死せる悪役王子。甦って、破滅回避、無双して、伝説となるまで

悟房 勢

第一章 キース・バージヴァルという男

第1話 冥銭(回想)

俺は死んだ覚えがない。


なのに大聖堂のど真ん中で目が覚めた。といっても、すぐには状況が掴めなかった。両の目にはコインが乗せられていた。


それを冥銭と呼ぶのだろうか。あるいはカローンと呼ぶのだろうか。何かの冗談に違いないのだろうが、それにしても、悪ふざけが度を過ぎている。


ともかく、俺は目からコインを手で払いのけた。


コインは大理石の床に落ちて転がっていく。静まり返ったところに金属音である。大聖堂の音響もあいまって、まるで底なしの枯れ井戸に小石を投げ込んだようにコインの音は、長々と高い音で、大聖堂の奥へ奥へと響いていった。


コインが目から払われて、視界に宗教画が飛び込んで来た。ドーム状の天井に描かれていたものだ。


真っ青な空に雲が一つあり、そこから差した陽の光に沿って、大勢の天使や兵士たちが地上へと行進している。


ぐるり辺りを見渡すと、多くの人が俺を見守っていた。彼らはまるでアリーナを見下げるスタンド席の観客のようで、その誰もが布一枚を体に巻き付ける古代ローマの“トガ”を思わせる出で立ちだった。


二、三百人はいたのではないだろうか。どの視線も俺に向けられていた。それら観客と俺の目が合ったかと思うと突然、それが起こった。次々と、連鎖的に、観客は悲鳴を上げ、逃げ惑った。


大聖堂はパニック状態であった。屈強な男もじいさんもばあさんも、可愛いねぇーちゃんでさえ、誰彼かまわず押し退け、踏みつけ、大聖堂から出ようとしていた。


俺はそんな光景を、大理石の寝台の上からポカンと口を開け、馬鹿みたいに見守っていた。あの時点、俺も何が起こったか分かっていない。観客の、あまりのパニクリように俺も観客と一緒になって、逃げ惑っても良かったぐらいだ。


一人の男が大声で叫んでいた。


「キース王子はまだローラムの竜王と契約を結んでいない」


男はカール・バージヴァルという。キースの兄にあたる人物で、大聖堂でただ一人、プールポワン風の服装をしていた。


俺としては、カールの言っている意味も分からなければ、あえてここでそれを呼び掛けるっていう意図も分からなかった。だが、確かに、カールはこの時、そのようなことを人々に何度も言って、状況の沈静化を図っていた。


結局、広い大聖堂に人っ子一人居なくなった。俺は寝台から降ろされ、中央礼拝所の裏側、王室礼拝所に運び込まれた。そこは王室と一部の聖職者しか入れない場所であった。


どうやら俺はキースという男になってしまっているらしい。キースは昨日、落馬したショックで心臓が止まったという。


もし、俺が死んでその魂がキースのむくろに入ったとしよう。だが、何度も言うが俺は、自分が死んだという記憶がない。俺が死んでないということは、生きているということだ。


であるならば、逆も言えるのではないだろうか。キースは死んだとされるが、どこかで生きている。


因みに俺が観客にさらし者になっていたのはキースのお別れ会みたいなもので、古代ローマの“トガ”を思わせる服装は王族以外に定められた彼らの正装らしい。正式な儀式は明日。その後でキースの遺体は焼かれる手順となっていた。


ここが異世界なのは薄々分かっている。おれ自身、黒髪黒目の生粋のアジア系なのだ。それが金髪碧眼。しかも、二十歳にもなっていないこの若さに、垢抜けたこの美貌。どう考えてもどこかの世界のキースというおぼっちゃんに俺が入れ替わったとしか思えない。


幸運にも、俺は前の世界での俺を全く覚えていない訳ではない。大聖堂の装飾の感じが俺のいた世界のキリスト教を彷彿とさせる。これ一つとっても、俺の記憶が確かなのは間違いない。


妻子がいた。俺は元軍人で、辞めた時は少尉。前線で指揮していたが、結婚を機に大手セキュリテー会社に転職。四十五の若さで幹部に上り詰めた。


基本、キリスト教は土葬だ。文化が違うといえばそうだろうが、火葬というのが引っ掛かった。ここはそういうものだと俺は受け入れるべきなのだろうか。


それでも、やはり気に掛かった。大聖堂に掲げられる十字だけではない。言葉がほぼ、前の世界と一緒なのだ。喋るという点で言うとオーストラリア英語に近いというか、訛りの域から出ていない。文字の方は全く変わらなかった。


この世界は、俺たちの世界の親戚なのではないだろうか。どこかの過去で枝分かれしたもう一つの未来。そんな仮説を立ててみた。


キリスト教―――。この世界ではイザイヤ教と言われているのだが、火葬は王族に限ってのことらしい。


王室礼拝所に俺が入れたのもそう。つまり、俺は王族ってことだ。先ほどのカールが俺の兄で王太子。王は、俺の父親ってことになるのだが、どういうつもりか息子の、国民へのお別れ会に顔を出さなかった。


それについては、他人?の俺でもむかっ腹が立つ。その一方で、キースはよっぽど親に嫌われていたのだろうな、と想像してしまう。


王にとっては丁度いい厄介払いだったのではないか。そんなことを考えると寒気を覚える。それはまるっきり俺へと降りかかる災難なのだ。


王の考え次第で俺はどうにでもなる。都合よく死んだのに何でお前は生き返りやがったんだとばかりに、今度は確実に、この手で、と考えているのかもしれない。


それ以上に、妻と娘が心配だ。俺の説では、俺とキースが見た目そのままに入れ替わっている。となれば、妻と娘の未来はキースという男が握っている、ということになる。




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