止まらない憎悪

 市に着いた時、状況が想像以上に悪いとエレノアは感じた。

 調査用の魚を集める目的もあり、ここ二ヵ月ほどの間にエレノアは市に何度か足を運んでいる。だから異変……市の様子が何時もと違えば、なんとなくだが察せられる。

 今の市にこれといった破壊痕はなく、暴力的な雰囲気はない。しかしあちこちで荷物が散乱していた。局所的なら騒ぐほどの事ではないが、あちこちで見られると異様な雰囲気を感じてしまう。

 何より、人の姿が何処にもない。何時もなら魚を仕入れようとする人、売ろうとする人、そして漁師の姿でごった返しているのに。

 しかし人気がない訳ではない。

 遠くから感じるひりついた空気。武道にはとんと疎く、殺気などろくに感じた事もないが……きっと今この市の奥から漂う雰囲気こそがそれなのだろうと、エレノアは思う。イリスも身体と表情が強張り、無意識に臨戦態勢となっていた。

 殺気があるという事は人がいるという事。この市で殺気を出す人間など、エレノアは一つしか心当たりがない。ならば出所は何処か? 勿論エレノアにそれを感じ取る真似は出来ない。しかしこの市に関して言えば、とてもハッキリと分かった。

 怒号のような掛け声。殺気に満ちた声が聞こえてくるのだから。


「エレノア様、奥の方から話し声が聞こえます。あちらに向かいますか?」


「ええ、お願い」


 エレノアが頷けば、イリスは恐れる事もなく声がする方へと歩む。ある程度声と気配が近付いたところでエレノアを下ろし、エレノアもイリスの後ろから逸れないよう付いて歩く。

 数十秒と歩いて、大勢の人の姿を確認する。

 漁師達だ。数はざっと二十人ぐらいだろうか。この町の全漁師数から見ればごく一部だが、人魚狩りという無謀な戦いに身を投じる者達と思えば決して少なくない。しかしいずれも勝ち目がない戦いに挑む必死さはなく、むしろ勝てると思っているのか攻撃的な笑みを浮かべている者もいた。尤も大半は、かなり険しい顔付きだったが。

 エレノアは威圧されたぐらいで怯える性分ではない。一国の姫がその程度で屈していては、いざという時に国政など担える訳がない。しかし一瞬気圧されてしまうぐらいには、漁師達の顔付きは凄まじい。

 軽視していたつもりはないが、エレノアが思っていた以上に漁師達は覚悟を以て人魚狩りに挑むつもりだ。それでいて破れかぶれではないらしい。

 こういった人間が一番厄介だと、昔イリスが話していた事を思い出す。


「お? 貴族の嬢ちゃん達じゃないか」


 彼等の行く手を遮る形でエレノア達が棒立ちしていると、一人の漁師が話し掛けてきた。

 ジェームズだ。船を出してもらった時は何時も不機嫌な顔をしていた彼だが、今は比較的柔らかに笑っている。

 普通ならば前よりも親しみを感じやすくなるところだが……その手に銛が握られているとなれば、そう楽観的に受け取る訳にもいかない。


「(あれが、イーヴィスさんが言っていた武器……?)」


 エレノアは銛を注視してみる。

 武器にそこまで造詣が深い訳ではないが、一見してあり触れた木製の銛だ。いや、『低品質』の、という言葉を頭に付けた方が正しいかも知れない。先端は尖っているものの粗削りで、刺されば痛そうだが、そもそも然程深くは突き刺さりそうにない。柄の部分もぱっと見で分かるぐらい歪んでおり、真っ直ぐ、速く投げる事は難しそうだ。

 新武器と呼ぶには些かオンボロが過ぎる。これをジェームズだけが持っていたなら、そんなもので人魚と戦うつもりなのかと半ば呆れて指摘するところだが、よく見れば此処にいる漁師全員が同じような銛を握っていた。

