第二章①
第二章:「一緒に」
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あれは確か、中学2年生の秋だったかな。
その日は文化際の直前、あと二日っていう時だった。クラスの準備の為に、残って展示会の準備をしていたの。他の友達はクラブや委員会の準備で忙しかったから、私一人で教室に残ってた。こういう時、クラス委員長って損だなぁ、て思ってたな。本当なら私も合唱部の練習に参加してたのにって。
でもしょうがない。引き受けた以上は責任があるし、先生だって、頼んだって言ってくれた。ここは一人でも頑張んなきゃ、て気合を入れなおしたの。
時間は7時を過ぎて、外の景色も真っ暗だった。クラス展の準備は大体が終わっていて、あとは研究とか論文(大袈裟かな?)が書かれた画用紙を、それぞれ壁とかに貼り付けるだけ。これくらいの作業なら一人でも大丈夫かな、と思って、近くの椅子を手に持った時だった。
『……あれ? 大幡さん?』
ガラッ、とドアが開いて、男の子の声がした。振り返ると、そこには同じクラスの、中村 聖杜くんが居たの。彼はあんまり自己主張が無くて、いつも友達と一緒の、目立たないタイプの子だった。体格もそんなにガッチリしてなくて、背も小さい方なの。ただ顔立ちは結構、綺麗で、先輩たちや年上の女の人なんかにはそれなりに人気があったり。今年から同じクラスになったんだけど、少し恥ずかしがり屋さんなのかな、話しかけてもあまり顔を見てくれないんだ。
そんな彼がこんな時間に教室に来て、しかも声をかけてきたのには、私も驚いちゃった。
『なにやってるの?』
と聞いてくる彼に、思わず質問し返しちゃってたな。
『中村くんこそ……どうしたの?』
『俺は委員会の打ち合わせとかが長引いちゃって……。鞄、取りに来たんだけど』
そこまで言った中村くんが、床に置いてある画用紙と、私が手にしてる画鋲、持ち出そうとしてる椅子に目を留めて。それらを見て状況を理解したのか、
『それは……明日でも良いんじゃないのかな?』
と言ってきた。
『ダメだよ。明日は教室のデコレーションとか、当日の確認とか、やることは色々あるんだよ。それに明日は部活を優先したいから、できることは終わらせておきたいの』
『別に大幡さんがやること無いんじゃないかな。また明日、暇な人にやらせるとか』
『忙しいのは誰も一緒だよ。だから明日はクラスの時間を早く終わらせなきゃ。それに私は、先生にクラスを任されてるんだから』
なんだか意固地になって反論する私。いま思えば、何であんなに固執したんだろ、て疑問がある。
でも中村くんは、そんな私を見て、呆れるどころか思わぬ行動に出たんだ。数回だけ頷くと、私の方に近づいて来て、正面から目を合わせてきたの。彼がそんなことをしたのは初めてだから、少しだけ怯えちゃった。
すると彼は、私が持っていた椅子を手に取ると、
『一人でやろうとしてたの?』
と聞いてきた。
その質問の意図が掴めなかった私は少し困惑したけど、うん、て頷いた。すると彼は、やっぱり、と溜息交じりに呟いた後で、
『手伝うよ。俺が画用紙を貼り付けるから、大幡さんは画鋲を渡して』
そう言ったんだ。それに驚いた私は、え? と困惑しながら、
『い、いいよ! 私だけで大丈夫だから!』
慌てて手を振ったんだけど、中村くんは頑としてそれを聞き入れず。
『女の子が危ない事しちゃダメだよ。それに一人なんて、何かあった時にどうしようもないじゃないか』
私はその言葉に気圧されて、彼に反論できなくなっちゃった。今まで見たことも無いほど強引で、ちょっぴり口数が多い彼にドキッてしたのも、多分これが最初。
その後は、窓の上とか高いところに画鋲を刺す作業に手間取ったりしたけど(二人とも背が低いからね)、すごくスムーズに終わらせることができた。帰り支度や戸締りの確認も彼が手伝ってくれて、なんとか玄関が施錠される8時に間に合ったんだ。帰宅の道中は、途中まで道が同じだったから一緒に帰ったんだけど、なんだかスゴく楽しかった。いつもとは全然違う、彼の明るい雰囲気が見れて、話も弾んでた。正直、別れるのが辛いくらいだったもん。
あの時から、私は中村くんを意識するようになった。変な話だよね。今までは私の理想って、強引でクールで、どんどん先に行くような、何でもできるカッコ良い男の人だったんだよ。それが、背は小っちゃいし成績もあんまり良くない、内気で目立たないその他大勢的な中村くんに恋するようになったんだもん。
