コトノハ

織羽朔久

前編

 今日も、○○市の失踪した女子高校生の捜索が続いています。三日経った現在でも、手がかりや足取りなどは一切つかめていない状況です。女子中学生が当日学校に登校していなかったことから判明したこの事件。犯行声明や身代金の要求などがないことから、警察では誘拐などの事件性は薄いと見て捜査を進めており、受験や将来への不安から女子中学生が家出をしたのではないかとの説も浮上しているようです。


 何度も何度も何度も、嫌になるほど繰り返される変化の無い情報に、思わず舌打ちをしながらテレビの電源を切る。

 立ち上がって手近にあった数学の教科書を、思い切りドアに向かって投げる。ドサリと音を立てて落下した教科書の背表紙では、「彩田葉」の文字が、情けなく丸まっていた。全く気が晴れない。まだまだそこらじゅうの物に当たり散らしたい気分だ。


 ドスドスと音を立てて廊下を歩く僕は、傍から見ればさながら小さな怪獣のようだろう。


「うるさいわよ!床が傷むでしょう!」


 今は僕の神経を逆なでするだけの母さんの声を背中に受けながら、靴ひもを結ぶ。


「ちょっと、どこ行くのよ?」

「……散歩」

「コトちゃんのこともあるし、最近物騒なんだから暗くなる前には帰ってきなさいよ」

 

 僕は振り返らずに手を挙げて答えると、いつもより少し乱暴にドアを閉める。

 勢い任せに出てきたはいいものの特に行く当てもなく、適当に歩みを進めながら僕は彼女との出会いを思い返していた。


「ねえ、夏なのにどうしてずっとマスクをつけてるの?」


 屈託のない笑みで転校生の女の子、コトがそう話しかけてきたのは、たしか小学三年生の時だった。静まり返ったかと思えば、ニヤニヤと何かを期待するようにこちらを見るクラスメイトの視線に、暑いはずなのに何故か寒気がして何も言わずに教室から飛び出したっけ。


 とにかく、出会いは最悪で、あの時はこんなに彼女と仲良くなるなんて想像もしていなかった。むしろ自分とは絶対に縁のないタイプの人間だと思っていたのだ。けれど、お互い本を読むのが好き、国語が得意で数学はちょっと苦手、など、意外な共通点のおかげで僕らはだんだん打ち解けていった。そうして一年もたったころには、お互いのことは何でもわかる関係になっていた。毎日のように一緒に遊んだり、日が暮れるまで話していても、僕たちは全く飽きることなんてなかった。かれこれ六年以上の付き合い。

 なのに、どうして突然姿を消してしまったんだろう。いなくなる前日だって、笑ってまた明日って別れたのに。教室についても、1限が終わっても、姿はなくて。僕は彼女の事、何もわかっていなかったのかもしれない。コトの家族も、そして僕だって行先は何も思い当たらないし、本当に昨日まで普通だったのだ。ひょっとすると彼女はもう…。


「あ、ヨウじゃん!こんなとこで何してるの~?」


 暗い考えが頭をよぎったその時、聞き飽きた大嫌いな声で僕は現実に引き戻された。


「…黒川君」

「どうせお前が何かしたんだろ。化け物くん?」

「…」


 実に馬鹿馬鹿しい。僕が、唯一友達と言える存在である彼女の突然の失踪にかかわっているはずなどありはしない。ここ三日、僕はご飯もろくに喉を通らないのだ。五百歩譲って万が一動機があったとしても、僕には当日学校にいたというれっきとしたアリバイがあるのに。黒川はよっぽど、僕の嫌がる顔を見たいらしい。きっと否定すればお決まりの言葉が返ってくるだけだから、黙っていた。

 しかし、結局それが気に食わなかったのだろう。


「チッ、だんまりかよ。万年マスクの口裂けヨウクン!」


 いつも通りの意地悪な笑みを浮かべて吐き捨てるようにそう言うと、手に持っていた空き缶を投げつけてきた。

 しかし、流石に小学生の頃から散々な目にあっていればそれくらい予想ができる。熟練の動きで躱して、そのままスタートダッシュを決めた。


「おいっ、待てよ!」


 待てと言われて待つ馬鹿はいない。

 良く言えばガッチリ(はっきり言うとポッチャリ)な黒川を振り切ることは、小さな頃から逃げ足だけは鍛えられてきた僕にとっては容易い事である。

 しばらく走った後後ろに黒川の姿が見えないことを確認し、足を止める。流れる汗をぬぐいながら自販機でサイダーを買い、とりあえずベンチに腰を下ろした。

 口裂け男、化け物、キモイ、どれもクラスメイトから投げかけられた言葉だ。小学一年生の頃、僕は交通事故に巻き込まれて左の頬に一生消えない大きな傷ができた。それを見たクラスメイトは、僕を気味悪がったり、好奇の目で見たりするようになったのだ。それが嫌で、人前では絶対にマスクが外せなくなった。そんな僕は、過去に一度だけ、勇気を振り絞ってコトの前でマスクを外したことがある。


「気持ち悪くなんかないよ!漫画に出てくるヒーローみたいで、なんかかっこいいと思う!私は好きだな。あとね、ヨウ君がおすすめしてくれる本、どれも楽しいし!私の自慢の友達だよ」


 その時彼女がかけてくれた言葉は、今でも僕の宝物だ。

 ぷしゅ、と音を立てて飛んだ泡が目にしみたような気がして、とても飲む気がしなくなってしまった。


 空は凄く透き通っていて青くて、僕の憂鬱でドロドロした気持ちとは正反対だ。どれだけ眺めていただろう。炭酸は、きっともうすっかり抜けきっている。それでも僕は、ここから動く気が起きなかった。いっそこのまま太陽の光で溶けて消えてしまいたい。

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