第91話 大丈夫

 悠に連れられて、怪我のことをチームのメンバー達に報告をした後、体育祭実行委員にも紗奈の棄権を知らせる。


 あまり人気の無い種目であるこの徒競走。補欠には元々やる気の無いメンバーを、とりあえずの数合わせで入れていたため、サボりで近くにはいない。


 散らばっているため、すぐに集まることも出来ないだろう。


「前か後の人が二人分走るのも、事前に言えば一応出来るんだけど……」

「紗奈ちゃんの次って小澤くんだっけ? アンカーじゃん!」


 (それは流石に……)と誰もが思った。しかし、悠は力強く頷く。


「うん。俺が一周半、走るよ」

「大丈夫?」

「小澤って足速いし、割かし体力もあるけど……。一周半って三百メートルだぜ? それを全力疾走しなきゃいけないとか」

「何とかやるよ」


 紗奈の為だから。と、声にはしないが心の中で思う。絶対に大丈夫だ。死んでも走りきる。という自信が、今の悠にはあった。


「いや、やっぱ流石に無茶じゃねえか? 前の人に任せるとか」


 と言っても、紗奈の前の走者はじゃんけんで流れてきた人で、不安そうな顔をして視線を右往左往させて戸惑っている。


「大丈夫。俺がやる」


 悠も真剣だし、時間もないので、結局悠が一周半を走る。という事に決まってしまった。


「ゆ、悠くん……」

「そんな顔しないでよ。俺、北川さんの分も頑張るからさ」


 悠はそう言って、不安げに見上げてくる紗奈に笑いかけた。悠は拳を握ると、ガッツポーズのような姿勢で気合を入れる。


 本当は紗奈が悠と同じように頑張りたかったのに。そう思って、紗奈は肩を落とした。


 不安と心配が入り乱れた表情で悠のことを見つめていると、悠が少しだけ紗奈に顔を近づけた。


「……大丈夫。紗奈の頑張りは伝わってるよ」


 悠は、小さな声で紗奈にそう耳打ちすると、そのままチームメイトたちと一緒に、入場の準備を始める。もう整列しないと間に合わないので、紗奈はここで一旦別れなければならない。


 紗奈はジッと、悠の姿を目に焼きつける。


。。。


 徒競走リレーが始まり、第一走者が走り出す。第二、第三と、そこまで大きく差は開いていないが、練習と同じで、現在は最下位だった。


 練習の時は、この後に紗奈が三位を抜かして、アンカーの悠にバトンが渡るとまた前を抜かし、二位になる。


 それでも、ずっと一位にはなれなかった。


(紗奈のためにも、負けたくないなあ)


 悠は走るチームメイト達を目で追いながら、練習中の紗奈の姿をを思い浮かべる。


 紗奈は練習を物凄く頑張っていた。実を言うと、悠はそんな紗奈の姿に勇気を貰っていた。今日、一周半を走りきる。と悠が臆さずに言えたのも、今日までの紗奈の練習風景を見ていたからだった。


 全員が徒競走に注目しているからか、練習の時よりも悠は緊張していた。足がすくみそうになっている程だった。


 悠は、走っているチームメイトから紗奈へと視線をずらす。そうすれば、悠の緊張はすぐに些細な事となった。


 紗奈は今も悔しそうにしている。心配そうな表情で走るチームメイト達の姿を眺めていた。


(俺は、紗奈の頑張りを無かったことにしたくない)


 紗奈をジッと見つめると、悠はぐっと拳を握りしめて気合を入れる。そして、次にくるバトンが、紗奈の前の走者に渡ったことを確認した。


「大丈夫。走れる。勝てる」


 バトンが悠に渡り、余裕を持って二位まで成り上がる。あとは一チーム。練習では一度も勝てなかったチームだ。


「三位チームは大きく離したけど……。流石に失速するかっ……!?」

「頑張れ! 頑張れ!」


 走り終えたチームメイト達も、息を整える間も惜しんで応援している。不安げな表情を浮かべて、悠の姿を見つめていた。しかし、最初は不安げだった表情は、段々と驚きや興奮に変わっていった。

 

「でも、超速いよ! 練習の時より差が縮まってない?」

「いけいけ! 小澤あ!」


 応援している生徒達も、ぐんぐん縮まっていく一位との差にざわついた。


 走っている当の本人はもう必死だった。周りを気にする余裕もないようで、向かい風で髪が乱れてしまっている。


 紗奈の顔を思い浮かべて、悠は最後一周半、すなわち三百メートルを全力で走りきった。


「は…はっ……はあ……っ」


 最後まで走りきった悠の感想は、息苦しい。の一点のみだった。


 ずっと一位になりたいと思っていたはずなのに、最後は抜かせたのかどうかなんて、全く気にする余裕もなかった。


「先生が撮ったムービーで一度確認します」


 との放送が入り、グラウンドはまた全体的にざわついた。

 

「はぁ…はぁ……え…何……。どっちが勝ったの」

「とりあえず小澤は息整えよう?」



 寛人の言う通りに息を整え、悠は改めて司会者の方を見た。ちょうどムービーを確認し終えたらしく、マイクを持ち直していた。


「発表します。ムービー判定の結果、一位……赤組! 二位、緑組。三位、白組でした!」


 一位は赤組……。すなわち、悠達のチームが優勝した。

 

 練習では一度も勝てなかったのに……僅かの差で。


「よっしゃあ!」

「小澤よくやった!」

「凄い! 超速かったよ!」

「地味な癖にやるじゃんっ!」


 徒競走を走りきったメンバー達が盛り上がっている。悠に抱きつく男子達もいるし、肩を組んで「偉い」とはしゃいでいる男子生徒もいる。


 悠はただ走りきった脱力感で、なかなか実感が湧いてこなかった。


「マジか……」


全然、覚えていない。必死すぎて、何も覚えていない。唯一思い出したのは、走っている際に前髪を気にする余裕が一切なかったことだった。


「つーか、小澤の目ぇ、初めて見たわー」

「あんな険しい顔もな」


 思い出した事で不安になったが、容姿については特ににバレていなさそうだ。と分かってほっとした。


 代わりに、必死すぎる恥ずかしい顔を見られてしまったようだが、今は考えないようにしよう。と悠は思った。今は勝てたことを素直に喜びたいのだ。


「悠くん…凄い……」

「あ、さ、北川さん」

「私の分、走ってくれてありがとう……。悠くん、本当に凄いよ」


 紗奈が泣きそうに微笑む。


「北川さんが練習頑張ってたから、何とかしなきゃって必死だったんだよ」

「本当にありがとう。悠くん……」


 悠が正直にそう答えると、紗奈が悠の両手をぎゅっと包み込んだ。本当は抱きつきたいくらいなのを我慢している。「これくらい許してね」と表情が訴えかけてきた。


 悠は嬉しかったし、許すも何も無かったのだが……。残念ながら周囲からは許されなかったようだ。


 せっかく頑張ったと言うのに男子生徒からの当たりが強くなってしまった。


「くそう。優勝したからって北川さんといい感じになりやがって!」

「髪切って出直せ。この野郎」

「お前が凄いのは走ってる時だけなんだからなー!」


 酷い手のひら返しだ。と思いつつも、みんなに囲まれてそこまで恐怖を感じないのは、やっぱり紗奈のために頑張ったのだ。と胸を張って言えるからなのかもしれない。そう思った。

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