第十一章 五つの王国

第147話 威厳と寛容

龍哭岳大岩壁―――。そこはユーア国とチアナ国の国境付近、長城の西にある。ハロルドの話だとここから千三百キロほどの距離だ。歩兵の行軍なら一日三十キロが限界だろう。騎兵のみなら移動速度は一日四十から六十キロが目安となる。


出発が明後日なら、二十四日で千三百キロを走破しないといけない。一日の移動速度は約五十四キロだ。結構、厳しい。明後日では遅いくらいだ。


時間が無いが、式典はしたい。式典をしたいが、俺がいる。その場に俺がいたなら事実上リーダーはこの俺だ。エリノアとしてもそれを何としてでもはばみたい。


面白い。腐っても俺は王嗣おうしだ。追い払うためにはそれ相応の理由が必要だろう。どんな理由を考えたのか聞いてみようじゃないか。


俺はだんまりを決め込んでブライアンを見詰める。当然、エリノアは俺が不満を言い出すと考えている。切っ先を制するつもりだろう、ブライアンと俺の間に口を挟んだ。


「ローレンス王陛下がチアナ、イスランとアメリアの間に立って頂けるそうです。リーバー王太子殿下のお申し出でございます。二国とわが国が友好を取り戻すことは、ローレンス王陛下も望むところなのです。キース殿下はローレンス王陛下に謁見し、捕虜を引き渡して頂き、その後、チアナ、イスランの代表を交えた四者会談に出て頂きます。全てはローレンス王陛下が取り計らってくださるそうです。ご心配には及びません」


国の代表か。そりゃぁ責任重大だ。そのうえ龍哭岳りゅうこくだけに間に合うように来いってか。流石はエリノア。言うことなし、クソ過ぎるぜ。


しかしだな。ブライアンに罪は無い。鉄製の骸骨も貰ったことだ。気に入っているしな。晩餐会でもいいようにしてもらったし、ここはブライアンの顔を立ててやるか。


「陛下のおおせのままに」


これだけのことを俺はするんだ、エリノアさんよ。ブライアンには拝み倒そうかと思っていたが、いまので気が変わったよ。これはお前へのディールだ。お願いではない。


「恐れ多いことは十分承知の上で、お願いがございます、陛下」


ブライアンはエリノアをチラッと見た。俺が何を言い出すのかエリノアは思考を巡らせているようだ。ブライアンに向けて小さくうなずいた。


「申してください、兄上」


「では、申し上げまする。魔法書に関してでございます。陛下は魔法一括管理のために国内に広く返還を求めているとか。わたしがまだその要請を受けていないということは、わたしだけは許されているということなのでしょうか。いかがでしょう」


んな訳ないよな。だが、いきなり魔法書とは思いもよらないだろう。取り敢えず先制ジャブだ。さぁ、どう出る、エリノア。


ブライアンはまたエリノアを見た。エリノアの反応は早かった。即座に首を横に振った。


「兄上、残念ながら」


まぁ、そうなるわな。魔法書のことは言い出すタイミングをずっと計っていただけ。な、そうだろ、エリノア。それを俺の方から言い出してきた。渡りに船だって心境だろ? だが、俺の目的はそこではない。


「わたしは、バージヴァル家であるあかしを失いたくはない」


慌てない。魔法書を取り上げられるのは百も承知。これはディールだ。


「兄上」


ブライアンも悲しい目をしている。


「母上、どうにかなりませぬか」


エリノアは怪訝けげんな顔をしていた。あのキース・バージヴァルから家を尊ぶような言葉が聞けるとは思ってもみなかったのだろう。何か魂胆があると勘ぐっている。


揺れるブライアンに対して聞き入れてはならないというがごとくピシャリと言った。


「陛下、例外を認め出すと我も我もとなり、それが当然となります。王族ならばむしろ率先して魔法書を出して頂かないと臣民に示しが付きませんし、陛下の威厳をも損ないかねません」


ブライアンは小さくうなずいた。聞き分けがいい利発な子供だ。


「すまぬ、兄上。だが、世は絶対に兄上を下にも置かない。天に誓って」


がそこまで言ってくれると兄弟冥利に尽きるぜ。


「恐悦至極。承知いたしました。ただ、魔法書を手放すのであれば」


「あれば?」


ここからが本番だ。バージヴァル家なら誰の許可なく王立図書館の出入りは出来る。問題なのはその他の者が王立図書館に出入りすることだ。魔法が権力や権威の象徴というのなら、臣民から遠ざければ遠ざけるほどいい。


「やはりバージヴァル家であるあかしを感じたいものです。わたしはこの通り、ローラムの竜王に魔法の効かない体にさせられてしまいました。竜王の加護というものです。そのために王立図書館の地下にある魔法書には触ることが出来ないのです。あれは明らかに魔法がかけられています。だからです。だから、わたしは自分の魔法書を手放したくはなかったのです」


「そうだったのですか」 


ブライアンは再びエリノアを見た。エリノアは同情している風を装っていた。だが、内心はほくそ笑んでいる。


俺が返却を承諾すると一旦口にしてしまっていたのだ。後でいくら愚痴ったってそれはもう後の祭りで、何もくつがえらない。ゆっくりと、これ見よがしに、首を横に振った。


「世に力が無くて申し訳ありません、兄上」


「いいえ、王太后陛下もおっしゃるとおり厳格さも王の大事な資質です。ただ、少しばかりの寛容さもお示しください。器量もまた王の素養にとって大切なものです。後世に残す名に係わってくるのですから」

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