それからは日増しに彼への思いが強くなっていった。いつも気にするようになって、どんどん彼のことが知りたくなって、どんどん彼を好きになってく自分がわかるんだもん。あれはホント、不思議な感じだったな。
だからね、お兄ちゃん。私はお兄ちゃんのことが大好きなんだよ。お母さんがお父さんと結婚するって聞いたとき、ホントのホントに嬉しかった。離れ離れになっちゃうって思ってたお兄ちゃんの、一番近くにいられるようになったんだもん。
この想い、お兄ちゃんは分かってくれてるのかな。最近、積極的にアプローチしてるんだけど、お兄ちゃんってば全然なんだもん。なんだか自信なくしちゃうなぁ。
でも良いの。私こと中村 由梨花は、必ずこの想いを成就させて見せるんだから。今もどんどん強くなっていくこの恋心をエネルギーに変えて、精一杯、お兄ちゃんにアタックしちゃいます。
だからお兄ちゃん。これからの生活、覚悟しておいてね!
1
私立赤ノ森高等学校にて。
5月8日火曜日の授業開始前、1年2組の教室で由梨花は、友人の田中 有理(たなか ゆうり)、坪井 久実(つぼい くみ)、川崎 真樹(かわさき まき)の三人を前に、ホニャラケ顔で昨夜の報告をしているのであった。
「昨日ね、お兄ちゃんと一緒に夜遅くまで起きてたの。だから寝不足だよ~」
寝不足な様子など全く垣間見せない、幸せそうで元気いっぱいのヲノロケ笑顔で由梨花がそう言うと、
「えっ!」
「えっ!?」
「ええっ!?」
三人の顔色と空気が一変した。
「ついにアンタに手を出したのか、あのオタク兄貴!」
「中村くんにもそんな度胸があったのね~。ビックリだわ」
「ああ、こうして由梨花ちゃんの可憐な純潔が散らされてしまったのね……」
とそれぞれに好き勝手な感想を漏らす三人組。真樹なぞは、よよよ…と泣き出す真似までしてみせる芸達者ぶりを披露していた。
だがその後で飛び出す三人の意見は一致したもので、
「にしても意外と早かったわね、煩悩が勝るの」
「も少し我慢が効くと思ったんだけどな~」
「中村くん、根性が足りないわね」
聖杜はヒドイ言われようである。それもそのはず、彼女たちは由梨花と中学時代からの友人で、聖杜の目立たないぶりも良く良く理解しているのだ。しかも聖杜は、目立たないだけでなくヘタレで根性無しで何をやっても失敗ばかりのダメ人間と捉えられているのである。しかもしかも。学校のマドンナ・大幡 由梨花(旧姓)の親友たち、その選球眼も厳しく、ほぼ落選決定だった聖杜が由梨花の近くにいることに納得していない節もある。
何よりも、中2の秋にいきなり、由梨花が「好きな人ができたの」と言ってきて、そんな彼女から出た名前が「中村 聖杜」であったことに違和感バリバリな三人なのだ。
だが由梨花にはそんな事など関係なく、ノロケ話を最後まで聞いてくれる(と思ってる)三人に、早く続きを喋りたくてしょうがないのであった。
「ねーねー、聞いてよー」
手をパタパタさせながら、無邪気な笑顔で友人を呼ぶ由梨花の姿に、溜息を吐きながらも向き直る少女たち。
「あー、はいはい。で、初体験はどうだった? やっぱり痛かった?」
投げやりで問いかける有理に、
「なに言ってるの?」
と由梨花が怪訝顔をするも、すぐにそんな事は飛ばして、
「あのねー。昨日、お兄ちゃんが録画したサッカーの試合を一緒に見たんだ。すっごかったよー」
『さっかぁー?』
今度は三人が怪訝顔である。
「うん、チャンピオンズリーグって言うのの準決勝戦だって。なんだか見たことも無いような技がバンバン飛び出してね、ビックリの連続だよー」
「は、はぁ……サイですか」
有理たちは怪訝を通り越して呆れ顔だ。
と、その隙に蚊帳の外からサッカー部の西山が割り込んできて、
「へぇ、中村さんも欧州CLに興味があるの。良かったら俺が、この間の試合を解説してあげるよ」
「え? で、でも、今は有理ちゃんたちと……」
「いいからいいから。で、どうだった? 試合は」
「う、うん。白いユニフォームの人たちが綺麗に攻めてったなぁー、って」
「中村さんって、ヨーロッパサッカーはエル・ブランコを応援してるんだ。それでどういう所が気に入ったの?」
「な、7番の人や17番の人が点を入れてて……」
「おお、ゴンサレスとルートだね。彼らは生粋のゴールハンターで――」
ドゲシ!
