第106話 ニコラスの夏休み②

 カルルク帝国、首都ベラサグン。


 学園周辺は夏休みとあって、静かな日々が続いている。


 ニコラスは、あの事件以降、魔法道具に執着することはなかった。


 今はただの読書家としてオリビア学園の図書館や、周囲の書店を渡り歩く日々である。


 彼の友人であるアベルとゴードンも。さすがにインドアが過ぎると懸念するが、ニコラスの趣味なのだからしょうがない。


「殿下、勤勉なのはよろしいのですが、肉体の鍛錬も我々魔法使いには必須だと思いますが?」


「そうだな、アベルの言にも一理はあるか。レーヴァテインの大魔導士は戦士なみの身体能力を持っているらしいしな」


「ならば殿下、どうですか? 我らも旧態依然とした魔法使いから脱却して筋力のトレーニングをしてみるのは」


「ゴードン、そうだな、だが……。それは兄が既にやっている。俺と兄、どちらがその才があるのだろうか……。

 俺は、いや、すまない。少なくとも、自分のありように未だに疑問を持っているんだ。

 この間もそうだ、一人称が気持ち悪いと言われたしな」


「誰ですか? その失礼な奴は。不敬罪で、捕まえましょうか?」


 だが、ニコラスはそれ以上は言及しなかった。


 ルーシーは率直に思ったことを言う。

 だがそれが悪い方に動いたことはない。今ではクラスに打ち解けて友人も増えた。

 彼女には感謝こそすれ不敬罪などと思ったことはないのだ。



 今日は古本屋で見つけた本を読むことにした。『地獄の女監獄長』タイトルを見ただけでピンときたのだ。

 おそらく、命の恩人である、あのお方について書かれた伝記か何かであろう。


 家に帰るやさっそく部屋に引き籠り読書にふけることにした。


 ちなみにニコラスの邸宅の修繕は終わり、執事やメイドも変わりなくニコラスの側で働いてくれている。 


 ニコラスは彼らから見捨てられるのではないかと思った。


 だが、彼らはニコラスがハヴォックを説得して生贄として殺すよりも奴隷のほうが今後は動きやすくなると説得していたのを知っている。

 ニコラスのせいで起きた事件ではあったが、必死でハヴォックと交渉をしていたニコラスを二人は見ていた。

 彼のおかげ今の自分たちは生きていると感謝までされてしまった。


 ニコラスの周りには良い人しかいない。

 今ではニコラスの邸宅には魔法道具の類は一切ない。代わりに大きな本棚があるのみだ。


 一時間ほど例の本を読み進める。


 だが、ページが進むにつれて、ニコラスは違和感を覚えた。

 そして、それは確信に変わった。


 これはただの官能小説だと。


 どおりで本屋の店主が何ともいえない表情だったことに納得できた。


 あのお方には何も関係ないと分かり落胆するニコラス。


 何の成果も無かった。だが、途中まで読んだのだ、せっかくだから読書を続ける。


 文体が読みやすく、感情移入しやすい。

 つまり物語が面白かったのでニコラスは一日掛けてこの小説を読み終えた。


 久しぶりによい書物に出会えたと満足しニコラスは眠りにつく。


 …………。

 ……。


 ここはどこだ?

 牢獄? 


 薄明りで周りが良く分からないが自分は鉄格子のなかに閉じ込められているようだ。


 カツン、カツンと。硬い石畳の上をヒールで打ち付ける音が牢獄に響く。

 そしてその足音はニコラスの手前で止まった。


 ニコラスはその人物を見ようと牢獄で這いつくばっていた上体を起こす。


 パシン!


 鞭を床に叩きつける音が響く。


「頭が高い! おひざまずき! それに、可愛い豚さんは二本足で歩いちゃいけないのよ? 忘れたのかしら?」


 甲高い女性の声と、そのセリフでニコラスは思い出した。


 これではまるであの小説に出てきた主人公と同じではないか。

 であるなら、俺はこの後、この女に鞭で弄ばれてしまう。


 皮膚が裂け、水浴びですら拷問のようなあの主人公の体験。

 俺はごめんだ。


 ニコラスは立ち上がり、鞭を持った手を掴み動きを封じる。

 そして深く被った、監獄長の黒い皮の帽子を剥ぎ取る。


「おい! 俺を誰だと思っている! そしてお前は誰だ?」 


 帽子を取られた監獄長は綺麗な灰色の髪をなびかせていた。


「ニコラス殿下。もちろん知ってますわ。殿下も私のこと知ってるじゃありませんの?」


 次の瞬間、薄暗かった牢獄はいきなりベッドルームに変わった。 

 そして目の前の女性は良く知った人物であった。


「お、お前はルーシー・バンデル! なんで裸でいるんだ!」


 今度はルーシーがニコラスに覆いかぶさる。


 後ろに倒れるニコラスであったが、そこは石畳ではない。ふかふかのベッドだった。


 そして自身も一糸まとわぬ姿であった。


「もう、ニコラス殿下のえっち。でもルーシーは準備が出来ておりますわ。でも、これ以上はちゃんと責任取って下さいね」


 何が何だか分からない。だが俺は彼女と身体を重ねてしまった。


 …………。

 ……。 


 はっと、目が覚める。

 ニコラスは見慣れた天井を見て自分の家だと認識する。


「夢か……。 俺は、なんて夢を見ているんだ!」



 そうだ、昨日読んだ本のせいだ。こんないかがわしい夢を見るなんて。

 これは由々しき事態だ。何とかしないと自分はおかしくなってしまう。


 冷静に対処法を考えなければ。


 だが考えれば考えるほどに夢で見た、なまめかしい映像が蘇るのだ。 


「くそっ! こんな煩悩に惑わされるとは情けない。そうだ、健全な心を磨くためにはやはり肉体を鍛えるしかないか」


 こうして、ニコラスはアベルとゴードンを誘い、筋力トレーニングをすることにしたのだった。


-----第六章完-----

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