 彼等の銛も先端は粗削りで、柄は不規則に曲がっている。そして重要なのは一本として同じ形のものがないという点。断言は出来ないが、恐らく『手作り』品だ。それも品質の悪さからして、正規の職人どころか見習いが作ったものでもない。

 全くの素人、例えば


「なんだ嬢ちゃん。この銛が気になるのか?」


 注意深く見ていた事もあって、ジェームズは銛を観察されている事に気付いた。

 ここは隠し事をしても仕方ない。単刀直入に、エレノアはジェームズに尋ねる。


「ええ、イーヴィスさんに教えてもらいました。あなた達、その銛で人魚を倒す気なのですね?」


「……なんだ、お前もアイツと同じで止めるつもりか」


 訊くと、ジェームズの雰囲気が一変する。不機嫌とは明確に異なる、敵意を滲ませたものだ。

 ジェームズだけではない。傍にいた二十人近い漁師全員が、ジェームズのように敵意を露わにする。一触即発というほどではないが、しかし迂闊に刺激し続ければ、かなり危険な事になるかも知れない。

 相手が盗賊であれば、イリスがなんとかしてくれるだろう。だがジェームズ達はただの、気が立った漁師でしかない。これをなんとかする殺す事なく無力化するのは、いくら王国騎士であるイリスでも困難だろう。


「エレノア様。万一の時は一人でお逃げください」


 されどイリスは、刺激するなとは言わず、一人で逃げろと言う。

 何かあれば足止めぐらいはするという事であり、故に恐れるなと言いたいのだ。エレノアとしても争いは望まない。だが従者の決意を無駄にもしない。

 慎重に言葉を選びながらも、エレノアはジェームズ達に真意を問う。


「本音を言えば、止めてほしいと思っています。人魚相手に戦うなんて無謀過ぎますから。でも、事情も知らず頭ごなしに否定するつもりもありません。まず、その銛でどうやって人魚に勝つつもりなのか教えてくれませんか?」


 最初に尋ねたのは、勝算があるかどうか。気が立っているジェームズ達の考えを否定せず、まずは冷静さを取り戻すよう促す。

 彼等の意思を否定する言葉は、可能な限り使わない。今一番避けるべきは、対話が不可能だと判断され、話を打ち切られてしまう事だ。そのためには彼等の気持ち自体は否定せず、あくまでも論理的な説明を求める。

 もしも破れかぶれの無策であれば、これだけでも何人か考えを改めるかも知れない。

 しかし残念な事に、見ている限りどの漁師にもそんな素振りはない。むしろ何も知らないこちらを、嘲笑うというほどではないが、少し下に見ているような笑みまで浮かべる始末。もしもあの笑みが演技やハッタリの類なら、漁師を止めて役者になった方が良いと思うぐらい本心から浮かべていると確信出来る表情だった。

 彼等は随分と自信があるらしい。それならそれで構わないと、エレノアは思う。自信があるのなら、その大層な銛の秘密を自ら話してくれると思ったからだ。そしてその思惑は的中する。


「実はこの銛、オロマタギという木から出来ているんだ」


「オロマタギ? ……オロマタギですって?」


「オロマタギ、とはなんですか?」


 エレノアがその名前に反応すると、イリスが詳細を尋ねてくる。

 彼女が首を傾げるのも無理ない。オロマタギというのは樹木の名前であるが、これを知る者は決して多くないからだ。

 何しろ人間二人分の高さにもならないような低木な上、組織がスカスカで木材としての価値は殆どない。燃料にしようにも水分が多くて乾燥させ辛く、しかも焼くと(お世辞にも良いとは言えない)臭いが漂う。生きている時なら柔軟性はあるが、乾燥させると一気に脆くなるため生の時でしか使えず、水分の多さ故に腐りやすいので繊維にもし辛い……と、兎に角用途がない。だというのに成長が早くて繁殖力も強く、おまけに根を深く張るので撤去も難しい。環境が合えば数年で大きくなるため、ちょっとした荒れ地を瞬く間に自然に還す厄介者という扱いだ。