「おおうっ!?」
西山を背後から蹴り倒す三つの影。
「ええい、邪魔だ邪魔だ!」
「なに勝手に話しに入り込もうとしてんのよ」
「非常識この上ないわね」
溜息と共に、尻餅ついた少年に冷ややかな視線を向ける少女たち。
「な、なに言ってんだ! 俺は中村さんに、親切心で……」
ギロリ。
ビクッ。
「ええい、うるさいうるさい! あんたなんか由梨花とぜんっぜん釣り合ってないのよ! 迷惑だからここから立ち去れい!」
「お、横暴だー!」
と言いつつ足早に逃げ去る西山少年。
「なんだか、あれはあれで可哀想ね……」
走り去る彼の背中に向けて、久実がポツリと哀愁の一言。
まぁそれは良いとして。
真樹がクルリと由梨花に向き直ると、
「どうしたの? 今までサッカーの試合なんて見てなかったでしょ?」
そう聞いた。すると由梨花は微かに頬を染めて、
「うん。でも、お兄ちゃんが真剣に見てたから、私も一緒に見たいなって」
なんだかその場に甘酸っぱい空気が充満した。ような気がした。
「あ、そ」
もう良いや、て感じで有理が後ろを向くが、由梨花の話は止まらないのである。
「それにね。一緒に見てるとき、お兄ちゃんに寄り添ってたの。すぐ近くにお兄ちゃんの匂いがあって、すごく、すごーっく、ドキドキしたなぁ」
ハホォ、て感じで相好を崩す、ちょこっと乙女チックな表情の少女。
そんな由梨花の様子を見て、結局はそこなんかい、と小さくつっこむ三人の少女。
「今度の決勝戦も、一緒に見ようねって約束したんだー」
えへへー、と物凄く幸せそうな顔で三人の様子を無視する由梨花。
1年2組の授業開始は、このような教室風景の中で、さりげなく行われていくのであった。
2
その日、由梨花は帰宅してみると、ドアノブに手を伸ばして回そうとした。
カチン、と阻まれる。開かない。
(あ、お兄ちゃんは帰ってないのか……)
そう頷くと、鞄から鍵を取り出して、開ける。玄関を覗くと、案の定、聖杜の靴は無かった。
「ただいまー」
習慣的に声を出すも、広々とした一軒家に僅かな余韻が広がるだけ。その響きが由梨花の心の中に染み入った。
少し前までは当然だった事だけれど、ここ二ヶ月の間にその慣れも消えてしまったようだ。しん、と静まり返った屋内に寂しさを感じてしまい、それを慌てて振り払う。
「ただいま……」
もう一度、今度は呟くように搾り出した。その後でローファーを脱いで揃え、家の中に入る。
部屋へと向かう前にリビングに寄って、ソファーに鞄を置くと、そのまま反転して洗面所へと向かった。日課になっている、うがいと手洗いをするためだ。
カラッ、と扉を開いて中に入ると、洗面台の鏡が目に入る。それを真正面から見据えると、赤ノ森高校の制服に身を包んだ自分がいる。茶を基調としたシックなセーラーカラーが可愛い制服は、由梨花のお気に入りだ。へへーっ、と胸元のリボンを弄ってみたりするのもちょっとした遊び心だ。すると由梨花の後頭部でも、赤くて少し大き目のリボンが小さく踊って、なんだか可愛げだった。だからそっちにも手を伸ばして、曲がってないかとかを確認してしまう。
去年までは、髪の毛はカチューシャで留めていた。でも、なんだかアクセントとしては弱い気がして、他のものに変えることにしたのだ。その時に有理が言ってくれた一言が、
