雨の幽霊

燎(kagari)

雨の幽霊

 激しい雨が降っていた。

 地面に跳ね返る音がうるさく、それ以外の音は聞こえないほどだ。

 『観測史上最大の降水量』と後日ニュースが流れること間違いなしだなぁ、とぼんやりと思う。


 風があまり強くないことが唯一の救いだった。

 この雨の中、強風で傘が壊れるなんてことがあればもう、絶望だ。


 最寄り駅から家までの道のみ。ゴールまであと少しのところ。

 切れかかった電灯のせいで、ちかちかと目立つ電柱のそばに、誰かの足元が見えた。

 傘を少しだけ後ろに傾け、その姿を確認する。


 傘は差していない。

 長い前髪が隠す顔、その表情は見えない。

 黒いスーツを着た、女性だった。

 いつからこの場所に立っていたのかはわからないし、何しろこの雨だ。

 手遅れかもしれないが、これ以上濡れない方が良いのは間違いない。


「あの、大丈夫ですか」


 見知らぬ女性に声をかけるのには少し抵抗があったが、仕方がない。

 今の雨は緊急事態と言ってもいいレベルだ。


 傘の中に入れるよう、近づく。

 そこで、気づいた。

 女性は全く、雨に濡れていない。


「……私が視えるのね、あなた」


 眼の前にいる女性は、生きている人間ではなかったようだ。

 どこかで聞いた雨の幽霊の噂は、どうやら本当の話だったみたいだ。


「お察しの通り、何も問題ないわ。 

 あなたこそ顔色が少し悪いけれど、大丈夫?」


 当然、驚きはした。

 しかし、さほど恐怖は感じなかった。

 声も、話し方も、生きている人間と何一つ変わらなかったのだ。


「だからほら、傘はいらないわ。 あなたが濡れちゃう。 人間は雨に濡れると、色々困るでしょ」

「……このまま入っていてください。 もう少し話をしてみたいし、濡れなくたって雨に当たるあなたをそのままにはできません」


 変な人、と呟いた。

 それはこっちのセリフだ。

 生きた人間と同じように見えて、同じように会話ができて、更には気遣ってくれるなんて。


 「ナンパなんて生きていた頃は無視していたけれど。人間と話せるなんて久しぶりだし、いいわ。あなたが飽きるか、この雨が止むまで入っていてあげる」


 道行く人が僕を見て、早足で逃げていく。

 他の人からすれば、この雨で立ち止まり一人で喋る僕こそが幽霊に見えるのだろう。


「今日は止みそうにないですけどね」

「いいんじゃない。雨の幽霊同士、一緒にいましょう」


 長い前髪の奥。怪しい笑顔が見えた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨の幽霊 燎(kagari) @sh8530

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