 何より問題なのは、その幹に含まれている成分。

 詳細はまだ分かっていないが、物質が含まれている。どうやら神経系の毒であり、身体が麻痺して呼吸出来なくするのだ。このため川や湖の近くでオロマタギを処分すると、大量の魚が死んでしまう。漁業関係者からすると天敵のような木である。

 銛であれば、その脆さも相まって体組織内に破片が残る。その破片から成分が染み出せば、魚にとっては猛毒となるに違いない。


「(人魚は、解剖結果通りなら魚の仲間。オロマタギで刺されたなら、例え僅かでも身体に影響が出る……)」


 科学的理屈で考えれば、効果覿面なのは間違いない。確かにこの武器であれば、人魚を効率的に倒せるだろう。

 恐らく一月前人魚に襲われた漁師の使っていた銛が、オロマタギで出来たものだったのだ。あの時、銛で突いたら人魚の動きが鈍ったという話だった事を思い出す。木材として価値のないものだけに、市販品にオロマタギで作った銛があるとは思えない。手作りか粗悪品か……なんにせよ『不運』によって、今まで誰も知らなかった人魚の秘密が、漁師達に明らかとなったのだ。

 猛毒という弱点を突ければ、海上という不利も十分補える筈。このまま放置すれば、ジェームズ達は大量の人魚を殺すだろう。


「……勝ち目がある事は分かりました。でも、人魚を積極的に狩るなんて……自衛に留めるだけでは駄目なのですか?」


 次にエレノアは、歩み寄りながら別案を出す。エレノアも漁師達に大人しく人魚に殺されろとまでは言わない。命のため、生活のための自衛であれば仕方ないと思う。その過程で人魚が死んだとしても、だ。

 だがジェームズ達が行おうとしている行為は、人魚の積極的な駆除だ。人間で言い直せば虐殺に他ならない。亜人ですらない人魚だから罪に問われないだけ。

 それは過ちだとエレノアは思う。もっと穏健で、問題が起きにくい方法にすべきだと――――しかしそれを聞いた漁師達は、一気に敵意を露わにする。ジェームズも例外ではない。


「自衛だと!? 奴等は息子を、家族を殺した連中だぞ!」


「そうだ! あんな害獣、皆殺しにすべきだ!」


「今の言葉、俺の親父の墓の前で言えんのか!」


 ジェームズの言葉に呼応するように、漁師達から次々と怒りの声が上がる。

 失敗したとエレノアは理解した。

 此処にいるのはなのだ。彼等からすれば、エレノアの意見が如何に甘っちょろいものかは考えるまでもない。自分の家族の仇というだけでなく、誰かの家族が殺される事も防ぎたい……極めて人間的で、物語や人間同士の争いであれば称賛される動機だろう。

 だが、人魚は異種の存在だ。しかも争いの原因は人間由来の可能性が高いと、現時点でエレノアは考えている。ここで人魚の虐殺を始めれば、最早歴史に残る汚点どころの話ではない。

 問題は他にもある。

 人魚が自然界に対し、どのような影響を与えているか未知数な点だ。死骸の解剖で多くの謎は解けたものの、未だ彼女達が海底でどんな生活をしているかは分かっていない。そして大海原という『自然界』で生きている以上、なんの影響も与えていない事だけはあり得ない。

 その影響も知らずに駆除をすれば、取り返しの付かない失敗となるかも知れない。


「……人魚が、海の生き物に与えている影響は未知数です。無暗に駆除すれば、漁業資源に悪影響があるかも知れません」


「悪影響? もう俺達はアイツらから悪影響を受けているぞ!」


「家族は殺され、船をひっくり返され、これ以上どんな悪影響があるってんだ!」


 しかしその懸念は、漁師達が語る『正論』の前では力を持たない。

 漁師達の言う通りだ。彼等は既に人命を失い、船や漁具などの資産を破壊されている。実害が生じているのだ。対してエレノアの懸念は、所詮は憶測。何が起きると問われても、答える事が出来ない。