「あんた童顔だからリボンのほうが似合うよ」
と言うものであったのだ。その時はなんだかバカにされたように感じたけれど、今となってはこっちの方が可愛いと思える。ありがとね有理ちゃん、と小さく微笑んだ。
「さて、と」
リボンや制服を愛でるのはこれくらいにして、由梨花は照明のスイッチを入れた。あまり暗いという訳ではないけれど、微妙な明るさなので点けておくのだ。
すぐさま、パッ、と明るくなって、パッ、と消える。かと思いきやまたパッ、と灯が入ってすぐに消える。照明はそんな明滅を繰り返し始めた。
「……パルックが切れてる?」
すごく目に悪そうな明かりを振りまく天井を仰いで、由梨花は少し考えた。
とりあえずハンドソープの泡で手を洗い、うがいも済ませてしまう。その後で階段下の物置に入って、新品のパルックを探した。
(これから暗くなったら、付け替えるの大変だもんね。明るい内にやっておかなきゃ)
そうと決まれば話は簡単。積んであった幾つかを取り出して、その後にリビングから椅子を取ってくると、早速、そこに上って照明のカバーを外しにかかった。
「えっと……こうかな?」
外してみて、明滅しているのが上の大きな方である事を確認する。一旦、椅子から降りて電気を消すと、パルックを外す作業に取り掛かった。
すると玄関の扉が開く音がして、
「ただいまー」
聖杜が帰ってきたようだ。
「あ、お帰りなさーい」
両手を上げている少し窮屈な体勢ながらも返事をして、パルックの接続端子を外した。ふう、と息をついた時、扉から聖杜が顔を覗かせる。
「何かやってるの? 由梨花……」
「うん。パルックが切れちゃって、付け替えてるの」
と言いながら振り向くと、なぜか聖杜がギョッとした表情をしている。
「あ、危ないよ。そういうのは俺がやるから、由梨花はそこから降りて」
「危なくなんかないよ。大丈夫、私だってこれくらいできるんだから」
由梨花は笑いながらパルックの固定を解いた。が、そのときに手が滑って、それは由梨花の肩に小さく撥ねると、気付いた時には床に接触している。
「きゃっ……!」
パリンッ
蛍光灯が割れて、辺りに飛び散った。
「あ……ど、どうしよ?」
慌てて破片を拾おうと、由梨花が椅子の上でしゃがんだ。そんな彼女を、サッと左腕で止めさせたのは、聖杜だった。
「素手で触っちゃダメ。たしか箒とちりとりはあったはず。それを持ってくるから、由梨花は雑巾を濡らしておいて」
聖杜は非常に冷静に見えた。そんな彼に見つめられて、うん、分かった、と思わず頷いてしまう。
「あと、続きは俺がやるよ。由梨花は無理しないで良いからね」
「無理なんてしてないよ!」
「でも少し高かったでしょ。辛そうだったよ」
「あぅ……」
爪先立ちだったのがバレていた。確かに少し辛かったのだ。
「とりあえず片付けよう。これくらいだったらすぐに済むよ」
そう言って後ろを向いた聖杜の背中。その姿がカッコよくて、由梨花は心の中で、やっぱりお兄ちゃんには敵わないなぁ、と思っていた。
ただ、それと同時に浮かんでしまう自分の笑顔には、少し気付かなかったのだ。
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