禁忌のよどみ

須々木ウイ

第1話 水

 これは以前住んでいた場所の出来事です。


 当時の私は就職の決まった会社に、通勤が楽になると言われて、公営団地を紹介してもらいました。


 引っ越し先については内定をもらった時から探していたので、その時はとても助かったと思ったんです。


 それで部屋を内見させてもらって、すぐに契約することにしました。間取りは2DKで気になるところもなく、一人で住むなら十分だと感じました。

 家賃がかなり安かったのも魅力的でしたね。


 実際に暮らしてみて、初めは特に不便はありませんでした。むしろ快適なほどです。

 通勤は近くに駅があるので楽ですし、自転車で行ける範囲に商店街もあって、そこで生活に必要なものは大体そろえることができましたから。


 ただ、しばらくするとおかしなことが起こりだしたんです。

 ある日水を飲もうと思って水道の蛇口をひねると、コップの中に黒いゴミみたいなものが入ったんですね。


 その時は汚いなと思いつつも、錆がなにかだと思ってコップの中身を捨てて、新しく水を注ぎました。


 この黒いゴミが入る現象は週に二、三回くらいしかなかったので、私もだんだんと慣れてきて、それが当たり前になっていました。


 そんなことが続いて何週間かすると、今度は水が薄黄色に濁るようになったんです。まるで用水路で汲んだみたいに。


 さすがに今度は我慢できなくなって、管理人さんに言いにいったんですけど、浄水装置の故障だから修理の人を呼ぶと言われて帰されました。


 何日かすると水道局の方が来て、それから水に黒いゴミが入ったり、薄黄色に濁るることはなくなりました。

 でも私はどうしても気持ち悪くて、なるべく水道水は使わずにミネラルウォーターを常備するようになったんです。


 季節が変わるくらい時が過ぎて、私も水道水のことは忘れはじめていました。そんなある日の夜、寝苦しくて夜中に目が覚めたんです。

 水を飲もうとしたんですけど、生憎ミネラルウォーターは切らしていました。私はコップを手に取って、久しぶりに水道の蛇口をひねりました。


 コップに水を注いでいると、ゴミのようなものが入ってきました。またかと思って水を捨てようとした時に気づいたんです。

 ゴミがピクピクと動いていることに。


 目をこらしてよく見てみると、それはゴミじゃありませんでした。

 糸ミミズみたいな生き物の塊だったんです。


 私は悲鳴を上げて、コップを流し台に落としました。ガタンッと音がして、生き物の塊は水と一緒に排水溝に流れていきました。

 

 あまりのことに少しの間呆然としていたんですけど、その時気づいたんです。ここの団地で使われている水は、すべて給水塔から供給されているんだって。


 給水塔は円柱形の水を貯めておくタンクで、団地の入口から出てすぐ近くのところにあります。

 それで私だけではなく、他の住人だって同じ水を使っているんだから、なにか知っているんじゃないかと思いました。


 その夜はすぐ布団に潜って、翌朝一番に相談しにいくことに決めました。

 給水塔の周りはひらけていて、よく主婦の方たちが集まって話しているところを思い出したんです。

 管理人よりもその人たちの方が、はるかに頼りになりそう気がしました。




 朝、身支度もそこそこに正面玄関を出ると、タイミング良く井戸端会議が行われていました。出勤にはまだ十分時間があります。

 私が「おはようございます」とあいさつをすると、主婦の皆さんは笑顔で返してくれました。

 最近あったことなど少し談笑をしてから私は訊ねました。


「あの、ここのお水っておかしくないですか? よくゴミが入ってるんですけど、皆さんはどうされているんですか?」


 水の話をしてから主婦の方たちを見て、私はギョッとしました。みんな急に無表情になって、人形のようにその場で静止したんです。

 口元だけがモゴモゴと動いていて、こう言いました。


「お前まだなのか?」


 それは女性ではなく、機械で加工したような低い男の声でした。


 その後、私は部屋を解約して、会社も転職しました。

 あのまま住み続けていたらどうなっていたのか、今でも頭を離れません。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る