういいのです。僕は創造者ヴァウラディスラフになったのですから。色々と問題があっても、僕の創造が全てを解決してくれます。そう僕は信じている」


残念だが、アナナマスよ。ヴァウラディスラフはローラムの竜王が生まれて変わってしまったんだよ。親に似た感情が生まれた。お前にはその感情は未来永劫分からないだろうがな。


「人間は事の他弱い存在です。個々を見た場合においてです。種としては繁殖力も高く、環境に順応するどころか、それさえ変えてしまえる知恵を持っています。例えばテクノロジー。あれはすばらしい。魔法に匹敵すると言っていいでしょう。この世界を守るには十分」


アナナマスは爽やかな笑顔だった。目的に一直線で悩みも迷いもなんにもない。そういう面してやがる。


「つまり、もう管理人はいらないということです」


だろうな。言い換えれば、こいつを止められるのはもう俺しかいないってことだ。いや、止める責任が俺にはある。ウィルスの発想。あれはどう考えても俺からヒントを得ている。


「これがあなたを召喚し、いらなくなった理由です。僕は君とずっと一緒にいようと思ったのです。魂は永遠です。体なんてどうでもいい。だってクローンがあるじゃないですか。君が入っているその体はマスター・ヴァウラディスラフを彷彿とさせます。僕のお気に入りの魂に、尊敬するマスター・ヴァウラディスラフの体。これ以上のモノはない」


そもそもそこからお前はズレてるんだよ、アナナマス。だが、それはおいておこう。


「俺はもういらない。ってことはだ、俺を元の場所に帰してくれるんだよな」


「宇宙の真っただ中にですか? それは酷というものでしょう。仮にも二千年、僕と共に歩んできた人ですよ。僕はそんなことなんて出来ない」


察するぜ。聞こえのいいことを言いやがって。お前にとって俺は黒歴史なんだろ。何も隠そうとせず全てペラペラ喋った。よかろう、受けて立つぜ。それは俺も望むところだ。


「だったらどうする」


「さぁ、どうしましょうか。あ、そうそう。大事なことを言い忘れていました」


あんだけぺらぺら喋っておいて今更かよ。見え見えだな。今からしゃべることが、こいつが俺に本当に言いたかったこと。

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