 憶測と可能性で曖昧な事を述べて、それが一体なんだと言うのか。議論にすらなっていない。子供が「お化けが出るかも知れない」と夜中にトイレへと行くのを渋るのと、同じではないか。

 人魚について何も知らないからこそ、人魚を殺すべきではない。しかし何も知らないがために、彼等の正論と立ち向かう事が出来ない。


「話はそれだけか? だったら俺達はもう行くぞ……邪魔したら、いくら貴族の嬢ちゃん達相手でも、黙ってないからな」


 エレノアが口を噤むと、ジェームズは脅すように一言告げてくる。その言葉が怖かった訳ではない。「話はそれだけか?」に答えられなかった事が、エレノアの表情を悔しさで滲ませる。

 漁師達はエレノアに侮蔑するような視線を投げつつ、横を通り抜けていく。

 エレノアはその視線を俯いて避ける事しか出来ない。言葉一つ投げ掛けず、彼等はこの場を後にする。

 この後漁師達は海に出向き、多くの人魚を駆除するだろう。


「エレノア様、良いのですか。この町の憲兵に命じれば、彼等を止める事も可能な筈ですが」


「……良くはないわ。だからって、王家の権力を使う訳にはいかない。なんの根拠もないのに彼等を止めては、私の個人的感情による権力の乱用でしかないもの」


 王家の権力は絶大だ。町の憲兵を動かし、ジェームズ達を何十年も、人魚の秘密を解き明かすまで監獄に閉じ込めておく事も、やろうと思えば出来なくもない。

 しかしなんらかの法に違反しているなら兎も角、ジェームズ達はなんの罪も犯していない。人魚についても、憶測、というより現時点ではエレノアの願望だ。これでジェームズ達を監獄に閉じ込めるなど、暴君の行いに他ならない。民草からの反発は勿論、国王の耳に入ればエレノアの命令を取り消され、相応の罰が与えられるだろう。

 証拠も根拠もない時点で、止める方法などないのだ。


「私の失態ね。こうなる前に、全てと言わずとも謎を解き明かせていれば……」


「エレノア様の所為ではありません。この短期間では、誰だろうと解決には至らなかったかと」


 イリスは励まそうと言葉を掛けてくる。感情的には納得していないが、イリスが言うようにたった数ヶ月の研究で一種の生物が理解出来るとは思わない。どんな生物種だろうと、その程度で分かるほど『単純』ではないのだから。

 それに、漁師達の行動が誤りとは言えない。

 人魚という種の働きが不明な以上、漁業資源に対し深刻な悪影響を与えている可能性もなくはない。また、なんらかの病気を媒介する危険な生物種と言う可能性もある。

 恐ろしい病気を運ぶ生物や、農業や畜産に深刻な影響を与える害獣を人間は『撲滅』してきた。それらも、自然の中で重要な働きをしていたかも知れない。しかし病気や飢餓で何万もの人命が失われるよりはマシだからと、人間の利益を追求した上での行動だ。尤も撲滅時は単純に「人命を脅かす悪い奴を倒す」善行と考えられていて、自然界での役割など気にもしていないだろうが……結果として人間が栄えたなら、人間にとって悪い事ではない。

 人魚が人間の繁栄を妨げるなら、それを駆除するのは人間として誤りではない。生物として、そして人間の国の姫として、その行動は称賛こそすれでも批難する資格などないのだ。

 そう、願わくば……


「(何も起こらず、人間にとって良い結果となるように……)」


 あまりにも傲慢で、身勝手で、おぞましい。

 こんな願い事を叶える神なんて、いない方がマシだと思いながらエレノアは祈った。

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