最終章 世界の秘密
第189話 ヴァウラディスラフ
標本? ホルマリン漬けみたいなものか。それにしてもこの光景。
やはり創造者は人類の研究をしていた。いや、そういう設定か。人体に興味があった。あるいは、剥製みたいなものか。これは戦利品。展示するかのようにほの暗い部屋でライトアップされている。
固唾を呑んだ。
たった今、確かに胎児が手を開いて、閉じた。
目を疑った。気泡が作った水流がそうさせたのではないか。目を細める。指先が
胎児は生きている。夢でも見ているかのよう。
じめっとした戦慄を覚える。足元に得体の知れない生温かさがまとわりついて来たかと思うと、それが舐めるようにねっとりと背筋を這い上がっていく。
クローン!
円柱の水槽は人一人通れる隙間を残して部屋に埋め尽くされている。縦横斜め、どこから見ても整然と列を成している。ここはどこだ。魔法の世界とは思えない。
どう見ても科学だ。だが、しかし、俺の世界でそれは禁断の技術。決して侵してはならない神の領域。ゲームだとしても許されない。R18指定どころではない。検閲を受けるレベル。
外の楽園は一体何だったのか。円柱一本一本を確かめるように、足の赴くまま円柱を縫って歩く。そのどれもに、人体が収められていた。一様な姿勢で液体の中に浮いている。胎児だけとは限らなかった。
おおよそ青年までなのだろう。年齢は様々であった。全部見たわけではない。髪の色も様々で肌の色や体型も統一性がない。ただ、性別だけは女性に限られている。
世に出れば絶世の美女と讃えられるだろう者もいた。豊かな胸に、際立つ足のライン。きゅっと上がったヒップに、艶めかしい首筋。肌は滑らかで、ライティングのせいか体の内部から光っているようだった。液体に黄金の髪を泳がせ、まるで俺をダンスに誘うかのように、液体の中でゆらゆらと揺れていた。
なんのためにこれを創った。どういう設定なんだ。耳の奥にある外界と体内を分かつ薄っぺらい膜が、音になるかならないかの所で振動していた。ほんの数日前、俺はこれと同じような感覚を覚えている。
森での静けさ。虫の知らせ。あの時も俺は耳鳴りに似た感覚を覚えていた。
まさしく霊動。だが、今回はまるで違う。耳の奥に虫が何匹も巣を作っているかのようだった。邪気とも毒気ともつかない一種の霊気。
ふと、信じられない光景に心がスコンと抜け落ちる。三つ向こうの柱。そこに視線が奪われた。
魅入られているように足が勝手にそこに向かう。重く、強く、刻む心臓の鼓動が体の内側から鼓膜を容赦なく叩く。喉が焼き切れたように痛い。
―――ラキラ・ハウル。
俺はガラスにへばりついた。鼻から頬にかけてのそばかすの具合。オレンジ色っぽくもありブラウンぽくもある赤毛。間違いない。これはラキラ・ハウル。
何でラキラがここにいる!
不穏なイメージが空っぽな心の中で膨れ上がって俺の体を縛り付ける。表の風景はまさしく楽園と呼べるものだった。だが、ここはどうだ。
許せないという想いが憎悪という針となって、心に膨れ上がった不穏なイメージを貫く。パンっと弾ける音が聞こえたような気がした。
ラキラ・ハウルから離れた。ここにいても埒が明かない。
四角く切り取られたような部屋。漆黒の壁。規則正しく並ぶ円柱の水槽。どこをどう歩いたかも忘れていた。方向も分からない。壁に突き当たるとその壁沿いを歩く。思いのほか出口はすぐに現れた。
俺を察知してか、壁はすっと長方形に開口する。ほの暗い部屋を日の光が四角く切り抜く。扉の向こうは青い空と、舞う無数の綿毛、花園。そして、男が一人。
創造者。あるいは、ゲームマスター。
空で戯れる二羽の小鳥が男に向けて舞い降りて来た。宙に跳ねるように男の周りを飛ぶと一羽は男の肩に、もう一羽は男が差し出した指先に羽を休める。
男はそれを見届けると、俺へと振り向いた。
「あなたが来るのを待っていたのですよ」
男は微笑んだ。髪は
夢で見た男! ローラムの竜王がパパと呼んだ男!
死んだはずじゃぁなかったのか。男の笑みに悪意は読みとれない。心から嬉しいのかその表情に喜色を浮かべている。
「私はヴァウラディスラフ」
俺を待っていたということは、こいつが間違いなく俺をこの世界に呼んだ。ローラムの竜王曰く、計り知れない力が働いた。
そして、このヴァルファニル鋼の建造物。こいつが間違いなくここの
あのクローンたちもこいつに創作されたのか。あれは明らかに魔法ではない。しかし、あのクローンの部屋はおどろおどろしい魔力で満たされていた。夢で見た男の所業とは思えない。しかも、こいつは一度死んでいる。
蘇るって有りか? アンデットさえルーアーが破壊されれば復活できないんだ。こいつは夢の中で己のルーアーを失っていた。粉々になって、サンピラーに照らされるダイヤモンドダストのごとく煌めいていた。復活は有り得ない。
有り得ないが、実際目の前にいる男から
どういうことだ。ここに来てゲームの設定が波状してやがる。そんなことがあるのか。これほどの規模の仮想世界だぞ。優秀な多くの者が携わっているはず。考えられない。
押し寄せる思考の数々に、今さっきまでの感情が飲み込まれ流されて行く。俺は必死にそれに逆らって、さっきまでの感情を懸命に手繰り寄せなければならなかった。
「ん? どうしたんだい。私への挨拶は? あなたの世界では親しい仲にも礼儀ありっていうんじゃなかったのかな」
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