吸血鬼の久遠せんぱい:改

緑茶

第1話:HE:STORY【前編】

 前略。

 ぼくは、世の中が嫌いだ。

 不公平で不平等で、さらに言えば理不尽だと思う。

 いちばんゆるせないのは、誰もそれに気付いていないことだ。



 ぼくが彼女に出会ったのは、保健室のベッドだった。


 ぼくはその日もめまいを感じてそこにやってきた。

 すでにさんざん、ぼくの病弱さについて、クラスの連中から揶揄され、ひどいことばを投げつけられてきたあとだった。

 

 ぼくはみんなと同じように運動が出来ない。すぐに倒れてしまう。

 かといって勉強ができるわけでもない。要するに何もできない。そんなだから、友達だって居たことがない。

 両親はぼくを疎んじていた。とくに、父はぼくに強い男であってほしかったようだけど、のぞみのすべては、弟が吸い上げて持って行ってしまった。

 ぼくに残ったのは血のつながりというお仕着せによる、形式上の愛情と、もろくて弱々しい「立場」だけだった。

 ほかのみんなが、思い思いの青春を楽しんでいるさいちゅうも、ぼくは床に臥せって、遠くからその様子を眺めることしかできなかった。

 その羨望が、やがて嫉妬にかわって、さいごに淡い期待も失われて、憎しみに変わったのも、すぐだった。

 ぼくはすべてに攻撃的な態度をとるようになった。それは、ぼくなりの防衛本能だった。

 だけど、持っているものたちは、そんなことも理解してくれなかった。ぼくがたんなる愚か者としか思わなかったらしい。

 なぜか誰も彼も、ぼくに対し、恵まれたものであるかのように考え、当たってくるようになった。

 要するに、まぁ、いじめられていたということだろう。


「くそっ、好きで授業休んでるんじゃないんだぞ……くそっ、くそっ」


 僕がベッドに横になると、隣に影があるのが分かった。

 保険医の姿はない。あってもなくても関係がない。ぼくはなじみになりすぎて、ぼくのいるベッドは特等席みたいになっている。

 それにしても、隣の病床にも誰かがいるなんて。

 どうして今まで気づかなかったのだろう。

 同じように、横になっている。


 ように、見えたけれど。

 ――長い髪が、白い薄布のむこうでなびいていた。

 僕は、どきりとした。

 時間が止まっているように見えた。


 夕刻。

 三時をすぎて。

 橙色のなまぬるい光が、保健室全体を支配しているとき。

 ぼくは、彼女の、その声を聞いた。


「すさんでいるわね」


 その、少し掠れて、でも低音がよく響く声。

 いや、歌とさえ形容してもよかった。

 ぼくは、はっきり言ってしまおう――魅了されたのだ。


「でも、気持ちは分かるわ」


 何も言うことが出来ていないぼくに、彼女はつづけた。


「私も、同じだもの」


 そのときぼくは、そう言ってよければ、彼女に恋をしてしまった。

 それに必要な条件は多数あるはずなのに、それらをやすやすと通過して、その一文字にたどり着いてしまった。

 なんと愚かなことだろう。だが、恋とは得てして愚かなものではないだろうか。

 「同じ」という、たったそれだけの言葉に惹かれてしまったのだから。

 だけど、無理もない、そう言い訳するには十分な材料がそろっているようにも思えた。

 なぜって、その声には確かに――ぼくのような人種にしか持ちえないような、寂寥感、孤独感が滲んでいたからだ。


 ぼくは、不躾ながら、最大限の勇気を発揮して、彼女に問うた。

 そこで、あっさりと拒絶されてもよかった。

 よかったのだが。


 彼女は答えた、答えてくれたのだ。


「久遠よ。ただの久遠。そう呼んで」


 それが彼女の名前だった。



 互いにカーテンをはさんだ、奇妙な交流が、ほぼ毎日、あるいは隔日で、保健室ではじまった。

 ぼくはベッドに座る、すると、薄布を介して、すでに彼女がいる。

 本が好きで、音楽も好きらしい。ぺらりというページをめくる音と、イヤホンから小さなシャカシャカという音が聞こえてくる。

 それだけでぼくは、こころにあたたかいものが満ちるのを感じた。


 彼女は言葉少なだったが、紡がれるそれは、着実にぼくに届いていた。


 曰く。


「陽の光が苦手なの。だから、ろくに授業に出られない。ほとんどは、夜になってから、自分で勉強してる」


 曰く。


「私は何世紀も前にうまれたから、時間の流れがすごく違うの。現代のどんなものも過去の焼き直しにしか思えないし、つまらない」


 曰く。


「だから、私は昔の詩集と、それ以外は、漫画しか読まないし、音楽は、昔の管弦楽と、それから――ヒップホップしか聴かない。どれだって同じ」


 曰く。


「だから、誰からも私自身を見られないけど、構わないのよ」


 彼女はひねくれていた。

 それらの韜晦を、息を吐くように語ってみせた。実に素敵だった。

 まるで、本当のことのように言いますね、とぼくは言った。

 すると、こともなげに、こう返してきたのだ。


「そうよ。私は、吸血鬼だもの」


 だったら、ぼくはこのカーテンを開けるわけにはいかないなぁ。吸い殺されてしまいます。


 ……そう言ってから。沈黙があった。


 激しい自己嫌悪に襲われる。

 タイミングを間違えた。加減を間違えた。他に何が?

 ああ、ああ。

 無限の後悔が押し寄せてくる。ぼくはいつだってそうだ、他者のことが嫌いだけど、本当に一番きらいなのは、自分自身だ――。


 その時、まるで救いのように、彼女の言葉が、ぼくに届いた。


「あなたは吸わないわ――だって、あなたは。ほかと、ちがうもの」


 もう、ぼくには。

 彼女以外、どうでもよくなった。

 夕刻に訪れる「その時間」以外は、なにも。



 それでもぼくが決してカーテンを開ける気にならなかったのは、変化をおそれていたからだ。

 ぼくが何かを決断して行動に移したことで、何かがよくなったことなど、まるでなかった。

 父と母に逆らった時も、クラスの連中から孤立を決めたときも。

 あとになって後悔が押し寄せてくるだけの話だった。

 だからぼくも、狂おしいほどそれをのぞんでいながら、彼女を「カーテン越しの彼女」とすることで満足せざるを得なかった。


 その時までは。

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